私淑する作家。そして、師と仰ぎたかった人

 ブログへの感想メールで、大変立派なメールを頂きました。

 語彙豊かな文章に感銘を受けると共に、懐かしい言葉を眼にしました。

 私淑(ししゅくと読みます)。本来は実際にあったことのない方を模範とし、自らの師と仰ぐ時に使う言葉ですが、人によっては実際に面識のある人を私淑すべき人とすることもあります。

 

※今回の記事はあくまで個人の思いや、言葉を綴ったものです。不快な思いをしてまで読むものではありませんので、あえて読むのをお勧めはしません。また、文句やいちゃもんをつけられても困りますので、あくまでも私の「日記」としていただれば幸いです。

 厳密な意味より、その言葉に込められた思いが大切かな、と。

 私淑を辞書で引けば、例文として出てくるのは私淑する作家...といった用例でしょうか。(Google等で検索するとあちこちに辞書があります)

 私にとって私淑する作家といえば、やはり池波先生でしょう。誰でも知ってる代表作といえば「鬼平犯科帳」がある意味わかりやすいでしょうか。TVドラマでも有名ですし。あるいは「必殺仕事人」の源流ともいえる、「仕掛人・藤枝梅安」も有名でしょう。私は「剣客商売」に特に強い思い入れがあります。

 蕎麦屋で酒を飲むようになったのも先生の模倣からですし、若輩ながらせめて一度は...と20代の時、若造が山の上ホテルを訪ね、なんとこんなホテルがあったのか...と眼を見開いたのもいい思い出です。

 ですが、模倣はあくまで模倣。私淑するにしても、あまりにも大きすぎて範とするには恐れ多すぎます。

 

 ...実は私には本当に師と仰ぎたかった人が別にいます。...いえ、いました。

 先の山の上ホテルを訪ねた頃...そう、20代の前半かな。友人がたまたま参加していた、老人ホームの慰問というボランティア。休みの度に、暇だろう?と誘われて、面倒だなぁと苦笑しつつも、誘われるがままに参加し、様々な人の話を聞いて、自分の話をし...そんなことをしていた頃出会った、とある老人。

 出会った時点で相当な高齢の方でした。聞けば大東亜戦争に(本来は表記を変えるべきかもしれませんが、あの方の言葉をそのままにしたく、あえてこの表記で)に参加し、南洋に行っておられたと。

 当時の私は年上の友だちから朝日ソノラマの戦記物の漫画などを借りて読んでいたこともあり、特にこの方の話を聞きたがりました。戦争にあこがれる、子供じみた興味で。たしなめられましたが、しかられはしませんでした。

 聞き上手な方で、自分のことはほとんど話されません。戦争のことも、実際には大して話していただけませんでした。

「言葉にするには、ちょっとね...聞く人が嫌な思いをするようなことはね、いわんのよ」

 そう言って、煙草(確かしんせいだったと記憶しています)をくわえて、ちょっと困ったように笑ってごまかす。そんな人でした。

 そう言いつつも、たまにぽつりぽつりと戦争の時のことを教えてくださいました。今回はその話は書きませんが...実体験を語る時、あの人はいつもどこか遠くを見るようなそぶりをしていたのを思い出します。

 その方と話しているといつの間にか攻守が逆転し、私が自分のことをいろいろ話し、あの方がふんふんと聞いている。本当にいつの間にかそうなっている。こっちがいくら聞き役に徹しようとしても、いつも最後にはそうなっている。言葉ではなく、態度や雰囲気でそういう流れにもっていってしまう方でした。

 当時の私はともかく生意気で、背伸びして生きていました。だから言うことも生意気で。けれどたしなめるでなく、しかるでなく。すべてを聞いて、聞き終えた後、一言二言...感想を伝えてくれる。

 それが本当に楽しくて。本当に楽しみで。ボランティアで行かなくても、たまの休みがあれば老人ホームを個人的に訪ねて、数時間話して帰る。そんなことをしていました。実際、友人が諸事情で活動を辞めた後も、私は個人的にホームを訪ねていましたし。

 その方には、いつも言われていました。

「君は生き急ぎすぎだよ。人はほおっておいても、年を取るし生き続けようとするものなんだから。それを早足で過ごしては、いろいろともったいない。せっかく若いんだから、もう少し余裕をもって、どーんと構えるといいね」

 けれど、当時の私にはその言葉は理解出来ず。

「何いってるんですか、こうでもしないと他人に認めてもらえないんですよ!」

 そんな言葉を返していた覚えがあります。

 ある時、私が持参した手帳を貸してくれ...そう言われたので手渡すと、さらさらと何か書いています。

「いや、口でいうのは面映ゆい。ちょっと書いておきたかったんだ。なーに、読まなくてもいいけど、捨てんなよ(笑)」

 年期の入った万年筆で、さらさらと何やら。さっと読んでみると、なかなかに達筆。でもその文章はなんだか説教めいていて。

「爺ちゃん(私はそうよんでいた)、これはちょっとむかつくぞ?」

「いや、別に説教じゃなくてな。口にするとすぐ忘れちゃうから、文字にしただけだよ」

 その時はまぁ、そうなのか...と思ってそのままに。で、帰宅してから読んでみると、やっぱり説教のようで。でも、言葉が優しすぎて、あんまり説教っぽくもなく。ただ、言葉尻だけを捉えてしまった私は生意気にも次に訪ねた時こう言います。

「爺ちゃん、これじゃ身につかないよ。説教なら、もっと厳しい言葉じゃないと」

「んー...君がそういうなら、そうしようか」

 そう言って、要点だけをかいつまんで、ちょっと厳しい言葉にしてくれました。で、その文章を読んで...やっぱり表面的な言葉尻だけ捉えてしまった私はいろいろと突っ込みます。

「あっはっは、まいったな君にも」

 そう言って頭をかいて苦笑い。けれど、眼がとても真剣で。いくら若造でも失礼はいけないと思って、ともかくそのメモを大切にしまうことにして。

 ...それからしばらくして、あの方は鬼籍に入られました。

 仲良くしていたのを知っていたホームの職員さんから連絡をもらった時...悲しいとか、そういう気持ちではなく...

 ああ、もういなくなってしまったのか。それだけが腹の中にずんっと来て。

 その連絡のちょっと前に彼女に振られた時にはさんざんに泣いて、友だちにも愚痴りまくっていたのに...その死の報告には、言葉も出ず。ただ、わかりましたとだけ答えて電話を置いて...

 親族をすべて戦争で失った方だったので、葬儀はなく...ホームの方がいろいろ手続きしたそうで、私は葬式にも通夜にも参加出来ませんでした。当時はなんとなくそんなものかと思ってましたが...もしかすると、職員の方が気を遣ってくれたのかもしれません。今思えば、せめて墓の場所だけでも聞いておくべきでした。花を手向けることも出来なくなるとは。

 その方が残してくれた言葉は、実際のところ難しく。当時の私には理解出来ず。ようやく「ああ...そうなのかな...」と思ったのが、30代も半ば過ぎてから。

 実行するには難しく。実践するのは困難で。そう言った時、あの人は「いいんだよ、心に置いときゃ。全部出来たら、君はすごい人になれちゃうよ」そう答えてくれて。

 きっと、ちゃんと理解出来るのはもっと年を重ねてからなのかも。そう思って、今もその言葉をパソコンのスクリーンセーバーにセットしています。実践出来なくても、せめて心がけることが出来たら...せっかく残してもらった言葉。死ぬのが近いと...たぶんわかってて、残してくれた言葉ですから。大切にしたい。

 会社のスクリーンセーバーにもいれてたので、上司に「ずいぶん怖い文章流してるね」って突っ込まれましたけれど(苦笑)

 本来はもっと長くて、いろいろと書かれていた文章ですが、先の理由でわざと厳しい言葉の略文になっています。

 その言葉とは...

 

略文
----------------------------------------------------------
日々の精進を是とし、怠惰を悪とせよ。
成果(結果)を出せぬ者に働く価値なし。
価値ある人生のために、研鑽の日々を。
学ぶ時間は少なく、学んだ知識を活かす時間は、さらに短い。
奮起し、励め。未来が見えないなら、未来を作れる人になれ。
走るな、歩け。走れば視野は狭まり気が焦る。
歩けば、視野は広く、心も秋の水面のごとく涼やかでいられるだろう。
他人を蔑むな。己を誇示するな。身の丈を知り、物事にあたれ。
事実は大事ではない。現実と状況を把握し、こだわりなく、結果をつかみ取れ。
---------------------------------------------------------

 ...書いてくれたあの日のことを思うと、今でも眼が潤みます。

 紙切れ一枚に書かれた言葉が、受け取った人の人生を変えることもあるのだと、今の私は知っています。

 この言葉なくして、今の私は無いと思ってますし。 片親で育った身で、幼くして祖父も亡くし。男親を知らない私には、爺ちゃんがその代わりに思えていたのかも。

 残された言葉を実践出来てるかといえば、まったくもってお恥ずかしい限り。けれど、心がけるだけならば...なんとか。

 老いて、もっと深い考えをもてるようになった時に...またこの言葉を読み返せば、爺ちゃんの言いたかったことが、わかるかもしれません。爺ちゃんと同じ年齢になる頃には、せめてその一端だけでも理解出来るようになっておきたい。

 そういえば、言葉尻を捉えた時に「なんで秋の水面なのよ。春じゃだめなの?」と聞いたのですが...「春じゃだめだよ。秋ってのはいい季節なんだよ。これから冬になる。厳しくなる。その厳しさへの準備をする季節だろ。秋の水面ってのは、冬のぴんって感じと違うんだよ。あー...まぁ、そのうちわかるさ」

 ...これから厳しい事態に立ち向かわなければならない時。じっくりどっしりと構えて。心穏やかでいれば、冷たい水面のように透き通った気持ちで事態に対処出来る。そう言いたかったのかな...今の私の考えではそう思っています。

 年を経て、また読み返せば...また違った意味を感じるのかもしれませんけれど。

 今ならはっきりと言えます。あの人を師と仰ぎたかった。もっといろいろと教えてもらえばよかった。戦争という、本当に厳しい...現実を生きた人に、もっといろいろと教えてもらっておけばよかったと。

 けれど、それはもうかなわないので...せめて。あの人の言葉遣いや平素の佇まい。あるいは、その考え方や、行動の仕方を範として。

 私淑する先生として...ずっと大切にしていたいと思うのです。

 老人は去るべき。若者の前を邪魔するな。声を大きくしてそう言う人もいます。それもまた真実でしょう。

 けれど、私は老いた人からは学ばせてもらいたい。

 爺ちゃんが言っていた言葉にこんなものがあります。

「他人様ってのは全部先生だぞ? ひどい上官なんか見てれば...ああ、ああはなりたくねぇなって思うんだ。それって学ばせてもらってるってことだろ? 君もまた、俺にとっちゃ先生みたいなもんなんだよ。若人から学ぶことだって多いのさ」

 人を見て我が身を正せ。言葉で言うのは簡単ですが、実際には難しく。爺ちゃんの域に達するのは、やはり私が爺ちゃんになった頃なのかな...なんて思うんですけれど...ただ老いたのではなく。熟成した人というのは...やっぱりすごいんじゃないかな、と思うのです。

 排除するのでもなく。棲み分けるのでもなく。若い人も老いた人も共存出来れば...

 滅びを待つだけの会社に、あの社長になんであんなに思い入れをもってあたったのか。今思えば爺ちゃんの残した文章があったからこそなんじゃないかな。そう思います。若者はいつだって身勝手で。老人はいつだって頑固で。でも、それでいいんじゃないかな。

 一緒にやっていけるなら、別にそれでいいんじゃないか。と思うのです。ちょっと喧嘩しながらでも、一緒にやっていけるなら。

 でも...そんな簡単に一緒にやっていけないから...今の世の中は、いろいろと難しいのですけれど。

 せめて爺ちゃんに学んだ身としては...非才の我が身をこき使って、何かしていければな...と思っています。

 

 

(2012/03/20追記 爺ちゃんの言葉を記事にしてみました。よろしければこちらもどうぞ)