「当たり前」が崩れる時...インフラを失ったその先に

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「人間が生活して行く上で必要なものというのは、実は世の中にその基礎になるものは出そろっていて。それらがきちんとかみ合って発展し動いている限りは、問題なく誰もが生きていける。歯車から多少こぼれたとしても生きて行くことは出来ると思う。満足に生きることが出来るかは本人の資質と努力によるだろうけれど、最低現の部分は世の中の仕組みとやらが後押ししてくれるだろう。たぶんそれがインフラと呼ばれるものなのだと思う」

 突然なんのことかと思われたでしょうが、これは高校の時に私が書いた一文です。いつにも増して読みづらくて申し訳ない(^^;
 今回はインフラというものと...それが失われたその先の話についてです。

 

2011/06/05 「隠した言葉」を追記しました。

 学生だった当時...通信インフラに興味を持った私は、音響カプラによる通信や海底ケーブルを使った海外との電報発注などのシステム開発に関わる人達を自分で調べ上げては質問しに行った...そんな時期がありまして...その頃に書いた一文です。
(今考えるととんでもない話なんですがどの人も気持ちよく応対してくれました。いろいろ教えてもくれまして。インターネットがなかった時代ですから実は秋葉原の店頭に来ているお客さん同士の会話からたどっていたというのがまた。昔はそんなおおらかな時代だったんですね...パーツ屋にはその筋の人?がごろごろいたものです。それにしても迷惑だったでしょうに...ほんと申し訳ない(^^;)

 今となっては笑い話かもしれませんが、当時の私は「通信」というものがとても「特別」なものに思えていて...けれどそれに携わる人達はその特別なものを「ちっとも特別でないごくごくあたりまえのものにするため」に研究したり活用出来るようにしたりしている。その事がとても不思議で。

 水や電気と同じように、コンピューターのデータを声遠隔地に運んでしかも相互にやりとり出来る。そう、電話のように。それはとてもとてもすごいことに思えて。

 今となっては本当に当たり前のことですが、1985年から1990年頃にはそれはそれは夢物語に私には思えたものです。
 ワイヤレスなんてまだまだ空想の領域で(軍用はともかく)、有線でのコンピューター同士の通信もままならない時代。LANですら民生に10BASE-Tが出てくるのは1990年以降でしたから。それもメルコ(現バッファロー)が安価なHUBとか出してからで、PC同士をクロスケーブルで繋いでやりとりするのがせいぜいでした。シリアルポートとかパラレルポートとかでのやりとりで、遠隔地とのやりとりはなかなか難しい。
(そういう意味ではバッファローの果たした役割は大きいと思います。これでルーターの当たり外れが少なければ...げふんげふん)

 そうしてようやく出てきたのが音響カプラ。会社の電話の受話器に音響カプラを接続してデータのやりとり出来るようになったのが私にとっての通信元年だったりします(^^;

 音響カプラ-wikiのページはこちら


 音響カプラは結構画期的だったんですが、エラーがひどくて(笑)

 周りで大声を出したりカプラが置いてある机にちょっとぶつかっただけでエラーが出たり。
 確か1983年頃だったでしょうか...うろ覚えなんですが。当時の私は中学生だったか高校生だったか。無駄に行動力あったんですね。学校さぼってましたが(今だからカミングアウトしますけどかなり学校さぼって秋葉原に入り浸ってました。いや本当に担任の先生とかごめんなさい)。

 ...なんというか古すぎてわかる人が少ない時代の話。
 この少し後に通信モデムとパソコン通信の時代があって。
 ISDNの普及やテレホーダイの時代があって。
 1995年のWindows95が日本のインターネット元年へとつながっていくわけですから黎明期も黎明期。

 そんな時代に全二重がどうとか半二重がどうとかわからない人には呪文のような言葉を投げ合いながら「通信」というものに取り組んでいた人達がいました。先の呪文が飛び交うのはモデムが普及した1990年以降。この頃のスピード感はすごいものがありました。どんどん通信スピードが上がっていったものです。(それでも今から考えるとスローすぎてあくびが出るぐらいですが)

 

 時は流れに流れて。

 

 今となっては携帯電話は当たり前の存在となりましたし、インターネットも含めた環境は「止まらない」ものとして認知されています。止まらないというかどこでもいつでもつながる存在でしょうか。
 そう、電気やラジオやテレビ、道路や水道などといった「あって当たり前のもの」の中に通信インフラも含められる時代。
 あの時代に「当たり前の世の中になるさ」と笑っていた技術者達の夢は現実になりました。

 私が興味を持って調べていた頃からわずかに20数年。この20数年でこの環境は整えられました。ものすごいことです。
 普段いろいろ言われがちなNTTやKDDIといった通信業者ですが、私はこの偉業についてはもっとほめられていいと思っています。いやまぁもっと安くして欲しいとか個人の願望はあるにせよ。あるいは血税突っ込んだ結果だという人もいるでしょうが、それも含めて。インフラとして定着したことは誇っていいと。それを維持し続けることの難しさも含めて。(注・技術者等現場の人に対してです。経営者にはまた別の言葉がありますが今回は割愛。かつてNTT系の仕事をした時にあんなことやこんなこともありましたし)
 誰もが手軽に、どこにいても通信出来る。
 データのやりとりが誰とでも出来る。
 それはEメールかもしれないし...ワンセグの受信かもしれないし...インターネットのWEBページの閲覧かもしれない。

 それがどれだけ大変なことだったかなんて、誰も覚えていないし認識してもいない。
 今となっては当たり前のようにどこでも手に入る。
 お金を払えば誰でも利用出来るもの。
 これは大変に素晴らしいことだと思います。携帯電話しかりWi-Fiルーターしかり。


 そもそもインフラとは何か。Wikiによればインフラストラクチャーの略称だそうで。


・インフラストラクチャー(infrastructure、略称・インフラ)とは、国民福祉の向上と国民経済の発展に必要な公共施設を指す。(wikiより)

 言葉からではわかりずらいんですが...私が学生時代にまとめた文章に面白いものがありました。

「インフラとは。
人々の生活の中であって当たり前の存在であり、ないと生活を困難にしたり不便にしてしまうもの。
そして維持には相応のお金がかかるため毎月の生活費として誰もが文句も言わずに払う存在。
誰もが無料になって欲しいと願いつつも決して自由諸国では無料にならないもの。
それがインフラと呼ばれるものだと思う」

 ...いや余計わからないか(苦笑)


 まぁ水道や電気もインフラですから似たようなものとして漠然と考えればだいたいイメージはあってるかもしれません。
 電話もインフラでしょうし。
 今日ではインターネットも必須のインフラといえるかもしれません。
 生活に無くては困るもの。あって当たり前のもの。それがインフラなのだとすれば。


 そのあって当たり前が崩れた時。人はどうするのか。


 東日本大震災を例に出すまでもなく。
 都会では誰しもうつむいて携帯の画面を眺めながら足早に歩いている。
 夜になれば節電といいつつも明るい光が街を照らしている。
 蛇口をひねれば水は当たり前のように出るし、ボタンひとつで暖かな風呂が沸く家もある。

 それが失われた時。

 想像しろといっても出来ないもんなんですが...実際電気が止まったら暗くなるだけではなく、携帯の充電も出来なくなるわけで。
 インターネットも中継する場所の電気が止まればアウトです。
 携帯電話も送電が止まればなすすべがなく。緊急用の電源はあるにはありますがそれにしたってどこまで持つのか。
 データセンターなどは優先接続を約束されていると言ってますが...それとて送電線が切れない保証はどこにもない。

 水がなければ。電気がなければ。不便だし大変だと誰もが思うでしょう。
 今日ではその中に通信も含まれています。

 皮肉なもので、様々な人の努力の結果「当たり前のもの」になった通信インフラは「当たり前のものであるがゆえに」それが失われた時にはもはや個人の力ではどうしようもないものになってしまいました。
 携帯電話や通信インフラは水や食料のように運んで行くわけにもいかず。何らかの対処をしなければ復旧出来ませんし代替えもききません。ケーブルを引き直して施設を復旧してアンテナを立て直す。例えばそういう処置が必要です。

 今回の震災では各通信会社が移動出来るアンテナというか設備(アンテナを積んだ中継車など)を被災地に送り込むことでなんとか最低現の環境を保とうとしました。全ての地域を復旧出来なくとも通信インフラが存在する場所をなんとしても作るために様々な方法をとりました。迅速な行動により通信出来る避難所がいくつも出来たことは記憶に新しいです(規模が規模ですので行き渡らせることは出来ませんでしたが...)

 ネットなんてなくたって生活出来る...大部分の人はそう言っていましたが、その生活を支える企業ではそうもいかず。電話すらIP回線を利用したものが普及しているわけですし。利用者は末端の個人だけではなく世の中を動かす企業も含まれるのが現実。

 当たり前のものが失われた時。インフラが消えた時。便利な生活は終わりを告げます。今日では通信インフラも...

 そのための備えを。仕組みを。インフラに携わる人達は常に考え続けています。失われた時にどうすればいいのか。最短の期間で復旧するには。一定期間を「凌ぐ」ためにはどんな手段や方法を用意しておけばいいのか。
 先に出てきた移動アンテナを積んだ車なんかもその手段のひとつ。コストの問題もありますのでたくさん用意することは難しいのでしょうが、それでも無いよりはいいと信じて出来る範囲の準備を。
 万全は無理でも出来る限りのことを。

 当たり前になった存在を当たり前のものであり続けさせるために。

 今日も縁の下の力持ちが...名もない人達がそんなインフラを支え続けています。おいしい水を。動力たる電力を。コミュニケーションの要となる通信を。
 私はそんな人達を尊敬していますし...私自身もそうあり続けたいと思っています。
 誰かのために必要な「当たり前のこと」をどうやったら維持出来るのか。一人の人間として出来ることは小さいかもしれませんけれどね(^^;

 


余談)

 このところ様々な場所で「想定外」という言葉を耳にします。
 なんでしょうね「想定外」って。
 私が出会った先駆者達はそんなことは言いませんでした。
 あの当時カプラをアタッシュケースに入れて走り回っていたNTTの職員さんからこんな言葉を聞いたことがあります。

「今俺たちが使ってるこのでっかいヘッドホンもどきが...まぁちっちゃくなってさ。コンピューターなんかに内蔵されて(当時はノートパソコンなんて考えもつかなかった)。
 ...誰もが使えるようになった時には今度はそれを維持するための設備とか用意しないといけないよな。金はかかるけどさ。人工衛星とか打ち上げちゃうのかもしれないよな(当時は宇宙ブームというかそんな時代でした)。設備だけじゃなくて仕組みとか組織とか...なかなか難しいんだけどそれをやってこその通信会社だと思うんだ」

 その後様々な壁にぶち当たってこの人は転職し...今はロシアの企業で衛星を使った仕組みに取り組んでいるそうですが、それでも志は変わっていないようです。(なんでロシア行っちゃったのかは置いておきますが)
 技術を生み出す課程で、当然次の一手を。さらにその後のことまで想定はしておく。それが実現可能かどうかはわからないですが(笑)予算とは範囲とかいろいろありますしね。

 でもどのような仕組みにも想定外はない。「ここまで」と定めたラインは存在しても、そのラインを超えた時にはどうしたらいいか。どうすべきか。規程しておくことは出来るし何をするべきかも自ずとわかるものだといいます。
 「予算」「期間」があるからこそ出来ないことはありますが、対処方が想定出来ないなんてことはない。実現出来ないのと想像も出来ないのとでは天地の差があると思います。

 想定はした。けれど予算や利益の問題があってここまでの範囲と規程していた。しかし現実はそれを上回った。

 それならばわかる。たぶんそれが正解だと思うのです。
 もし本当に想定していなかったのだとしたら...それはとても恐ろしい話です。定められた以上のことは「考えもしない」ということですから...

 通信だけでなく今日様々な技術が「当たり前のもの」になっていこうとしていく時。ITも含めた本当に様々なものが「インフラ」を目指して進歩して行くのなら。
 それが失われた時の代替え案ぐらいは想定して提言しておきたいものです。それが実行可能か...あるいはすぐに出来るものかはまた別の問題なのは確かですが。ITなんてものに関わる人間としてそんなことを考えています。
 間違っても「想定外」だなんて恥ずかしい言葉は口にしたくはないと思っています。
 まぁ、「想定はしたんですが対処を許可されませんでした」というオチはいつものことなんですけれど...ね(^^;

 

※個人的な話(ここから先は読む人によっては不快かもしれません。読んでて嫌だなと思ったらブラウザの戻るボタンをどうぞ)

 


 先日のこと。
 とある地方の運送屋さんでPCを含めて様々な環境がダウンしました。すぐには復旧出来ない状態。電話は止まる電気は止まる。電話はまぁ少ししたら復旧したんですがその時の影響でPCがいまいち動かない状態に。というかぶっちゃけ壊れてしまった。
 運輸システムとは名ばかりのソフトですが毎日きちんと運用してましたしないととても困る。

 けれど。
 この時あろうと最低現の情報は毎日「ノート」に記帳したり「印刷して保存」したりしていたため、仕事再開後は電卓とホワイトボードを駆使して乗りきれたそうです。最初からそういう手順が運用の中に組み込まれていたという。
 印刷した帳票の必要な欄に書き込みをしておけば、後でそれを転記することでシステム復旧後にはデータの書き戻しもどきも可能なように準備してありました。全てシステム設計時に盛り込んであった機能です。
 全自動は無理でも半自動...いや人力で回せるように緊急時の運用も考えて帳票設計もしておく。いわゆる「こんなこともあろうかと」盛り込んでおいた機能。
 当時50代だった経営者の方が「大福帳と公衆電話があれば業務は回せるさ」という言葉を酌み取って盛り込んだ機能でしたがまさか役に立とうとは。
 その経営者の方が先日東京に久しぶりに来た時に時間を割いて会いに来てくださり、こう言ってくださいました。

「便利なのもいいけんど、なくなっちまうとな。多少不便でも無くなった時のこと考えてやり方も作っとけってあんたが言ってた話、やっぱやっといてよかったわ。やっぱ頼んでよかったわな」

 今や70代となってしまった方ですが、どうしてまだ足腰もしっかりしていてたまには運送の現場にも出ていると言います。生涯現役らしいです。

 全てを電算化するのはかえって不便さを生む。かつて私にそう教えてくれた先輩の言葉が胸によぎります。あの教えがあったこそあんな設計にしたんですから。今では某SI屋さんの親玉みたいな人になっちゃってますが(^^;

 非常時に持ち出せるようにすべきデータの分別。(当時ですからフロッピーを数枚ケースにいれておくだけですが)
 あるいは日常業務上普通に利用している帳票に、普段使わないだろう欄と情報を足しておくことで緊急時には帳票ベースで業務継続可能な業務運用方法の策定。(今でいう運用マニュアルの策定ですね。当時は社長命令で面倒でもそうしろ!で開始した覚えがあります(^^;)
 様々な仕掛けをしておいて本当によかったと思います。
 とはいえもう15年以上も前に作った業務ソフトが、まだ現役稼働してるとは思いませんでしたが...いまだにフロッピー運用出来てたんですね...長持ちというかなんというか。(PC-9801用のプリンターもまだ現役とのことで。インクリボンまだ手に入るんですね)

 避難訓練ではないですが「なくなった時どうする」のを想定して業務とシステムを組み立てるのは私を鍛えてくれた人の口癖でした。
 なのでフリーで活動していた当時に「それ」を盛り込んだシステムとしてこのシステムは開発されました。
 予算の関係もありましたが「半自動化」を主眼とした「効率を上げつつ人間が仕事している実感を持てる環境」を目指した業務ソフトでした。
 まぁぶっちゃけCとアセンブラで書かれた「ちゃっちいソフト」でしたが(^^;
 使う側にはそれなりに好評でしたし。おそらくは私のプログラマーとしての最後の仕事だったかと思います(個人で受けたものですし。作成は数人で行いました)。

 まぁ業務を整理して人力では面倒なところはシステムに組み込み、帳票印刷とデータの保全・更新に主眼を置いただけのソフトでした。なんせ印刷した帳票にボールペンでチェックマークつけて「集金出来たかの確認」をしたりとかまぁ人力が残る残る(財務ソフトとの連携なんて考えられる時代ではなかったので...財務システムを組むだけの予算もなかったですし(笑))

 小さな会社向けの仕組みしか私には構築出来なかったのですが(未だに大規模な会社ではどうしたらいいのか私の中でも組み立て切れてないです)、大福帳があって時計で時間がわかればあとは電話連絡でなんとか運用・運営出来る仕組みというのは、昔の起業家達(というか一代で事業を興した社長達)なら誰もがもってるノウハウです。
 それを万が一のフェイルセーフと出来るように帳票出力やらなんやらに仕掛けをしておいたのでした。社長がどのように帳面を工夫してきたかを聞き取るのにずいぶん時間を割いたのはいい思い出です。その帳票を元に現状の業務とシステム化すべき部分を割り出すのにも時間がかかりましたし...
 その後はプログラムとは名ばかりの簡易言語を使う仕事に進んでしまったので本格的にCだのアセンブラだのBASICだの使っていたのはこの頃が最後。思い出のソフトだったのですが...まさかの現役(^^;

 震災で役に立つとは思いませんでしたが...(本来は電話回線がシャットダウンされたり社内のPCやサーバーが落ちた時にも仕事が止まらないようにする仕組みとして設計してました)

 まぁ、さすがに問題がいろいろあるので(データ蓄積も取引企業ごとにフロッピー入れ替えたりと運用する側は結構使いやすいみたいなんですが)、Windowsのシステムに安価に移行出来ないか模索中です。
 日曜プログラマーとしてまた勉強し直してもいいんですが時間ないんですよね...どうしよう。まぁ、再び連絡先を探し出して連絡してくれた社長のためにも何か考えようかと思っています。
 最悪エミュレーターによる運用も可能かもしれませんし。これもVMっちゃVMですが...ちょっとまだ高いんですよね(^^;
 DBにもなってないデータの配列ですが、取り込みは可能だと思いますしWindowsのシステムに吸い上げてEXCELやACCESS上で何か構築出来ないかな...と今思案中。
 ともかく金がないところなので(運送屋さんはもともと規制緩和からこっちあんまり儲かってないですしね。物流がこれだけピンチってのも国としてどうなんだろう)、社長のポケットマネーによるローンが可能なぐらいのものにしてあげたいかな...と。
 Office上で再現出来ればあとで詳しい人間が近くに見つかればメンテナンスも頼めるでしょうし。私もそうそう東京を離れられませんし...今抱えてる仕事が終われば休みも取れるでしょうけれど。
 ちなみに現在は中古のPC-9801を秋葉原で手に入れて持ち帰られまして。すぐに運用再開したそうです。FDD起動のMS-DOSならではですか。今だとWindowsのインストールからだから結構面倒かも(^^;


 上の話がちょっと前にあって...ちょうど更新が滞っていた次期なんですが、あの会社にとってはあのソフトがインフラと同様に「あって当たり前」のものであり、なくなった時のことを考えて準備してあった。それってやっぱり必要な仕組みのひとつなのかもな...と考えていました。

 当たり前だからこそ「消えた時」どうするかを考えておく。地震の時の避難所を調べておくのと同じように何か考えておきたい。

 でも利用する側では対処に限界があるので(手回しラジオとかかなりいいです。疲れますが最近は携帯が充電出来るものもあるようで)、提供する側も何か考えておけるといいのですけれど。復旧への方法と長期にわたってそれが失われた時どうするのか。

 拠点間のやりとりは。

 先の運送屋さんは全てのトラックに無線を搭載していたのと近場での仕事が多かったためスムーズに全てのドライバーと連絡が取れたようですが...これはレアケース。他の職種の場合はどうするか。

 当たり前が崩れ去った時...どうしたらいいか日頃から少し考えてみるのも悪くないかもしれません。ITなんてものを担う以上それがインフラとして定着した時のことを考えると...私自身が「想定外」なんて恥ずかしい言葉を使わないようにしておきたいと思っています。

 

※2011/06/05 追記

「隠した言葉」

 この記事を書いた時、最初には書かれていたんですが後から削った言葉があります。
 なぜ最初に唐突に秋葉原の話題があったのか。インフラを支える人達とのつながりの話からスタートしたのか。
 それは...こんな言葉が最初に書かれていたから。

「実は人と人とのつながりこそが最後に頼れる...そして一番手近で身近なインフラである」

 最初はこの言葉がありました。インフラというとどうしてもライフラインにつながるものを想像しがちで、無くなると不便なものを個人や集団に当てはめて考えてしまいます。

 けれど。

 本当に大切なものは。本当に身近なのは。本当に失ってはいけないものは。

 人と人とのつながり。見知らぬ人とでもつなげて...伸ばして行くもの。それが本当に大切で、最も大事なインフラ。
 
...しかし文章にするとどうにも青臭く恥ずかしい。
 なのでわかる人にはわかる形で...そっと記事の頭のエピソードにちりばめて。この文章を削ってありました。だから「隠した言葉」なわけです。なんか言葉にすると急に陳腐化しそうで...
 掲載から数日たって...それに気づいた人からメールをいただいたりしている中で、やはり書いておいた方がわかりやすいと言われて、それなら...ということで改めて追記することにしました。


 家族と...友人とのつながり。それも「あって当たり前」のものでなくてはいけない。失われてはいけないもの。それもまた人間としての「インフラ」なのだと思っています。そしてそれは自分の努力で広げることも出来る。冒頭の学生時代の私がやっていたように、見知らぬ人とでもつなげて行くことが出来るものなのだと思っています。
 当たり前のものを当たり前のものにするために技術者達が奔走する。ならば人とのつながりを維持するために自らがすべきことは。
 こんな時代だからこそ考えて見るといいかもしれません。人と人とのつながりを維持するために奔走すべきは他人ではなく、自分なのだと思うので...

 それこそ失ってから「想定外だった」なんて言わないようにしたいものじゃないですか?(^^)