まず、案外知られていませんがAMDという会社は結構企業買収を繰り返す会社だったりします。有名なのはATiの買収とか自社Fab(製造工場)の切り離しとかですが、最初のヒットとなった互換CPUのK6...これ自体が企業買収で手に入れたコアを活用したもの。(後述します)
細かいところでは懐かしいMediaGXコアなんかも手に入れてたりしますし。
サンダースの特徴のひとつ「困ったら良いものを買ってきて自社商品にしてしまう」というやり方は創立してすぐの頃から顔を出しています。
これについては後述しますが、結構強引なものの迅速な合意と手続きで話を進めるため、他社が薄々気づいた時にはすでに話は終わっている...ということが多々あったとのことで。(売却も結構している。そして後からその売却はどうなんだろう?となることもある意味伝統)
また、半導体業界にはよくあることですがスピンオフした人々を手に入れて自社技術力を強化する...なんてことも結構やっています。そもそものAMDという会社自体がスピンアウトしてきた集団が発祥なので、これはある意味で当たり前なんですが、これが結構見事に「いいタイミング」で「いい人材」を手に入れているんですね。
私が調べた資料では、サンダースの経営・戦略は結構明快な論理があるように考えます。これは推論でしかないことをお断りしておきますが...
「敵の敵は味方」
「価値あるものは無理してでも買う」
「企業の大小は争い(裁判含む)には関係がない」
「開発技術は自社にこだわらないが、製造にはこだわる」
「徹底的な自信・自負を持つ」(会社にも自分にも)
「電撃的な発表を伴う密約を好む」
「他社が捨てたものは逆に自社のチャンス」
があるのかな、と。優れた営業マンであったサンダースらしい考え方かな、と私は思っています。上にあえて書いていませんが、あらゆる判断が営業的で、技術畑出身者ではおよそやらないことをやるのが、彼の真骨頂かもしれません。
有名な台詞である「真の男は工場を持つ」に代表されるように、どんなに優れた設計や商品があったとしてもしっかり製造出来ないとだめだという根底の考えがあったようです。もっとも、後にその工場が足かせになろうとは思わなかったかもしれませんが...(逆に売ることにかけては自分が売るんだからやってみせる、という自負もあったようですけれど)
この敵の敵は味方という考え方はしばしば顔を出すやり方で、INTELとの争いに他社を巻き込んで行く手法にもつながります。今回そこまで書いていませんが、サンダースが優れた営業マンであった証拠のひとつとしていつか取り上げたいと思っています。数字とトーク、そして魅力的なタイミングで魅力的な提案をし、自分に振り向かせる。これって結構すごいことです。
裁判等で使う場合によくある方法としては、係争中の案件に対する特許やクロスライセンスを保有する会社を買収し、その権利を行使する...という方法があるのですが、サンダースはその手をあまり使いません。(まったく、ではない。彼の手法はむしろ裁判をどう進めるかに偏る傾向があると私は思っています。その上で必要ならもちろんその手法も取る、ということで)
ではどんな手を好んで使うかというと、INTELとやり合うのにマイクロソフトを利用するとか、第三者、あるいは別の企業を巻き込む...そういうやり方だったりします。あるいは別のライバル企業と組んで(表だってやるより密約を好むようですが)対処する、そんなやり方を好む。
それは64bitCPUにまつわる話...
詳しい人には有名な話ですが、現在x86CPUで64bit OSを扱うのに必要な(というかまだ普及期に入ったところで、Windows7辺りからようやく一般家庭で使えるものになったという評価かもしれませんが)INTEL64やAMD64という技術...そう通称x86-64。
そもそもはINTELとAMD両社別々に開発していたわけですが、サンダースがマイクロソフトに働きかけて自社技術をプッシュさせ、その力でINTELに採用させることに成功した...と言われています。x86の拡張での話。専用設計ならINTELが先行して発売していました。後述)
実際のところはもっとややこしい政治的な話の上でのことですが、非常に簡単に要約すると
「AMDの浮沈がかかるサーバー市場への進出、これをなんとしても成功させるためにマイクロソフトを巧みに利用してINTELに圧力をかけさせ、自社技術を採用させた。結果としてAMDの技術が標準となり、AMDは旨みのあるサーバー市場へ進出する事に成功した」
ということかと。成功、といえるかは人によって評価が違うでしょうが、当時のINTELの支配率から考えると、AMDの食い込み方は奇跡にも等しいかと。(Athlonを武器にシェアを広げたことも評価されている)
とはいえINTELはそもそも64bitに特化したCPUを持っていました(Itanium)。
しかし価格の高さなどもあって普及はいまいち伸び悩み。秘密裏に(とはいえ結構バレバレでしたけれど)既存の32bitCPUを拡張して64bit対応させる方向も模索していました。
当時の雑誌などにもその存在は公然の秘密とばかりに書かれてましたので、たぶんINTEL自身が情報のリークをしていたんではないかな?とも思うのですが...それよりも先にアプローチを開始していたのがAMDでした(実際にはどっちが先というのは余り意味がなかったのかもしれませんが。正式発表はAMDが先行しましたが、開発自体はほぼ同時ぐらいだったのかもしれないので。下手するとINTELの性格からしてAMDより先に着手していた可能性もあります。INTELがパラノイアたる由縁に「自社の商品がライバルとするのは、やはり自社の商品だった」なんてことが多々あるので)。
INTELが64bitに特化したCPUを開発出来たのはある意味企業として余力があるからであり、AMDには当時そこまでの余力はなかったかな...と思います。とすれば、AMDが取るのは今もっているものでそれなりのパフォーマンスを維持しつつ64bitの性能を持たせる路線。
また、INTELがよく抱える「自社製品同士のぶつかり合いのジレンマ」の問題があります。低価格のCPUと高価格CPUでしばしば自社製品同士が性能の拮抗を見せてしまったり(時には安い方が性能がよくなってしまったり)、価格的にもつぶし合いになってしまったりするもので、この時は先行する(はずだった)Itaniumを自社の32bit製品の性能向上でつぶしてしまってはいけない...と判断していたようです。まぁ、AMDの場合は対処をしないので「上位商品より安価に売られる下位商品の方が性能が上だった」とか「あんまりパフォーマンスが変わらないCPUを乱発してしまう」なんてことをやらかしてしまうので、INTELがよく抱える...というより民生用CPUメーカーのジレンマなのかもしれませんけれど。
64bitは高くて性能のいいItaniumで!と行きたかったのでしょうが...INTELの思惑と世間の思いには隔たりが強かったようで...Itaniumの性能も、登場が遅れたせいで市場の要求に応えられるものになっていたかどうか。
先に書いたサンダースの好むやり方のひとつ「他社が捨てたものは逆に自社のチャンス」がここで効いてきます。かつてK6の普及の際にINTELが捨てたソケット7(スーパーソケット7)を活かしたように、今回はINTELがあえて専用設計に踏み切り、既存CPUの拡張という道を避けた(たぶん先に書いた通りのジレンマの他にもパフォーマンスとかマーケティングとかいろいろあったのでしょうけれど)のをチャンスとします。
また、Itaniumは開発が遅れに遅れ。サーバー分野では他の競合CPUがめきめきと実力をつけ。発売された時には少々時間が経ちすぎて...
実際性能も出た当時は「えーと...散々発売が遅れてこれ?」という状態で(それでも64bitOSで運用すればそこそこなんですが、32bitの互換モードではひたすら遅かった。個人的には使い物にならないぐらい。構造上これは仕方ない)、64bitOSの普及期では32bitOSも混在している(サーバーOSにおいても)状態ではその実力もいまいち発揮出来ず。(バイナリレベルでの完全64bit化はそもそも時間がかかるでしょうし)
もしこの時、完全64bit化されたサーバーOSが一気に普及していれば歴史は違っていたかもしれませんけれども。
共同開発したHPのサーバーに搭載され、DELLからもサーバーは出ましたが...いまいち普及にはずみがつきません。
これを運というべきか。あるいは...Itaniumはそもそも自滅の道をたどる運命だったというべきか。
安価に64bit化を...出来れば32bitの性能を犠牲にしないで実現して欲しいという市場の要求に、AMD64は見事に適応していました。もちろんINTEL自身も承知していたのでしょうが、市場の要求に応えるといえば聞こえはいいですが、高価格で売れる商品をあえて安価にする必要はないのが企業の倫理。INTELとしてはここはふんばってItaniumを普及させたかった。条件にもよりますが、評判ほどには悪いCPUではなかったかと。
先行発表されたAMD64はCPUのコストをそれほど上昇させず、ダイサイズにもそれほど跳ね返られないアプローチ。まさに市場の求める性能。
ですが、この市場の流れ...INTEL自身も当然把握していないわけがなく。
政治的な理由があろうとなかろうと、昔からINTELは「それ面白そう」とか「それいけそうだね!」という理由だけでCPUのコアの研究とかアプローチ方法とか研究しちゃう会社だったりするわけで。(マーケティングと技術開発は必ずしも連動しない風土をもった会社です)
INTEL自身も独自の方法で...32bitのCPUの拡張という同じアプローチをしていたのは先にも書いた通りです。これは通称Yamhillプロジェクトなどと呼ばれ、WEBでも雑誌でもさかんにその存在が示唆されていました。現在でもwikiなどに書かれている通りです。
困るのはAMD。万が一にもYamhillが後からでも発表され、マイクロソフトが支持を表明すれば...渇望していた市場に大好評をもって迎えられてしまいます。なんと言っても市場を制覇しているのはINTELなわけですから。
マイクロソフト以外のOS会社がサポートしてくれたとしても、小・中規模の...当時のx86CPUが活躍出来るサーバー市場ではやはりマイクロソフトの力は大きいわけで。(マイクロソフトがサポートしてくれれば、自ずと他のサーバーOSでも対応してくれる公算も大きくなる。現実として次のwindowsサーバーとなった2003では64bit版が提供されているので、働きかけるタイミングとしてはある意味ラストチャンスだった)
INTELとマイクロソフトの関係はもちつもたれつ。マイクロソフト自身がこの安価に64bitという方式を求めている。...INTELが自社製品のひとつを捨て改めて政治力を駆使してAMD64の排除に動かれてはたまったものではありません。
そんなことをされたとしたら...このままではINTELの方式が採用され、せっかく開発したAMD64はマイナーな仕様となるかもしれない。なんとしてもAMD64をOSで標準サポートしてもらわなければ。当時開発中だったハマー(開発名。後にOpteronと呼ばれたサーバー市場用CPU)はマイナーなCPUとされ、普及しなくなってしまう。INTELがx86の拡張による64bit化に躊躇しているそのタイミングのみが商機であり勝機です。
企業として高収益をあげるために。企業として1ランク上にのぼるためにも、PC市場のさらに上、サーバー市場に食い込みたい。AMDとしてはそれこそ「なにがなんでも」「どんな手を使ってでも」切り開きたい市場。この頃のAMDからすると「悲願の市場」だったわけで。
というか、ここで失敗することは企業として数年の後退、下手すると撤退、倒産、あるいは自社売却なども視野に入れなければならなくなります。CPUの市場はそれほどまでにINTELの独裁が許され、AMDはその隙間を狙って生きるしかなかった。だとすれば、このチャンスを逃すことは出来ない。
もう技術力の勝負ではなく、マーケティングというより見えないやりとり、見えない駆け引きの勝負といえるでしょう。
後から見ればわかることですが、このAMD64(商品としてはOpteron)は製品として非常にいいものを作っていました。モノがいいわけですから...後必要なのはマーケティングや営業力です。どんなにいいものを作っても、普及しなければ意味がない。逆に普及すればその力は大変大きなものとなります。
サンダースの営業力には定評があるのは先にも述べました。彼ならばおそらくもう少し正攻法でもある程度の市場を作り出すことも出来たのではないか、別の方法で売り込めたのではないか...そう思うのですが...
ここでAMDが取った手段は、ある意味ダーティ。というか、非常に狡猾なやり方。(サンダースが営業畑で育ったことがよくわかります。まだこの時点ではまだCPUは開発中だった)
この当時、サーバーOSといえばまだWindowsはそれほど主流(今でもLinux系の方が多いとは思うんですが)ではありません。とはいえ、AMDがサーバー市場に食い込むためにはマイクロソフトに是か非でもAMD64を標準サポートしてもらわなければなりません。このAMD64の仕掛けは1999年辺りから始まり、2000年に発表になっています。
先にも書きましたが、この時OSとしてはWindows2000サーバーが市場にでており、次期サーバーでは64bit化も視野に入るタイミング。市場、OSともにまさに立ち上がろうとするとき。ここで食い込めれば...
変な話ですが、INTELのYamhillと同じようにOSにサポートしてもらえれば、それはそれである程度の保証が得られ、多少なりとも普及することが出来たでしょう。ですが、あくまでもそれだけ。普及のはずみにはなっても決定打にはならない。
けれど。
サンダースがビルゲイツ...当時のマイクロソフトのトップに求めたのはなんだったのか。Yamhillをマイクロソフトがどう評価していたのか。どの程度の情報があったのか。
おそらくサンダースが出した要求は...普通なら、通るはずのない要求。けれど。この時、このタイミングだったからこそ...
...その頃のマイクロソフトは独占禁止法訴訟の真っ最中で、AMDに対して「ちょっと有利な証言して欲しいな」という状態。そこにどうもつけ込んだのでは...と言われています。(裁判資料等に記述はあるものの、正式な返事をしたとか契約した等の情報は公開されていないので、最終的にどのような約束が交わされたかは不明のまま)
なにせこの頃の資料は非公開のものが多く、憶測が多く入ってしまうのですが、散在する資料、様々な文献をあされば多少は見えてくるというものです。そして、その後の各社の行動を見ればなおさら。
結局のところどんな話し合いがあり、どのような取引があったのかは闇の中ですが、最終的にマイクロソフトは「AMD64はとてもすばらしい。マイクロソフトはこれを主軸にするから、INTELもそうしなさい」という圧力を加えます。いやまぁ、意訳ですけれど、だいたいそんな趣旨。
実際のところはもう少し高圧的だったのではないか、と思っていますけれど。
結果としてINTELはこれを飲み、「屈辱の」INTEL64が生まれます。Itaniumの採用していたIA-64ではなく、AMD64をベースにした規格・機能の実装...
INTELとしては結構屈辱の事件だったのではないでしょうか。独自技術にいつだって自信満々のインテルが、その独自技術ではなく他社の技術を搭載しろと言われ、結果としてそれを飲んだのですから。
もともと64bit用のCPUを開発し、万が一にもと32bitCPUの拡張についても対応はしていたわけですから...INTEL社内の技術者達の気持ちたるや、ちょっと想像すると辛いものがあったりなかったり。
これは技術力の差ではなく、政治力の差、駆け引きの部類の話です。が、サンダースはこの手の駆け引きに関してはとんでもない力を発揮します。この件だけでなく、この当時様々な企業のCEOなどと密談・取引を繰り返し、自社に有利な展開を導き出している形跡がありますし。
そもそもサンダースの最高にして最強の武器は「営業力」です。AMDが設立されたとき、同じ会社からスピンアウトした技術者たちはトップセールスマンでもあったサンダースの営業力を見込んで誘ってるわけですし、CEOにも据えているんですから。
話を戻せば、ここで勝ち得たマイクロソフトのバックアップが決定的な効果となりまして。AMDはサーバー分野に悲願の進出を果たし、そのシェアを拡大します。
INTELが後手後手に回る一方、低価格である程度の性能を出せるAMDのCPU(熱の問題でも結構優秀だった覚えが)はそれなりに評価されました。
もっとも、INTELもすぐにXeonサーバーにこのINTEL64を実装してみせて、関係者を驚かせるのですが(その搭載スピードは開発期間を考えるとありえないほど。実はPentium4にはずっとINTEL64の機能が搭載されながら、使えないようにされていた...と言われています。Xeonでは使えていたので、あるいは本当のことかもしれません。wikiのINTEL64のところに記述があります)
残念ながら初期ロットに問題があったりといつものごとく話題には事欠かないAMDなんですが、Opteronはそれらの問題をものともせずに結構売れました。
一応Opteronより前からサーバー用ということで、AthlonMPなんてCPUもあったんですがOpteronに比べるとシェアの小ささは...対してOpteronはアメリカのサーバーメーカーがこぞって採用を表明。
INTELもAMD64(実際にはINTEL64)を採用することが決まり、マイクロソフトもそれをサポートする64bitOSを出荷すると決まるとなると、将来性も確保されるわけで。それは大いに宣伝効果を発揮しました。ましてそれに先立つ1Ghz戦争において微妙に政治的な発表合戦があったとはいえAthlonが勝利しており、AMDの名はそれなりに上がっている時ですから...
サンダースはそのAthlonの名声等も利用し、AMDの名を広めつつサーバー分野に売り込みをかけます。これはもうなんというか勝つ条件を先に整えているというか戦術と戦略というかまぁ...すごいなぁとただ脱帽。
この辺りの話は半導体業界では周知の事実だったようで、サンダース恐るべし...というかもともと恐ろしい人だったけど、そこまでやるのか、それを実現してみせるか...と後々まで名を語り継がせる要因にもなりました。(同時に悪名にもなりましたが)
考えて見れば、それまでは低価格の互換CPUを売っていたメーカーが最先端のサーバー分野に躍り出て、しかも一定のシェアを得るにいたっては...まさに前代未聞のこと。
そもそものOpteronというCPUが非常によく出来たCPU。基本設計も優秀だったんだなぁ...と今にして思えばいろいろとわかるCPUです。というか、無茶して先進的なことをやるのはこの当時のAMDの特徴ですが(製造能力との釣り合いが取れてないこともままあった)、それが市場の要求と強化された営業力にピタリとはまった感じですか。
HyperTransportの力も大きかった気がしますが、今回は技術的なところは割愛。
K6のちょっと前...互換CPU路線でAMDが躍進を続ける中、サンダースがもらってる給料は半導体業界の中でも上位も上位。これはまぁ昔っからなんですけれど。その後もかなりのお給料をもらい、経費を使っています。
Opteronが発売された当時はすでにCEOではなくなっているのですけれどまだ会長職にいる間はお金も経費も結構...。考えると結構すごいことしてますね、この人は...
若くて美人の奥さんをもらったり別れたり、恋人が年中違ったり(しかもすべて美人のモデルみたいな人)、高級車を買っては手放し...また別の車に。まぁ、頻度は言うほどでもないと思うんですが(女性関係を除く)、車に関しては確か個人の所有ではなくAMDの所有だったような...そんなことはないとは思うんですけれど...どうだろ(笑)
ちょっとこれは資料がないんで定かではないんですが、会社の経費もかなり豪遊してる人なんで「ああそうかも」と思ってしまう話ではあります。
会社を私物化している=サンダースと言われるぐらいの時代もあったかと。
まぁ、頂点は1970年代から1980年代の終わりまでかと思うんで実際にはAthlonやOpteronの成功で彼が大金を使うことは出来なさそうなものなんですが...NexGen買収の頃がこの人の栄華の時代といえばわかりやすいかもしれません。でも1990年代や2000年代の最初の頃はまだまだやんちゃしてるので、もしかしたらなんかやらかしてやってくれているかも。
その頂点の後、後継者を自ら招き入れて引退の道筋を作っているのもこの人らしいといえばらしいかもしれませんけれど。最後まで自分の思い描くとおりの人生を演じきって見せました。
話を戻して...この頃も含めてサンダースの経営には「密室談義」...いわゆる密談による決めごとが多いのが特徴です。
実はこれ以前にも密談による決めごとでAMDは危機を乗り切っています。
K6...かつてINTELが捨てたソケット7市場を席巻した低価格CPU。その後出たK6-2の方が性能も高く、様々なメーカーに採用され知名度も高いのですが、そもそものK6自体が密談で手に入れたものだ...となると、これは結構驚かれる話だったりします。
Wikiを見ても、様々な書籍でAMDのことを調べても明記してあることですが、このK6というCPU、そもそもは別会社で設計されていたものを会社ごと買収して手に入れたものです。
前作K5で一定の性能を出したAMDの技術陣ですが、その次のK6の開発には難儀していました。先にも書きましたが、サンダースは「自社の技術にこだわり」ません。
K6の基となったCPUはNexGen社が開発していたCPUだったわけですが、このNexGen社のトップとサンダースは「密談」してNexGen社の買収を決定しています。その取り決めから発表、AMDへの合併までの流れの速さ、見事さ、タイミングの秀逸さは今みても手早く、驚くほど大胆。
このK6も初期はいつものAMDらしく諸問題あったのですが、K5よりも市場の受けがよかったのは事実。まぁ、このK6がINTELを怒らせてしまったのか訴訟合戦の再発と激化はこのK6発表後から激しさを増していくのですが...(この時点でAMDとINTELの間の訴訟の大半は和解しており、それがゆえにAMDは独自設計のCPUを作らなければならなくなっていた)
再度起こった訴訟合戦の口火は製品の内容ではなく商標問題だったかな、と思うのでこの辺りも興味深い話ではあります(後々の3DNow!の登場とか、いろいろ)。
そしてこのNexGen社のスタッフがAMDで新規に設計したのがAthlonと聞けば、経緯はどうあれその買収がどれほどAMDの躍進に役立ったかがわかろうというものです。
そのサンダースのやり方が正しかったのかどうかは、たぶん当時の、そして今のAMDの幹部達にしかわからないことでしょう。
ただ、結果として30年近く会社を私物化したといわれたサンダースが残した功績は大きいものだと思います。例えそれがどのような方法であったとしても。
2002年頃サンダースはCEOを退いて、自ら招き入れたヘクター・ルイズという人にその地位を譲ります。
このルイズという人の功績も大変なもので、派手なサンダースとは対照的にしっかりと会社を運営する人で(悪口もないではないんですが、サンダースと比べると圧倒的に少ない)。AMDの黒字化に向けた取り組みは大きく評価されていますし、この人の時代がK6やAthlonの黄金期かと。
この時点でサンダースは会長としてAMDにとどまり、まだ影響力を保っています。正式に会長職を引退するのは2004年頃なので(会長になる時「いずれすぐいなくなるよ」と言っているので、当初から計画された引退みたいです)、その頃まではきちんと影響力を保持していたようです。
(ちなみにルイズが会長職に退いた時、サンダースは「名誉会長」になってます)
サンダースの名言「真の男なら工場を持つ」
AMDがAMDとして力を発揮するための原動力となった工場ですが...次第にその工場への投資などが足かせとなっていきます。半導体の製造はとても大変で、しかも進歩が早い。相当の体力がないとCPUだけの製造ではやっていけなくなってしまったのか...
ついには2008年。AMDは工場の売却を決定(株主として関わる)します。
これは相当INTELともめる原因にもなりましたが、これでAMDは身軽になり、今日にいたります。
今のAMDには、当時の派手さも少なく...経営陣なども移り変わり。創業当時のメンバーの姿も見えなくなり。着実にx86互換CPUメーカーとしての足場を固めつつ時代を築いています。
訴訟問題も以前と違って少なく、INTELとの関係も小康状態を保ったまま。
サンダース時代の残滓は...この工場売却が最後と見ています。終焉はもっと前、会長引退の時だったかと...
サンダースが残したもの。
今のAMDの礎、その功績。
そして派手に使った金。
仲間を大切にし、製造に携わる人たちを愛した男。
簡単には評価できない男。
その営業力・洞察力・交渉力は「最強」の名を欲しいがままに。
その豪遊振り、放蕩振り、会社の私物化振りは「最低」の男だと蔑まれ。
それでもシリコンバレーで、PC業界で、サーバー業界で...それこそ様々な会社で愛され続けた男、ジェリー・サンダース。
彼がいなければ、歴史が大きく変わっていたことは間違いなく。
INTELの独占市場に挑み、その足下に蹴りをいれることに成功し(決して揺るがしたとは言えないかもしれませんが、間違いなく影響は大きかった。そもそもセカンドソースの仕事をIBMからとってきたのもサンダース)。
悪評も含めて、私はこの人物のことが大好きです。
だからこそ、いろいろ調べて...さらに好きになりました。本当に人間臭さにむせかえるほど...とことん人間臭い人。
人生を謳歌した半導体業界成功者の一人。
けれど、どこか寂しさのつきまとう人生。金に泣き、金にまみれ、人を愛し、人に泣き。そして人生を謳歌する。
最後に、サンダースの金の使い方について補足しておきます。
大金持ちとなり、さらに高額な給料をもらい、贅沢をするサンダース。一方ではその見方は正しいでしょう。
けれど、実際のところ彼は「自分だけ金持ちになる」のを嫌っています。社員全員が金持ちじゃなきゃ、楽しくない...というか自分がもらえない。
また、自分が稼いだ給料を惜しみなく浪費することで社会への還元も果たしています。また、会社が大いに儲かれば社員にボーナスを振る舞い、志気を高めたりもしています。
私財を使って社員のために何かすることも嫌がりませんでした。慈善事業にはそれほど注力しなかったようですが、AMD社員のために惜しみなく力を使うことに関しては彼以上に勤勉だった人間はいなかったのではないか、と思っています。
半導体業界において、モトローラー・フェアチャイルドなどを経てAMDへの参加。でも、その能力は技術者ではなく、営業マンとしてのもの。
技術者としてスタートし(工学学士だったはずですが、自分の若いころのことについてはさっとかわしてしまうため、意外と知られていない)、社会に出て...彼が見出したのは「営業マン」としての自分。
他人には「その方が贅沢出来るから」と言っていたようですが、本当のところはどうだったのでしょうか。まぁ、この頃の経験から「営業なら会社の経費で贅沢出来る」という概念が染み付いちゃって、ずーっとそのままだったのは確かなようですけれど。
半導体業界でも彼は一貫して「セールスマン」であり続けました。それはCEOになっても変わらなかった。
製品を売り込み、会社を売り込み、自分を売り込む。
彼が「最強」なのは、技術畑の人が多い業界...それもあの年代に「営業マン」「セールスマン」として最前線にい続けた経験があったからではないかと。そして最後まで彼は営業マンでありつづけました。
AMDの製品は実際のところ競合製品に劣勢を強いられることも多々あったと記録に残っています。けれど、サンダースはその製品で競合他社を押しのけてくるのです。自らのセールスマンとしての力で。
そして工場や営業部に現れて言うのです。「売れたよ、次もいい製品を頼むよ」と。当時の資料が少なく、実際のところサンダースの言葉はあまり残っていないのですが、煙たがられず、むしろ歓迎されていたということはそれなりのトークをしていたのではないでしょうか。
彼は自社内で自分を売り込んでいたのかもしれません。けれど、その笑顔に、実力に...仲間たちは苦笑しようとも、逆らおうとは思わなかった。むしろ感謝していたのではないでしょうか。
他社買収による自社技術の底上げ。そして徹底した営業目線。
サーバー分野等への高収益分野への進出は遅れがちで...INTEL対抗路線であるがゆえにCPUはいつも安売りのバーゲンセール状態。
それでも...どんな商品であろうとサンダースは売り続けました。
それでも...彼は愛され続け、かつ社員を愛し続けました。
高い給料も自負の現れでもあったでしょうか。強引な手法もままあったかもしれません。
けれど、彼のやり方でなくてはおそらくAMDは生き残れなかったろうし、彼なくしてあの成果(主に営業面で)はありえなかったと思います。
意外に知られていない人ですが、現在も存命のはずです。ダーティなイメージの姿と...ニコニコと社員とボーナスについて語る姿。どちらも彼の本当の姿で、魅力的な姿なんではないでしょうか。
「競争はいいことだ。どんどんするべき」
サンダースの口癖は、今のCPUの低価格市場を...そしてINTELの独占を阻止することになる。商品の発達も含めて、競争が無い市場は停滞する。そういう意味でもAMDの存在、そしてサンダースのやってきたことは価値あることだったのではないでしょうか。
(9/26 文章修正、誤字修正をしました)
近いうちに今度はそのサンダースが率いたAMDのCPUやチップセットについて...「AMDがATiを買収した価値(1)...苦難の旅立ち。チップセットの難しさと純正の価値」で書こうと思います。
よろしければ、前編に辺るこちらの記事もどうぞ。
「半導体業界最強にして最低と言われた男。それでも愛され続けたかつてのAMD社長...その男、ジェリーサンダース(1)」
※この記事は当ブログが調べた情報で書かれています。(株)AMD社の許可をうけていません。
関係会社・本人より抗議・訂正をもとめられた場合はすみやかに対処しますのでご連絡ください。
また、記述者の独自の考えで描写していますので、実際の人物とかけ離れた印象を受ける場合があります。