パソコン売り場のもうひとりの主役達(3)猛牛相手に一歩も引かぬ金沢の英雄「アイ・オー・データ機器」

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 エレコム...そしてサンワサプライとくれば次は?
 そう、アイオーデータの出番です。

 バッファローと並び称されるPC-9801時代からの老舗。
 正式名称は「株式会社アイ・オー・データ機器」で、表記的にはI-O・DATAの方がなじみが強いのではないでしょうか。(よく間違えますがI/O・DATAではありません)
 創立は1976年。実は最初はそれほど目立ったメーカーではなかったのです。マニアックなハードを送り出しつづけついには今の地位を築き上げていきます。
 その成長を支えたのはあくなき「挑戦者」としての姿勢。前のめりのチャレンジスピリットでした。

 I-O・DATAの歴史は古いですがその存在が注目を集め始めたのは...PC-8801やPC-9801のオプション製品からでしょうか。

 外付けのハードは専用のボードから取り付けるそんな時代。まだPCが外部の機器とやりとりするのにシリアルポートやパラレルポートを使っていたあの時代。RS-232Cが大活躍していたあの時代...というとちょっとレトロっぽい風情がありますが、そのぐらい昔からI-O・DATAは活躍してきたのです。

 SASI...そしてSCSIへと時代が移る頃。
 I-O・DATAは市場で存在感を増していきます。当時のI-Oの製品を思い出すと(私はまだ学生でした...懐かしい)ハード設計がマニアックだったのが印象的。

 SCSIボードにしろなんにしろハード的にはとても面白いものを作る(しかも個性的)。その特徴は今でも受け継いでいるかもしれません。SCSIの時代に入るとメルコ(現 バッファロー)との激しい製品争いを展開して行きます。

 どちらかが商品を出せば同様の商品がすぐに出る。グラフィックアクセラレーターボード(古い言い方だ...)やCPUアクセラレーターボード(有名なのではi286を搭載したPC-9801シリーズにサイリックスのCPUを搭載したゲタ付きハードを搭載させるものでしょうか。記事の最後に余談で載せてあります)が特に強く印象に残っています。

 特にCPU差し替え商品ではIBM486SLC2を搭載したものをいち早く投入してくれたおかげで、当時のマニアックなユーザーに歓迎されていました(反面添付ソフトの貧弱さもすごいものでしたが...そこは当時の人たちですから自分で改良しちゃったりとかいろいろありました)。

 当時のPC-9801は汎用メモリではなく機種ごとに搭載出来るメモリ(正確にはメモリ基盤でしょうか。あるいはメモリモジュール)が違う時代でしたが、I-Oデータとメルコは新しい本体が発売されるとすぐに店頭に対応商品を出してくれるありが
たいメーカーでもありました。(当然純正品より安い。というか純正品の値段が高すぎた時代)

 今みたいに「汎用メモリ」がPCのメモリになるのはSIMMとかDIMMとかの時代があってこそですが、そこは日本のローカルPC文化の真骨頂PC-9801シリーズです。かなり後期になるまで専用のモジュールを要求していた気がします(^^;
 というかもっと初期は640Kの壁があったといこともありまして...EMSメモリ等で強引にメモリを使っていた時代でしたし。この頃はハードとソフトのバランスがいまいちな時代で、I-O・DATAの製品にメルウェア(メルコのメモリ管理ソフト)を使いたいんだけど!とかあるいは逆の組合わせがいいとかそんなこと言ってたりとかまぁ面白い時代でもありましたか。

 今となってはなんでそんな面倒くさいことを...と言われるかもしれませんが、増設したメモリをリニアなメモリ空間としてプログラマーが使える時代は...結構あとのことだったので...
(余談:X68000という例外中の例外のPCもありましたが。増やしたメモリがそのまま使える。今では当たり前のことが昔は出来なくて...発表当時は夢のようなPCだったのです。PC-9801ユーザーだった私は羨ましそうにそれを横目に見ながら「ぐぁぁぁセグメントなんて嫌いだバンク切り替えも嫌いだぁぁぁ」とかやってた気がしますがまぁ忘れたい過去ということで。なぜかそのあと私はFM-TOWNSへと走り...DOSエクステンダーの力で狭い空間から解放されました。...いや...解放されてはいなかったけれど...少しは緩い締め付けに...いやなんというか...とほほ)

 この頃のPCはまだMS-DOSの時代。そんな時代からI-O・DATAは「第二のオフィシャル」の地位を固めて行きます。ほぼ純正品と言っていい...そんな商品たち。他のメーカーが力を失って行く中で(緑電子とかICMとか懐かしい...)、メルコとしのぎを削りながら共に生きぬいていきます。

 Windows3.1の発売の頃からWindows2000までの黄金時代。ある意味でXP以前というか...そんな時代にもサプライメーカーの戦国時代があったんですがそれはまた別の話。(まだハードディスクメーカーもたくさんありました。コナーとか覚えている人も少なくなってきましたね)

 今からでは想像も出来ないかもしれませんが当時は「USB」もありませんでした。今ではサクサクといろいろな機器を搭載できる便利なコネクタとして当然のようについていますが、当時はそんなものはなく。(実際Windows98SEあたりまではまともに使えなかったですし。普及は2000とかXPから。Meも一役買っていたんですが...あまりに不遇なMeはUSBでも結構エラー出してましたね...)

 PCの内部に増設できるHDDなんて1つがいいところ(しかもそれほど速くない)。外部に大容量で高速なHDDを増設するにはSCSIを使用しないといけない。そんな時代。その頃からI・O-DATAは頑張っていました。

 今でいうグラフィックスカードもまだ黎明期...製品紹介にフレームバッファなんて言われていたりもしましたし...そもそも搭載するバスもまだ狭く性能も出ない。いろいろ混乱のあったWindows95の夜明け前から発売後までの一連の時期。

 PC-9801の高品質高性能の製品はカノープスの独壇場となった時代...そんな時代でも低価格の製品にはI-O・DATAとメルコの姿がありました。今日でも続くビデオカード販売の基礎はこの辺りから。ハイエンドカードよりは普及価格帯のものを。今と同じようにきっちりとサポートをしつつ...

 製品としては「ViRGE」を搭載したカードが全盛期だった頃が黄金期だったかな?とも思うのですがあくまでも私の感覚なので(苦笑)
 VooDooによる市場席巻の後に訪れるGeforce256の衝撃までビデオカードの戦国史もありましたが、これはいずれ別記事で。私の大好きなRadeonの登場も含めて結構好きな時代です。

 実はI-O・DATAの現行ラインナップの基礎の半分はこの当時に出来上がってまして。今でもそれが継承されています。違いといえば...モデムが無線ルーターになってたりとか外付けHDDがUSB接続のものになっていたりとか時代に合わせた変化があることぐらい。

 そして現在のI-O・DATAのラインナップの基礎のもう半分は...とある商品をスタートとして始まった家電とPCとの融合ライン。ある意味でこの点ではメルコよりも早く市場に商品を普及させようとしていたんじゃないでしょうか。

 そのとある商品とは...TVが見れるPCモニタ。

 今言うと「はぁ?」と言われてしまうんですが当時としては画期的だったんです。
 ある程度大画面のPCモニタにチューナー内蔵というのは...サプライメーカーとして初かというとわからないんですが注目を浴びたのは確か。
 なんせPCとTVはどちらもブラウン管(液晶ですらない)を使用しているのに解像度の違いやらなんやらでいまいち仲が悪い時代でした。

 出来ればひとつのモニタにまとめたいな...という要望は古くからあり。というかホビーPCの分野ならSHARPがいろいろ出してくれていたわけですが(先に話に出したX68000も初代モニタはアログチューナー内蔵でした。15khzにも対応でとても...とても便利なモニタだったなぁ...古くはX1からだけど)、一般的なPCのモニタとしてはまだまだ。

 そんな時代にある程度大型の液晶モニタにチューナー内蔵というのは画期的で。
 I-O・DATAさんやってくれるな!
 というインパクトがあったのは確かです。私自身秋葉原のioプラザに商品を見に行った覚えがあります。価格もなかなか魅力的だったのです(^^)新製品が見られるioプラザの存在も当時は目新しかったですね。

 そこからずーっと...家電とPCとの間に...見えづらいけれど確かに「存在する」市場を開拓し続けています。Wikiにもありますが2002年ごろから非常に力をいれて精力的に製品を出しています。

 その甲斐あって先日の地デジ切り替え問題の時にはバッファローと共に総務省が指定した無料配布用地デジチューナーのメーカーとして名前をあげられています。他のメーカーを押しのけてなぜかこの2社。
 経済的に困難な人たち向けの商品としてですが、家電メーカーではなくPCのサプライメーカーである両社が選ばれたのはなんとなくうれしかった記憶があります。
 ああ、ここまで来たんだな...と。ほんと最初は相当苦労して市場開拓してましたから...(涙)

 かつてのライバルはいまでもライバル。バッファローがメルコと名乗っていた頃からの競合相手。けれどライバルバッファローはいつの間にやらその勢力をぐんぐん伸ばしつづけ...今ではかなり巨大なメーカーとなっています。
 それでもバッファローのライバルといえば...私はやはりI-O・DATAだと思います。バッファローが玄人志向ブランドを展開すれば挑戦者ブランドで対抗したり。(非情にマイナーですが...これはマーケティングの問題と商品の方向性の問題だった気がします。実は新製品も出てないわけではないんですよね挑戦者シリーズ)
 ラインナップ的にも微妙にかぶりまくりなのがまた。なんというか...らしいというか(苦笑)

 売上高ではI-O・DATAが400億から450億。バッファローは実に1200億越え(昨年資料より)とその差は開いたかもしれません。
 それでもI-O・DATAは今日も猛牛相手に一歩も引きません。正面から真っ向勝負を挑み続けています。

 I-O・DATAこそ石川県は金沢の地から生み出たPCサプライメーカーの英雄なのです。

 バッファローもそうですが、創業者のふんばりで地方より立ち上がったメーカーのひとつです。
 社長の細野昭雄氏が大株主のままふんばり会社を引っ張る。私が学生時代からお名前をよく拝見していますが、市場開拓の名手と呼ばれる方でもあります。当時からその姿勢は変わらず前のめり。
 挑戦する姿勢。今の日本の企業が失いつつあるその姿勢を維持したまま戦うメーカー。その根本はこの社長の力だと思います。もちろん社員の方々のがんばりもあるでしょうが、方向性とかそういうものはやはり経営者の力が出てきます。



 この姿勢。そして金沢という地から日本を...そして世界へと踏み出していく気概。先にあげた「挑戦者」というブランドはそのままI-O・DATA自身の姿。いつでもチャレンジャー精神をもった老舗中の老舗。
 猛牛相手に一歩も引かぬ金沢の英雄「アイ・オー・データ機器」。その歩みはいまだ前のめりのまま止まらない。
 英雄の挑戦は今日も続いているのです。


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※余談

 CPUアクセラレーターは当時一世を風靡した商品です。ニッチではあったんですが...
 CPUを載せ替えるなんて発想はよほどのマニアしかない時代に、どうどうとサポート付きの製品として出たのですからある意味異常な商品かも。(今ならあっさりと載せ替えられますが、それもINTELやAMDが多種多様なCPUをラインナップしているからで、AMDのマザーにINTELのCPUを刺すような真似は出来ません。...が、当時はそれすらもまかり通った時代でした。互換CPUの台頭と荒廃。いずれ別の記事で書こうと思います)

 今でこそ自作PCにしろなんにしろ簡単にCPUが差し替えられる時代ですが、当時はそうでもなく。AMDやサイリックスのCPUをINTELのマザーに刺して安定動作するのかっていうとなかなかこれがまた(^^;
(Pentium時代はTXマザーの存在で一気に楽になりましたが)

 まぁPC-9801という商品の土台がしっかりしていたからこそ。NECがあまりに保守的でアップグレードに見向きもしなかったからこそ。成立した商品だったのでしょう。

 最初はi386をi486相当に差し替える商品が発売されて評判となりました。私が所有していたのはPC-9801RX2。i286搭載の...購入当時は非常に速くて高かった(苦笑)んですが、時代はすでにi486の時代に。そろそろPentiumの足音が聞こえる頃。
 もはや時代遅れとなった本体にNECは買い替えを提案するばかり。しかし...まだ戦える力はあるはず...そんな状況で発売されたCPUアクセラレーターは非常にニッチながら好評な商品となりました。
 INTELがODPソケット(マザーボードに交換用CPUを刺すソケットが用意されていて、新しいCPUを刺すとそちらで起動するようになっていた。今考えるとちょっと...どうなんだ?という仕組みですが)を推進していたため、保守的なメーカーは買い替えかODPを勧めるばかり。ODPなんて対応していない古い機種は見捨てられようとしていたころ。

 そんな中サードパーティから発売されたCPUアクセラレーターは非常に有用で魅力的な商品でした。
 特に後期に出てきたi286をサイリックスのCPUに差し替える商品はとても強力で。

 ユーティリティでCPUキャッシュをONにしないといけなかったのですが(ONにしないと下手すると換装前より遅くなる)、その速度アップはすさまじいもので。わずか1KのCPUキャッシュが数万円でのPCのグレードアップをさらに魅力的なものにしてくれたのです。

 記事中にも触れましたがIBMのIBM486SLC2を搭載した4倍アクセラレーターと銘打った商品は非常に魅力的でした。

 とはいえCPU自体はいわくつきの代物なんですが。
(なんせIBMとINTELの約定により単体での販売はとうとうされなかったですし。i386SX程度の大きさで性能は486に迫ろうかという。中身は386SXの改良型で内部キャッシュは16Kバイト。当時の互換CPUの中ではかなり強力なもの)、搭載された製品はマニアにしてみればなんて楽しいおもちゃというか。

 いまどきブBLUE LIGHTNINGなんて名前に反応するようじゃ結構年配の...それもディープなPCユーザーではないでしょうか(笑)
 当時は互換CPUの記事に目を輝かせていた学生やサラリーマンが秋葉原にうろうろしていたんですけどね...今は亡きコムサテとか東映無線の軒先にごろごろうようよと。

 それはさておき私も当然のように購入して「うひょー早いーこれでDAだのFAだのに負けないぜー」とやってたのがいい思い出です。実際9821Asの発売まで私は9801RX2で戦い続けられましたから。今となっては懐かしい商品になっちゃうんですけれどね。
 もっともその後買った9821シリーズの良さにびっくりして古い機種はいくらがんばってもダメなのか...とがっくりした覚えがあります。思えばあればチップセットの性能差について深く考えるようになったきっかけかもしれません。