あの時起こったこと...震災時に「使えた」のは

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 震災から一週間が過ぎ去ろうとしています。

 未曾有の大災害に見舞われた方には心からお悔やみと応援の言葉を贈らせていただきます。頑張れなんていいません。生き延びてください...そして後日互いに笑い合えるようになれればと思っています。

 さて、東京でも強い地震が訪れました。私はシステム部署の事務所内にいたのですが、最初の揺れの時はたいしたことがないだろうと思っていました。ところがその後すぐ「縦」に建物が揺れた感覚がありまして...

 

 

 こいつはずい!と思って瞬間同僚の...開発では私のリーダーにあたる方がとっさに非常階段のドアを開けに走りました。私もその後に続きましたが...ドアを開けた瞬間強い揺れとともにドアの外のビルが大きく揺れているの見えて。

「これはやばい!」

 その時背後をインフラ関係での私のリーダー担当の方がサーバールームに向かって走っています。

「まずい!固定していなラックサーバーがある!」

 リーダーとともにサーバールームに走ると...普段なら人の手では少しも動かせない重量のサーバーラックが違いに接触し「がっちゃんがっちゃん」と音を立てていました。

 本来なら自分の安全確保のために避難なのですが、サーバーが倒れては以後の被害の予想もつきませんし...あの時点ではそれほどの災害とも思わず。サーバーにとりつき必死に固定します。背後から新人の子も来て数人でサーバーを支え...

 その瞬間再び大きな揺れ。

 

 サーバーラックとチークダンスを踊る数組の男達がそこにいました。

 

 むしろその重量に頼るようにしがみつく。床に固定されたAS400等のサーバーはびくともしていませんでした...

 私はその日新宿ではなく池袋の事務所にいたのですが、事務所内で悲鳴があがります。

「サンシャインが!!」

 池袋のランドマークのひとつ「サンシャイン60」がものすごく揺れていたそうです。私はその時サーバーにとりつくとともに、各リーダーと声を掛け合って脱出経路の確認とサーバーの保持に努めていたためその姿は見ていないのですが...同僚の言葉によると「倒れるかと思った」そうです。

 耐震設定構造である以上は「大きく揺れる」のは知識として識っていましたが、見た人たちのインパクトはものすごかったようです。

「通信回線を確認します!」

 大きな揺れが収まったあとぐに携帯を使うもののすでに発信不能。3回試してAUの携帯もiphoneもだめなのを確認し、すぐに固定電話を使います。この時かけたのは...母のところ。固定電話番号が他に浮かばなかったのもあるんですが...

 数コールでつながり、固定電話が断線していないことを確認しました。こういう時母が使っているカッパー回線は本当に強い...無事を確認後すぐに電話を切り周りの数人に事務所と家族の確認を進言。

 すぐにまた強い余震...

 この時点ですでにどこにも連絡がつかず。

 揺れるビルの事務所の中でみなが不安におののいていました。

 ともかく上司から待避命令も出ないですし、誰も動かないのがあだとなった脱出しようとするものがいない。後でリーダーシップについて強く考えることになる事例でしたがここでは割愛します。

 PCのネット環境はばっちりつながっていましたので(もともとサーバー類があるため太い専用線がある)、情報収集に努めます。が、たいした情報が入らない。

 この時点で最も頼りになったのは...「Twitter」と「SkypeなどのIP電話」と「グループウェア」...そして「ワンセグ携帯」でした。

 ネットで情報といっても...実は情報があつまりそうなところは負荷が強かったのかあまりアクセス出来ず...Twitterを立ち上げるとそこには生の情報が。

 何人もの社員がワンセグを使ってニュースを見るのですが、実際のところNHK以外はまだ通常番組が流れていたりしてまったく役にたちませんでした。Twitterで知り合いのTLを見ていると...想像以上にひどい地震であることがわかります。

 電話はこの時点でアウト。社内の連絡はメールが最初飛び交いましたがある程度のグループ同士で情報共有するにはグループウェアがよいだろうと皆が気づいたのか、すぐにそちらに移行しました。

 余震が続く中友人知人に連絡をとりたくてもすでに携帯等のインフラは死亡しています。そもそもソフトバンクがつながるとも思えない...と思ってiphoneを触ってみると...

「3G回線は生きてる!?」

 ネットが見れるということは...

 すぐさまSkypeを立ち上げると普段よりも多くの人数がログインしています。片っ端からかけると...ほぼ全員と通話が出来ました。(音声遅延がひどく、昭和50年代の国際電話みたいになってましたが)

 Skypeとは別にViberというソフトもあるのですが、こちらはログインしていなくても使える利便性があるのでSkypeを使いたくない友人達と以前「こいつは使える...もしかの時にいいかもねー」なんて話てインストールしていました。こちらもやや音質に難があるもののつながりました。

 幾人かはモバイルルーター経由でAndroid端末使ってたり、一人だけ3Gなipadだったりしたんですが(よくインカムつけてたな...)ほぼ全ての人間と連絡が常時取り合える状態。ややつながりにくくても少し時間をずらせばなんとかなるレベル。

 ともかく身近な人の安否は地震から15分程度の間に全て確認し、通話しつつサーバーの状態などをPCでモニタリングして行きます。

 数人でのチェックの結果...東北のクライアントから応答がない...

 未曾有の災害で電気が止まったのかそれとも...後に判明するその大きな爪痕には...残念ながらこの時は気づけませんでした。

 幾人かが階段を下りて安全を確保。ともかく上がどっしりとしたのと同僚達もパニックを起こしているものは皆無だったのが幸いでした。若手と女子を避難場所に送り出して私はサーバールームに待機しました。

 再び地震が起きては...というのもありましたが、構造上ある意味一番丈夫だったのと、サーバーが倒れ込んでこない限安全で、強い通信回線がある場所でしたから。

 ビルが倒壊するようではもう仕方ないと思いつつ、再びTwitterで情報収集開始。電源が生きているうちにiphoneの充電をしつつSkypeなどで知り合いからも情報を収集。ともかくこういう時に必要なのは正確な情報なのですが、Twitterも様々な情報が流れますのでその情報を取捨選択しつつ、ともかくある程度の方向性といくつかの情報をピックアップして上司に報告。

 同僚達はワンセグのNHKからの情報で未曾有の災害であることを確認します。

 ここからはともかく何も出来ない時間が過ぎていきました。

 帰宅命令は出てなかったのですが、帰りたければ帰れる状態。しかし電車が動いているわけもなく。陸路だってどうなっているかわからない。

 私はといえば、以前の出来事もあってある程度の救急救命について研修も受けていましたし、セカンドバッグの中にはLEDライトと糸と針、簡単な止血が出来そうなひもなどを持ち歩いていましたので「もし誰かが怪我をしていたら」に備えてそのまま事務所に待機していました。

 もしや怪我人がいて困っている人はいないか...というのもあり。Twitterで「何かあれば駆けつける」旨書いたりしていました。腕力ありそうな人にも声をかけて。

 その時のツイートはこちら。

 心臓マッサージ・止血...身近なもので出来ることはたくさんあります。以前それが突然必要になることを学ばされましたから...その後の余暇を使ってAEDの研修などにも参加していました。出来れば役に立たない技能として終わってくれと思いながら...

 幸い都市部の大きな地震ではありましたがガラスが割れる等の被害がなかったのが幸いしたのか、大きな怪我人はなく。結局は深夜まで待機していましたが...

 普段当たり前のように使っている電話がだめになった時。通信手段が断絶している時。

 ネットだけは生きていました。

 また、TVの情報がいかに不正確かも...なにせ現場にいる人から直接情報を得ているのですから即時性では比べようがありませんけれど、それにしたって「憶測」でものを言っているのが...普段はいろいろ言っていましたがこの時ばかりはNHKの強さを見せつけられました。早い段階からヘリを飛ばしていたようでかなりの情報がそろっていましたし...何よりそこには「こう伝えよう」とか「こう思わせよう」というものがありません。情報をともかくきちんと伝達している。

 民放は...というと、すでに地震ワイドショーの片鱗が見え始め。見ているだけで疲れるほど。これは震災の後ほぼ民放の番組を見なくなってしまった原因なのですが...まだ震災の当日はそれほどでもなかったんですけれど、キャスターの無理に作る深刻そうな顔がとても嫌なものに見えたのを覚えています。

 この時わかったのは停電しているところでも「ワンセグ」は受信出来るわけで、被災地でもある程度の情報は入手出来たということ。それとネットがつながっていればテキスト文化勝利ではないですが少ないデータ量でかなりのやりとりが出来るという事実。フェイスブックでいろいろ確認していた部長もいましたし...私もTwitterの力を思い知らされました。

 夜になってもSkype等の通信手段は全然使える状態であったため、地下鉄が動いた後ある程度の場所まで移動し...そこで車にピックアップしてもらいました。

 この友人との連絡、待ち合わせはすべてTwitterとSkype。そういえばこの人との連絡手段の中に電話番号が入っていないのもすごいんですが...まぁこの人はIT最先端に生きてる方なのでむしろ必然的にそうなっているのかもしれませんが(平常時でもそれで困ったことはない)。

 なんとか自宅に戻ったのは3月12日。

 実はこれ...私の誕生日です。

 まぁ中年独身男の誕生日なんてロクなもんじゃないんですが(特に誰に祝われるわけでもない)、この時ばかりは「なんて誕生日だ...最悪だ...」などとつぶやいていました。

 自宅に帰ってみると...心配していた本棚は無事。PC周りはというと様々な空箱が落ち液晶モニターとキーボードを直撃していましたが壊れてはいない。

 寝室に入ってみると...

 なぜかタンスが布団に寝ている(苦笑)

 結構離れた位置にあったはずのタンスがどう動いたのか布団にぴったり合わさるようにしてうつぶせで寝てまして。

「なんでおまえが寝てるのよ...」

 と独り言。

 がたがたと元に戻そうとすると今度は引き出しが全て落ちる。中身も散ってしまい。

 ほとんどドリフのコント状態。

 なんとか片付けて。水やガス等に問題がないことを確かめて。

 高ぶった神経を休めるために風呂に入りました(ガス漏れがないのを確認してからですが)。

 

 ここまでが「あの時起こったこと」です。

 その後の東京はニュース等で報道されている通りですが、帰宅時に思ったのは「みんな無理してでも帰ろうとするあまりにむしろ帰れなくなっている」ということ。

 道路には車があふれています。ちょっと見れば「進んでない」のがわかる。都心ではまさにそう。

 私がピックアップしてもらった場所は比較的車が走っていない場所(それもすでにTwitter等で確認していた)。都心に迎えに来てもらうのは早期に不可能と判断していました。

 歩くのも考えたんですが途中の橋がどうなってるかわからない。

 JRは早くに運休を決めましたがこれはむしろ英断だと思っています。橋脚について少しでも知識があるならば「夜間に検査」なんてのはとても難しく...ましてその場所に職員が移動出来る手段があるかどうか。

 夜を徹して徒歩線路上を歩いてチェックするしかない。そう考えると早くても翌日の朝一部動くぐらいか...と。

 そして東京メトロ。都営地下鉄はそうそうにホームページが見れなくなりましたが、メトロのページはビクともしてませんでした(どんなサーバー体制なのか興味があります)。情報は逐次更新され、しかも「復旧する見込みがありそうな」感じが見受けられ。ならば会社に泊まり込む覚悟で待てばもしや深夜動くのではないだろうかと。

 地下鉄は地震に強いといわれています。その言葉が正しいなら...果たして深夜に復旧した東京メトロは朝まで不断の努力で運行を続け、帰宅難民が歩くのをあきらめた時に助け船となりました。職員の皆様には本当に頭が下がります。あの短時間で徒歩による軌道検査を終えたのかと思うと...

 駅員に食ってかかる人もいましたが、見るに堪えないので引きはがしていたりもしたんですがそれは余談。きっとカルシウムが普段から足りない人なのでしょう。骨も関節をちょっと押さえただけできしんでいましたし。プロがプロの仕事をしているのにそれを邪魔するのは私は好きではありませんので...あとちょっと耳障り過ぎたのも...

 帰宅してもネットはしっかりと機能し、無線LANを介してFacetimeで友人と会話。ようやくクリアな音質で会話が出来てほっとしました。余震が続いていたためまったく眠れず...ようやく寝たのは朝。

 もっともその2時間後にはAUが復旧したのか母親からの電話で叩き起こされましたが。

 首都圏で被災してわかったのは「東京のもろさ」もそうなんですが、ネットの強さだったでしょうか。あと、様々な人の善意がネットワークにも働くのだということ。文字のやりとりであってもそこには暖かさがあるのだな...ということ。

 一週間が経過し、爪痕は残るものの首都圏はその機能を回復しつつあります。電気が不足していたり買い占めがあって食料品が買いづらかったりしてますが...何も手に入らないわけではなく。肉や野菜があってもカップ麺やパンを買いあさる主婦達を尻目に野菜と肉を買ってポトフなど作ってみたり。どうやらTVを見ている人は「これが足りない」と言われるとそれを買いまくる傾向にあるようで。

 だったらTV見るなよな...と思ったりもする日常に回帰しています。今回の震災でTV...特に民放は「使えない」インフラだと思ってしまったので...今後ドラマやアニメぐらいしかみないかもしれません。「使えた」のはネットインフラと...NHKだけだったかも...ただそのNHKもネット経由で見てましたので(ワンセグは携帯のバッテリー温存のため使っていなかった)、ほぼネットだけが使いものになったのかな...と。

 東京の被害は東北の方々に比べればたいしたことはない...私はそう思っています。ときたまある停電もイベントだと思ってしまえばたいしたことはないかと。(冷蔵庫も最近は優秀で。数時間の停電でも中身が余裕で無事だったりするものもあるようです。友人は「氷が溶けてなかったよ!最新型いいね!」などと言う始末)

 まぁ、その停電時に飛ばしまくってるバイクとか見るとちょっとぞっとしたりもするんですが...町田辺りであれを見た時は心から「怖い」と思いました。ある意味地震以上に...

 

 今後いざという時のために...なにがしかの通信手段は確保しておいた方がいいかもしれない。

 そう強く思ったのが今回の震災でした。

 最初にも書きましたが、東北の被災地の方々。様々な風評被害も出ていると思います。けれど私は信じています。必ず立ち直って...うまい食べ物とうまい酒をもって「なんでこんなにうまいもんを食わないんだよ」と笑って言ってもらえる日が来ることを。実家のある茨城も被災し、やはり原子力関係の風評被害が少しはあるようです(東海村の事件の時もそうでしたが)。

 あの時...親戚のおじさんの言葉を母親経由で聞いたのを思い出します。

「んなこと言ったって検査でなーんも出ないっぺよ。んで、うまいんだぁ。したっけくわねーわけねーべよ。くわねーのは馬鹿やろうだっぺよ」

 なんで方言丸出しで教えてくれるんだろうなどと思いつつ。なんとなくおじさんの顔が浮かびます。まぁうろ覚えなんで方言割とめちゃくちゃですが...でもおじさんのしゃべり方はだいたいこんな感じなんで、もしかしたらおじさんの方言がすでに崩壊してるのかもしれませんけれど。

 ITは津波の前には無力でした。全てが押し流されてしまいました。けれど地震ではつぶされなかった。

 このことを踏まえて今後のインフラというものを考えさせられたりもしました。この辺りは職業病かもしれませんね。