本来なら、今回の記事からはINTELとは違った切り口でAMDの話を書こうと思っていました。
でも...AMDについて書くなら絶対に外せない男がいるのです。この男があってこそ、今のAMDがあり...そして、この男から世代交代した後のAMDがどうなっていったのか...それはある意味でAMDそのものの歴史であり、AMDのCPUの歴史でもあるのですから。
今回はその男とAMDのことを書こうと思います。
その男の名は...
ジェリー・サンダース
(Walter Jerry Sanders III ウォルター・ジェリー・サンダース三世)
辣腕。豪腕。豪遊。成金。
インテルを相手に引かない男。マイクロソフトを動かし、裁判を有利に進めようとした男。
半導体業界最強にして最低と言われそれでも愛された男
...その男、ジェリーサンダース。派手好みで知られ、半導体業界の寵児として時代を駆け抜けた男。
良くも悪くもAMDをでかくした男。業界の風雲児にして超ワンマン社長。
実に30年近く。一人の男がAMDという企業をぶん回した...それは波乱と目まぐるしい半導体業界のもうひとつの歴史...
本来はINTELに対する人気メーカーAMDについて書くつもりでした。
内蔵GPUの優れたメーカーとして知られるAMDもATIの買収あってこそですし、もっと前に戻ればAthlonの誕生こそがAMDの歴史の一歩。さまざまな記事で、いろいろ言われるAMDですが、熱狂的なファンを持ち、優れた技術力をもって堂々と市場に立つ企業に違いはありません。その歴史と、「AMD純正」とはなんなのか...というのを書くつもりだったんですが...
どうしても、その男のことを書かずにはいられない。避けて通れない、その男。それがサンダース。
まず、AMDという会社の生い立ちや変革についてはwikiなどを見てもらった方がいいのですが、簡単に言ってしまうとこのAMDという会社はよくも悪くも「INTELのライバル」という存在として知られています。
ですが、最初からそうだったわけではありません。
AMDの歴史は遡るとINTELのセカンドソースメーカーとして名を馳せていた頃からの歴史が有名です(創設の頃の話はわりとマイナーというか知られていない)。
このセカンドソースメーカーとしてのAMDの実績が、ひとつのチャンスを呼び込み、それが今日のAMDの原型となっていきます。
時に1982年。IBMからの依頼により、INTELのCPUのセカンドソースメーカーとしてライセンス契約。
今からでは考えられませんが、当時の半導体の生産というのはとても難しい時代。その供給に不安視がいつも付きまとっていました。市場の要求として「なんかあった時のために他社にも生産させとけよ」というものがあった時代。INTELも例外ではなく、さまざまな会社にCPUの生産を委託しました。(というか主犯はIBM。この頃事件があればまず主犯はIBMかな(笑))
AMDもその中のひとつ。このセカンドソース生産は大いにAMDを儲けさせます。初期もそうですし、INTELのセカンドソースになってからもそう。
実際AMDは創設からセカンドソースメーカーとして立ち上がっていますが(厳密には違うようなんですが...会社作ってから仕事として受けることに決めたような...この辺りはちょっと資料がなくて私にはわかりませんでした)、その当時は別にINTELのセカンドソースメーカーでもなんでもなく。別の製品を作る会社でした。
創設の頃やサンダースの生い立ちからの話はこちらの記事に詳しいのですが、最初からセカンドソースメーカーとして成り立ち、後にオリジナルの製品を出す...ということを実は創立からやっています。それはINTEL互換CPUの前の時代。後にセカンドソースとしてINTEL互換CPUの製造会社からK5という互換CPUを生み出して成長行くのはどこか似たものを感じます。
そう、最初はセカンドソースを...次にK5を投入する歴史は、たぶんのこの頃から変っていないという。
歴史は繰り返す...ではないんですが、AMDはこの創立の頃の経験がとても大切なものだったんじゃないかと思ってます。といってもオリジナルのデバイスが出てきたのは創立から1年以上経ってからですけれど(^^;
創立からずっと代表として活躍していたのがジェリー・サンダース。
アスロンの頃からのAMDファンであっても知っている「AMDの顔」とも言える人物。
私なんかも大好きな人物で、熱心なファンが
「We love Sanders!! We are AMD!」
というTシャツを作った時、こっそりお金を出したりしています(残念ながらTシャツは現存しませんが、表がサンダースの当時の写真で、裏がAMDのロゴ。当然非公認アイテムですね)。
このサンダースさん、かなり面白い人です。調べれば調べるほど、知れば知るほど「すごい」人物なんです。
いや、いろんな意味で(笑)
...この人の「営業力」ともいえる力が...そして「自社開発にこだわらない」姿勢が後の「よくもわるくも」AMDを形作っていきます。(あと金持ちへの執着)
INTELのセカンドソースメーカーになる前から、AMDはそれなりに儲かってる会社でした。その頃からサンダースはちょっと人と違う考え方、やり方を行っています。
儲かった初期のやり方を意訳すると「俺も儲かる。社員も儲かる。そうすると会社が儲かる」を実際にやっちゃった人で、ともかく社員へのボーナス支給だストックオプションだというのを当時の時代背景や会社規模から考えても異例のやり方で連発しています。
その以上に自分も取り分がっぽりだったりするわけですけれど(^^;
まぁ、逆に言うとこの頃から「派手に金つかっちゃって成金と陰口叩かれたあげく、あとで金がなくなってる時期が悪いときにくる」という面白おかしい文化も出来ちゃってますが、外から見るとどうであれ、働く社員としてはとても働き甲斐があったのではないでしょうか。AMDの伝統である派手なパーティなんかもその歴史の上に成り立ってるわけで。
成金趣味はサンダースさんの特徴ですが、良くも悪くもこの人の辣腕がなくてはAMDが存続出来なかったのは確か。
INTELのセカンドソースメーカーになる前から、大もうけしてはその金を湯水のごとく(自分のためにも)使いまくる人でもあって。決して善人というだけでもないのが人間の面白さ。
営業能力がずば抜けて高く、人間的魅力に富み、しかし金銭的にはやらかしまくり、美女と高級車と別荘の数は半導体業界No1なんて言われてたようで。本人は笑って流してたようですから、大物っちゃ大物(たぶん今でも変らない)。
まぁ、ものすごい給料(向こうだと年単位ですか)をもらってましたから、それが出来たという。たぶん、後々のビルゲイツさんなんかと比べても給料でいったら「おいおいその会社の規模と業績でそんなにもらったらまずいだろ」というぐらいもらってたそうで。
この部分で評価がものすごくわかれる人でもあります。会社の金でリムジン乗り回し、高い給料をがんがんもらって人生を謳歌する。強引で強欲。気前もいいし、経営者としてはケチでもない。
政治的な手腕や駆け引きにも長け、INTEL相手にまったく引かない態度はまさに会社の顔として最高で。法廷闘争も含めて運もあれど勝ちまくり(負けもあるけどトータルでは勝ちといえる。相手はパラノイアを自称するINTEL、裁判もなかなか大変...普通は勝てないか、不利な条件で和解になりやすい)。
けど会社の私物化は年々さらにすごいことに...とどこか日本の昭和の豪腕政治家を思い出させる人。
でもまぁ能力があって成功してるわけですから、文句言うのも難しい。私なんかは好きですが、嫌いだという人はこの人こそが今日のAMDの苦境を招いたのだ!とも言いますし。
事業仕分けではないですが、冷静にプラスとマイナスで判断されたら「マイナス」が大きい...と今では判断される人物でしょう。功績と反比例するやらかした部分も大きいわけですから。
なんせ「金持ちになるんだ!」と決めて人生突っ走っていたわけですから、高い給料もらって何が悪い! 俺の会社だ!という感じだったのかもしれませね(^^;
でもこのサンダースの営業力、そしてINTELのセカンドソースメーカーとしての実績がAMDを押し上げて行くわけで、今日の土台となったのかな、と。
今からだとちょっと信じられないかもしれないですが、AMDは当時決して技術力に優れたメーカーというわけではありませんでした。CPUの設計もそうですが、製造能力等も含めてトータルでは弱いところも結構ある会社で。
それをサンダースが営業力でカバーしていたという...(また、タイミングを計る力も決断力もスバ抜けていたという)
これはINTELのセカンドソースメーカーとして業績が伸びていったときも変らなかったようです。どんだけすごい営業力だったのか、想像も出来ませんけれど。
この人の有名な台詞に「真の男なら工場を持つ」というのがあります。
互換CPUメーカーが相次いで撤退していくなか、なんとか踏みとどまれたのは自社に工場を持ち、自ら生産出来たため。当時はこの生産能力が重要だったので、ある意味でわかりやすい言葉。
ただ、そうは言っても働くのは人間なわけで...工場はいつもものすごいスケジュール(苦笑)
会社がピンチになればなるほど、さらにスケジュールはめちゃくちゃに。休みなんてとれそうもないぐらい。
サンダース社長は会社がピンチになるとどこからか注文をもぎ取ってきてくれるのですが、そもそも納期に無理がある。せっかく仕事をとってきても生産が間に合わないと大変なことに。そんな時、彼はどうしたか。
クビにはしない、けれどともかく休まないで作ってくれ!
当時の従業員が聞いたサンダース社長の言葉だそうで。どこか日本の町工場の悲鳴のようですが、会社が苦しいときは事務所だけではなく工場でも陣頭指揮をとっていたようです(まぁ、顔を出して声をかけてるだけだでしょうが)。
逃げない。引かない。なんとかみんなを守る。けど、我慢もしてください。すいません。それを繰り返して。
まさに日本の社長っぽい。(しかも最近の中小企業や町工場の社長)。
再び儲かったときには工場の出口に立ち、従業員札束をくばるようなボーナスの支払い方もしたそうです。実際にもらった人がまだ生きてて証言してますから間違いないのかな、と。
派手好き=パフォーマンス好きなわけで、この辺りも計算でやってるというより地がそういう人なんだな...と私などは思ってしまうのですが...それなりに業績をあげてる企業の社長なのに、下っ端に混じって笑ってたりする。真の男なら...の言葉通り、工場を...そしてそこで働く人を大切に思っていたのでしょう。
そんなサンダース社長が、INTELを明確に「敵」と定め...AMDをどう舵取りしていったのか。
数々の訴訟。自社技術の手詰まり、さまざまな困難を切り抜けた方法とは。
天も彼を愛していたのか、運も味方します。
「半導体業界最強にして最低と言われた男。それでも愛され続けたかつてのAMD社長...その男、ジェリーサンダース(2)」
に続きます...
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