英雄の帰還...日本人を狩るために戻って来た男

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 ブルックスの法則という有名な法則がある。かれこれ30年も前に書かれた本(原版の初版は1975年に発売というからずいぶん古い。私が読んだのは2002年に20周年記念として発売された「人月の神話 狼人間を撃つ銀の弾はない」だった)に書かれている法則で、「遅れているソフトウェアプロジェクトへの要員追加はさらに遅らせるだけだ」という言葉が有名だろう。
 ブルックスの法則を一言で表すと「9人の妊婦を集めても、1ヶ月で赤ちゃんを出産することはできない」という言葉になるらしい。

 提唱者は著者でもあるフレデリック・ブルックス
 有名な「デスマーチ」を提唱したのもこの人である。

※各名称からwikiの該当記事に飛べます。難しい語句の様ですが、読めばなるほどとわかるかと。

 読めば読むほど...システム開発じゃなくてもよくある話で、それがゆえに今でもよく起こる問題のひとつだということがわかる。良質の本だ。


 実際のところ単純な仕事であれば人数の投入で仕事の速度をあげることは出来る。けれどソフトウェア開発は...知っている人ならわかる通りで極めて複雑な状況下で行われている。
 当事者からするといまさら人員増強を図られても、プロジェクトの概要を説明するのは難しいし、教育するのも時間がかかるし...既存の人員に負担をかけるだけだった...なんてことになりかねない。いや、実際その通りになることが多い。

 短期的に見ると人を増やした分だけ送れてしまうこともある。この法則はそういったことを言っている。つまり人月(工数と共にソフトウェアの開発上予算を決めたりする際の指標に今でもなっている。1人が1月その作業に従事すると1人月となる。5人が2ヶ月なら10人月となり、極めて単純に開発費用を計算することが出来る。※IT用語辞典の該当ページはこちら)の神話とはそういうこと。ただ人を増やすのは愚策という話かな...人によってとらえ方はあると思うけれど。

 もうずいぶん古い本ですが、今でも通用する内容だし、とても考えさせられる本なのでお勧めの一冊。もちろん、今となってはもう古くなってしまっていたり、これは違うんじゃないか?という部分もあるだろうけれど、それでも一度は目を通しておくべき本だと思っています。

 私は実践と現場での学習で叩き上げとなりましたが、後にこの本を読んでかなりうなることに。本を読んだ後、様々な事例にぶつかる度「なんと現実の難しく複雑なことよ。コストや期間だけですべてが決まるのならこんなに楽なことはない」とため息をつきまり。過去を思い出せば...もっと濃いため息が長く漏れてしまったり。
 それでも概念としてこの本が全面的に間違ってると思ったことはなく。正しいことを実行するのにはとても...とても大変だということを胸に刻んで今も仕事をしています。

 

 設計者、マネージメントに携わる人は読んでおくべき本。そう思います。

 

 特に新規システムや、システムリニューアルをこれからやろうという時は是非。盛り込みすぎたシステムの末路に思いを馳せる時、この本のいくつかの文章が頭をよぎると思います。泣きたくるほどよくある現実がここには載っていますから。

 特にセカンドシステム症候群はまさに今現在自分が携わる業務に暗い影を落としている要素なので、最初からこのシステムの構築に携わっていればと悔やむことしきりだったりして。一度動き出したプロジェクトは途中から軌道修正しようとしても難しいものだから...

 前置きが長くなったけれど、なんでこの本の話をしているかというと...そもそもこの本を私に勧めてくれた人物がいます。かつて同じ上司の下(IBM出身のかなり出来る人でした)で共にシステムについて学んだ人で、私より年長。今年確か45歳になったはず。

 私と違って長い間ずっとシステム畑一筋(私は寄り道が多く、様々仕事に関わってきたため職歴がめちゃくちゃ。営業もやっていればプランナーもやってますし...)。
 一つの道を究めた人なのですが、プログラムも出来れば設計も出来る。その上でマネジメントについても深く学び、実践してきた人。私からすれば尊敬しても尊敬しても足りないほどの「英雄」です。

 私がシステムや開発畑を飛び出し...様々な職種を経験した後に、再びシステム系の仕事に戻ると話したら...大変に喜んでくれて。
 報告したその日に一席設けてくれたのは私にとってとてもうれしい思い出となりました。数寄屋橋近くのやきとり屋で3時間、なにやら熱く...それでいて無駄な話を熱心にしていたのを覚えています。

 営業力、マネジメント力、なにより粘り強さと意見を通す強靭さ。私が上司を上司とも思わないぐらいのきつい言葉を吐くのは、この人の影響が強い。

「力をつけとけよ。部下として仕え甲斐がないだろう。全力で支えるのが部下なら、その力にきちんと乗ってみせるのが御輿たる上司の勤めだろ。部下として恥ずかしくない実力つけとけよ」

「わからななければ聞く。恥ずかしくても聞く。何度でも聞く。わかるまで聞くんだ。そうしたら次は迷惑をかけない。わからないまま勝手なことをすることの方が余程他人の迷惑だ。仕事とはそうやってひとつひとつ力をつけてきちんとこなせるようになるのが一番だ」

「責任者には責任を取ってもらう。逃がさない。絶対にだ。そのための高給取りなのだから」

 この人から学習したいくつかの言葉は今も私の心に息づいている。その替わりに部下としての勤めは死んでも果たす。上司に恥はかかせない。
 仕事をする以上、配置初日から我々はプロなのだ。出来ませんなんて言葉はない。出来ない理由を述べ、それをクリアするために必要なことをきちんと説明出来るのが最低限。なかなか私は出来ないで苦しみますが、それでもやれることはやる。それもまたこの人から学んだこと。

 私は友人に慇懃無礼な男(決してほめ言葉ではないが、経営者相手でも意見を投げかける姿勢は変わらないし...どんなに丁寧な言葉遣いをしてもその内心が漏れてしまう未熟さゆえ否定は出来ないでいる)と言われるが、この人を表すなら...

「不撓不屈」「徹頭徹尾」「質実剛健」「権謀術数」「臥薪嘗胆」

 目的を定めたらそのための計画を練り、実現のための可能性を上げるための手段を講じ、じっくりと時間をかけて実行していく。骨太な計画とタフな精神力で時間をかけてでも必ず目的を達する。そして謀を仕掛けられればそれ以上の謀略をもって相手をたたきつぶす。その戦闘力は敵対したくないと今でも思うほど。

 この人が30代の頃はこの戦闘力が飛び抜けて高かったのがとても印象に残っている。

 面映ゆいながらこの人の中ではなぜか私の評価が高いのだそうだ。以前もそう話していたし、先日お会いした時もそれは変わらなかった。

 私のどこを評価しているんですかという問いに彼は即答してくれた。

「お前はプログラマーとしては3流かもしれない。システム屋としても2流かもしれない。けど、1流のプログラマーを気持ちよく働かせて彼らに手柄を立てさせることに関しては右に出るものはいない。また、多人数の人間の感情のもつれや業務の衝突をひとつひとつ丹念に引き剥がし、まっすぐ流れるようにする力は他の人間の追随を許さない。性格もあるんだろうが、敵を作りやすい性質のくせに、その敵をコントロールする術をもっているんだからタチが悪い。謀をするにしても事前準備をきっちりとやり、人間の配置もコントロールもした上で余力をもってあたる姿勢は最悪に近い。仕掛けられた時点で勝敗が決まっているようなやり方は真似出来ない。昔はともかく今は様々な仕事を経験したことで粘り強く応用力も持った。お前が『やる』と決めたことを覆すのは相当難しいだろう」

 それまったくほめてません。泣きそうになりました。

 まぁ...過分な言葉ではあるけれど、確かに他人とだいぶ毛色が違うなぁというのは自分でも思うところなので一応は承ったりした。酒もあって二人とも大変にはしゃいでいたのを今でも覚えている。まぁ二件目の居酒屋でのことではあるが、十四代(とてもおいしい日本酒です)をあの勢いで飲んではもったいないなぁとも思うけれど。

 昨年...一昨年から昨年にかけて、彼はとある会社のシステムリニューアルに携わっていた。開発は暗礁に乗り上げ、もはや作り直すしかない状態。経営陣の不信感が頂点に達し、会社内の権力闘争もあり、古い基幹システムや業務運用にガタがきて支障が出ていた状態。
 もう新規の開発は無理、市販パッケージを中心としてやるしかない...けれど、誰もそれが出来ないでいた...そんな状態の会社の仕事をあえて引き受けた。

 どんなことをしていたかは以前ちょっとだけ記事にしています。

更新出来ないシステム...逆転の発想で挑め(2)

 まず業務内容の把握と運用の実態を綿密に調査したそうです。現在のシステムに合わせて構築された業務ルールやローカルルールまで、部下となった人間を早々に掌握して使い...丹念に調べ上げて、それから業務要件の確定を行ったと。
 市販パッケージの組み合わせによる全体像の構築と足りない部分を補う運用のやり方の確立...そのマニュアル準備。
 半年程度の準備期間を経て、その仕組みへの移行は開始されました。
 構築にかかった時間、運用開始の日程...その強引さは当時の彼をして「業務のレイプだ」と言わせしめるほど。それほどまで強引にやらざるを得なかった...未熟だな、まだまだ...と後に言ってましたが。きちんと結果を出しているのですから私からしたらすごいの一言。

 運用開始日。
 現場の悲鳴。
 飛び交う怒号。

 初日は大変な有様だったと聞きます。システムリニューアルの話を聞いていたとしても、いざとなれば古いシステムに戻れるさ...ぐらいに思っていた人達の悲鳴はものすごかったようです。

 現場を取り仕切る取締役が乗り込んできたり、どこかの支店の支店長が怒鳴り込んできたそうですが、彼は眼光ひとつで追い返したり根拠ある数字(今までのやり方のまずさ等も含む)を提示して片っ端から障害を排除。論破。
 暴力には警察への通報すらしてみせ(実際にかけたかどうかは確認出来ませんが、本人はそう言ってました)...嫌われ者に徹してでも「仕事」を完遂してみせました。
 わずか半年でシステムの移行が完全に完了。既存システムの残存データへのビュープログラムだけ新規に起こしたようですが、それでもやり遂げたのです。
 業務ルールの改革により...この不景気でもあの会社は利益を右肩あがりにあげているようです。コストをかけずに人を地ならしして行う改革。彼が選んだ手法はそれでした。システムより改革すべきは業務ルールだったと今でも笑って言います。


 仕事としてではないですが後学のためにと小さな部分で協力していた私は驚愕するばかり。豪腕なんてもんじゃないな...と思っていましたが...最後にはただただ唖然としてました。

 最終的には以前の記事に書いた通り、会社の人達の賛美の声が上がるなか...彼はすでにその会社を去っていました。結果を出し、会社の業務改革も成し遂げられ...業績も目に見えて改善される。システムリニューアルの見本みたいな状態を作り上げておきながら...個人の評価はされず。むしろ嫌われて追いやられ...

 その会社が新システム...新しいやり方に慣れていくに従い驚きの声が、数字が導き出され...業績があがり、皆の給料やボーナスに反映されていく。その輪の中にあの人の姿はすでになく...そっと会社を辞して実家へと帰ってしまいました。

 私は彼が実家に戻るのを見送る時...ものすごく理不尽さを感じ悔しかった覚えがあります。けれど笑顔であの人は実家に戻りました。

「次は海外に仕事があるんだ」
 そう言って...あの人は日本を去りました。

 見ている人はいるものです。

 日本人は評価しなかったそのやり方を、逆に高く評価した企業がありました。
 そう、海外企業です。

 彼はその誘いに乗り、海外に渡る決心をしました。ちょうど一年前のことです。
 一度実家に戻ったのは、移籍する会社で必要なスキルを勉強するため。(勉強は自腹でやるものだ...とは彼の弁。会社の経費で勉強しては、知識も含めて企業財産にされちゃうだろ?とよく冗談まじりに言ってます。彼のポリシーなのでしょう)

 その後アメリカに渡った後さらに向こうにある英語習得プログラム(移民向けなどに学習方法などが確立しているそうです。私は詳しくは知りませんが)等をこなしながら新しい仕事についたようです。

 その後一年。何をしていたのかは私は詳しく知りません。アジアを飛び回っていたとは聞いていますが...おそらくアジアのどこかでさらなる修羅場をくぐってきたのは確かです。

 買収されたばかりの会社に親会社から乗り込み...まさに「デスマーチ」が鳴り響いているような現場を瞬く間に掌握する。
 タールで固まったようなひどい足場の中でもがくスタッフをわずかな時間で統率し、現状を素早く把握した後でその現状を一気に「破壊」する。

 日本に戻る前にしていた仕事...それがそんな感じだったと。彼が言うには強固な階段を作り上げ...暗礁に乗り上げていたシステム開発を納期に間に合わせたとのこと。(正確には一度延期してるので、再設定された納期ですね)

 それは日本企業が依頼していたシステム。

 開発費が安く優秀なスタッフの集まる安い国に「安易に」依頼された仕事。
 その開発元のソフトハウスを買収したとある海外企業が買収の際に懸念していた事象のひとつ。けれど彼にとっては「ああ、やったことありますよ」の一言でどうにでも出来る仕事だったと。

 その納品のために日本に帰ってきた彼から連絡をもらった時、声の凄みにびびったのは内緒です。しゃべり方が少しゆっくりになり...舌の動きが変わったのかやや低めのトーンで話すようになっただけなんですが...優しいトーンの声なのに圧力があるというか...

 現在の役職は「マネージャー」だそうです。その上になにがしかの名前がついていますが、本人は「ただのマネージャーさ」と笑っていました。極東マネージャーとかそんな名前なんでしょうが、名刺は見せてくれただけでいただけませんでした。

「来年にはもう少しいい名刺になるからそれまで待っててくれ」
 ごく普通に「明日は雨みたいだな」というような口調でそう言われては何も言えません。

 この数ヶ月の彼の仕事は「日本向けシステム」を日本企業と提携して開発する部署の立ち上げだそうで。最終的には日本向けだけじゃないけれど最初は日本向けシステムを作るのが目標だと言っていました。

「日本は就職難なんだって?」
 そう言って彼は笑います。
「やりたい仕事をするための準備が足りないんじゃないかな。海外の学生はその辺を知っているよ。転職者から優先で就職出来る国もあるぐらいだ。卒業出来れば自動的にどっか就職出来るとか勘違いしてるんじゃないかな」

 笑ってそう言う目は全く笑っていない。

 ...彼の本当の仕事はシステム会社の立ち上げなんかじゃないことを私は知っています。

 彼の本当の仕事。何をしに日本に帰ってきたのか。

 引き抜き...そう、ヘッドハンティングをしに帰って来た。
 別の知り合いがすでにその引き抜きを受けています。

 AS400の熟練した技術者。もう20年もその道で食ってきたエキスパート。最近はPHPも習得し、過去の機械以外も扱えるようになったという話。その人が引き抜きの打診を受けている。

 あるいは別の知り合いがヘッドハンティングオファーを受けている。現在中堅企業でマネジメント(プロジェクトマネジメントとプロダクトマネジメント(商品管理)の両方をある程度学んでいるはず)を実践し...品質マネジメントにも精通する男。そもそも人使いのうまさに定評のある人物。倉庫管理や在庫管理のエキスパート。その人もまた彼からの誘いを受けている。

 あるいは。若手のandroidアプリケーションの開発者。あるいはOSに詳しいテクノエンジニア...etc。
 私が知る限りでも8人。海外資本の会社への転職を勧められていると聞いています。実際にはもっとたくさんの人に声をかけているでしょう。
 職場は...海外ではなく日本のまま。それななら抵抗感無く移籍出来るだろうと踏んでいるのか...あるいは別の思惑があるのか。

 技術はあれど英語も出来ない男達。彼らを日本に置いたまま日本以外の国にために使う。それが彼の目的。
 優秀だが単体では海外で使えない技術者達を確保し...あるものはそのまま使い、ある者は英語等を学ばせて海外へと羽ばたかせる。ついていけないようなら切り捨てる。

 海外資本による技術者の囲い込み。まずはITから...その次は研究職を。先の見えない中堅企業から砂の一粒を抜き取るように重要な技術者を...リーダー達を引き抜いて行く。

 それが彼の今仕事。

 面と向かって言うわけにはいかないので...それとなく聞いてみても返事はただ微笑みを返すだけ。

 酒を傾けながら言った言葉は「だったらみやびも誘われるような人間になればいいじゃあないか。この国にいても未来はないだろ?」とのことで。
 上手を行かれてるな...と思うしかない。

 誘いを受けた8人全員が引き抜きを受けるわけではないだろうけれど。(この8人は全て私の知り合いです)
 結構多くの人間が海外資本の会社へと移籍すると私は見ています。高給もあるでしょうし、待遇もあるでしょう。何より、認められなかった力を評価されるというのは最高の魅力でしょうから。

 何があの人をそうさせているのかはわかりません。

 日本への絶望か。あるいは単純にスキルある人達や有能な人達を世界の舞台で活躍させたいだけなのかもしれません。
 ただ、彼の同期や古い知り合いは皆怒っています。何をしてるんだと。日本の敵だと。

 私はなんとも言いようがなく。その文句を言う人達には未だに無言を貫いています。

 彼は電話をすれば出てくれますし、問いただせばかわそうとはするかもしれませんが話には応じてくれます。私から縁は切りたくないのです。まだまだ教えを請いたい「先輩」なんですから。

 かつての知り合い達がなんと言おうとも。

 私にとっては未だ彼は「英雄」のままなのです...

 

 

 

※文中に出てきた「人月の神話」は2010年に改訂されました。以下の本がそれです。元々のタイトルに戻ってますね。興味のある方は是非一読を。