時代を彩ったかつての名機たち(3)...子供たちの夢をつかんだ高価な魔法の箱 PC-8801mkⅡSRとその後継機たち

  • 投稿日:
  • by
  • カテゴリ:
 かつて8Bit時代に「御三家」と言われたメーカーも今はせっせとWindowsがインストールされたPCを送り出す時代ですが、一時とはいえ日本のPCをほぼ一社で制圧した会社NEC。その躍進を支えたのは「国民機」と呼ばれたPC-9801シリーズでした。
 そのNECが「国民機」PC-9801シリーズよりも前に力を入れていたのは弟分のPC-8801シリーズ。
 ビジネス機として生まれたPC-8801シリーズはmkⅡSRの発表をもってホビーパソコンへとその方向性を大きく変えていきます。日本のPCを掌握していくNEC...その黎明期を支えた8Bit機の雄。
 しかしその最後はNECの方向性のブレと迷走に彩られ。混迷の末期の中で兄貴分のPC-9801にその座を奪われ生みの親であるNECによって悲しい終焉を迎えてしまうという悲しい結末でした。
 しかしPC-8801シリーズが少年達の夢を掴んでいた一時代が確かにあったのです。たくさんのゲームが発売され一時は時代の寵児にまで上り詰めた「ぴーしーはちはち」シリーズとはなんだったのか。どのようなものだったのか
 今回は子供たちが憧れた「高価な夢のゲーム機」としてのPC-8801シリーズ...特にSR以降についてのお話です。




 初代PC-8801の発売は1981年。
 8Bitの最初の名機と呼ばれた8001シリーズの上位機種として誕生しました。
 PC-8001は国内にパソコンの名を知らしめる第一歩となった名機です。(型番のPCはパーソナルコンピューター。当時のPCは基本的にはマイコンと呼ばれてました)
 実は私も生まれて初めてプログラムらしいものを組んだのがこのPC-8001だったので思いで深かったり。よく遊んでくれた当時のおにーさん(おっさんというとしかられる)の私物でした。いや、高かったしね(^^;
 8001はいずれ別の記事で書くとして、そうして上位機種として発売されたPC-8801は確かに上位と呼べるだけの性能をもっていました。
 なにより本体とキーボードが分離した画期的なデザインは後々のNECのPCの元祖と言ってもいいかもしれません(実際にはPC-8801が最初という訳でもないようですが)。当時のマイコンといえば本体とキーボードが一体化しているのが普通でたから...

 まだPC-9801は産声すらあげておらず(計画と設計は始まっていたようですが)PC-8801は純然たる「ビジネスに本格的に使える初めてのPC」として世に出たのでした。
 8001シリーズが「ワンボードマイコンと違って完成品としてのマイコン=パソコン」であったとすれば8801シリーズは「本格的に仕事につかえる初めてのパソコン」だったわけです。

 上位互換は伊達ではなく基本的には8001の延長線上として設計されています。メモリのマッピングも含めて「ああNECらしい設計だなぁ」といろんな意味で思わずため息をついてしまう仕様なんですが(慣れれば別にプログラムが書きづらい訳ではなく。慣れれば、ですが)、640*400という高解像度に対応しているあたりを見ても「ビジネスシーン」を想定してハード設計がされているのがわかります。
 基本は640*200のカラー画面を使用していたわけですが...まぁ出来るのと出来ないのとでは大きな隔たりがあるというものです。モノクロであっても。

 VRAMの構造までマニアックに書く気はありませんがこの初代8801の設計が後の9801へと昇華していくわけで...後々まで祟ってくれる...当時としてはかなり先進的な設計でした。640*200の解像度でデジタル8色が表示出来るだけでも表現力としては格段にパワーアップしていました。8001は...カラーが出るだけでも感動ものだったんですけどね(^^;
 CPUはZ80を搭載。メモリは64Kと言われることが多いですが実際には184K。BASIC本体がマッピングされた領域をこちょこちょすると(バンク切り替え)BASICでもメモリを沢山使える仕様はなんというか無理やり感はあるもののありがたいっちゃありがたい。

 笑っちゃいけないんですが。64Kのメモリをフルに使い倒すには当時だとアセンブラしかなかったので...今もまぁプログラマーという人種は「なければつくる」精神があるわけで。

 ハードを熟知してアセンブラでPCを使い倒す思想がこの初代機ですでに生まれていました。

 が、まだ性能としては「カラーが綺麗で白黒だと高解像度。メモリがちょっと多くて速い8001」といった感じ。
 続く8801mkⅡが発売されたのは1983年。前年に後の国民機となるPC-9801が発売されておりビジネス機はそちらに主軸が移るかな...というところ。
 ...NEC社内でもいろいろ考えていた時期だったようです。mkⅡはどうも予定外の産物だったのが時代のせいなのか...実に中途半端な機種となってしまいました。NECらしくない設計というか。

 フロッピーディスクを搭載し(2台まで内臓出来たのは画期的だった)、漢字ROMを搭載し...と地味にパワーアップはしているのですが時代が2年も進むと他のメーカーからもいい機種が出ているもので。やや見劣りしていたのは事実だと思います。

 ここでNECが決断したのはホビー機の最上位にPC-8801シリーズを据えること。そもそも8001の弟分としてPC-6001シリーズというのがありまして。低価格でTVにも繋げられる和製コモドールというかなんというか。私が初めて買ったパピコン(初代6001の愛称)はとてもとても思い入れがありますが今回は割愛。別に記事を起こします。
 その6001シリーズの上位にさらにPC6601シリーズが存在していたんですが...その上位に8801シリーズを置きビジネスには9801シリーズ(さらにはPC-9801シリーズとは別のシリーズを作る気もあったようですが当時のことなので今となってはわからないことだらけ...一社でこれほどラインナップを出したNECもすさまじいですが)という「区分け」を行うことにしました。
 まぁこの区分けが細かすぎるのもまたNECらしいというか。PC-8801シリーズの下にはPC-6601シリーズとPC-6001シリーズ、進化を続けたPC-8001シリーズといくつものシリーズが同じNECのシリーズとしてラインナップされていたわけで。
 それぞれに特徴があって実に個性的だったんですが...それぞれについては別の記事を起こすので今回は割愛。

 まぁそんな中で誕生したのが...名機PC-8801mkⅡSR。(私たちは「はちはちえすあーる」と呼んでましたが地方によって微妙に呼び方が違ってて面白かったです)。

 登場は1985年。Windows95のたった10年前です。

 実は割と遅めの登場でした。
 ライバル機種たちはすでにバージョンアップを初めていてX1はTurboがすでに登場していましたしFM-7はFM-77が登場。8Bitホビー機の本格的な戦争が始まる寸前。

 そこにNECとして「満を持して」登場させたのがPC-8801mkⅡSRでした。(実際にはやや遅い登場といえたかと)
 当時のパソコン事情からいうと「ビジネス機」と「ホビー機」がきっちり分かれていた時代です。ホビー機はゲームに向いた機能(音楽を鳴らせる等の機能はビジネスには不要と判断されていた)を持たされビジネス機は処理速度やストレージの増強に重きが置かれていきます(当時のストレージといえばテープとフロッピー。HDD等が普及するにはもう少し時を待たねばなりません)。

 旧来の8801シリーズとの互換を重視したV1モード。そして新機種としての機能がフルに使えるV2モード。V1にはさらに2つのモードがあって高速動作する互換モード(V1H)とスピードも含めて過去の資産を活用出来るモード(V1S)が用意されていました。

 当時から互換性に気を使っていたNECらしい施策で実際初期にはとても効果的に働いていました。ただホビー機へと舵を大きく切った結果ビジネスソリューションは減って行き...新たなV2モードの性能もあってわずかな時間でV2モード専用ソフトだらけになってしまいましたが。

 このV2モード。強化されたのは2点。(当初CPUの強化について言及していましたがSRの時点ではCPUのクロックに変更はなかったとご指摘がありましたので修正しました。大変失礼しました)


 ひとつは音源としてFM3音+PSG3音の音源が搭載されました。結構画期的な音源チップを搭載していて型番はYM2203。ヤマハが送り出した音源チップとしては比較的初期の風情がありますが性能は光っていました。
 その後NECの各機種のリニューアルに伴ってこの音源は搭載されまくり(PC-6001mkⅡSR等SRがついた機種とPC-9801の標準音源としての搭載がさらに普及に弾みをつけることに)事実上NECの標準音源となります。

 ゲーム等の移植の際に曲データをある程度そのまま使えるというのは非常にありがたかったようです。音源ドライバーの出来にもよりましたが...

 後発のライバル達と比べるとやや貧弱だったかもしれませんが、初期からFM3音+SSG3音というスタイルを確立していたため曲を作る側も相当に首肯を凝らして曲を作っていました。音色を結構いじれましたから...

(余談ですがFM音源で作った音色にSSGを「吹き付ける」こともやってましたね。ノイズまじりの実に味わい深いスネアドラムの音を作ったり。曲を鳴らしてる最中にサビの部分でいくつかの楽器のソロパートを作って凝った音色を単独を鳴らしたり。制限された中でもかなりの名曲が生まれていきました)

 最後のひとつがビデオ描画の高性能化。これはもうわかりやすい。なんといってもアナログ8色の表示は非常に美しく。今まではデジタル8色だったわけで、中間色を表現したければタイルパターンを用いるしかなかったのですから。

 それがアナログパレットの操作で美しい中間色を8パレット分扱える。ホビー機としてはこの実装が大きかった。(そしてみんなが夢中になった美少女ゲームでやっときちんとした「肌色」が表示出来るようになったのはこのSRから。...まぁメーカーはさらに力をつけてアナログ表示+タイルパターンによる濃厚な表現を開発して行くのですが今回は割愛)

 ビジネス機であったので当然店頭でもビジネス機として扱われるわけですが、そこはNEC。ちょっとした仕掛けをしていました。根強いファンもいるんですが、いわゆる「店頭デモ」の活用です。

 クラッシック音楽(ビヴァルディの四季とか)が流れるなかCGが描画されていくものなんですが...パソコンコーナーでは結構異彩を放っていたものでした。味気ない性能デモではなく見てて楽しいデモを用意していたわけです。

 そして何よりもPC-8801mkⅡSRを「ゲーム機」として印象付けたのが...ゲームアーツの大ヒット作「テクザー」でした。

 秀逸なBGM。ぐりぐり動くアクションゲームとしての楽しさに、ホーミングレーザーの美しさと爽快感。
 このテクザーのためにSRを買った...という人が続出したほどでした。
 フルアセンブラで書かれたための高速性なわけですが、いやはや当時のプログラマーのすごさがわかるというものです。(ほとんどバグもないという...発売されて間もないPC用のゲームとは思えないほど)

 先にあげた3つのパワーアップ要素を見せつけたテクザーのヒットによりSRの方向性は決したと私は思っています。以後出てくるゲーム類は非常によくできたものばかり。
 大ヒットしたイースやソーサリアンといったファルコムのゲーム達。そうして出来上がっていくゲーム市場。

 そして...ついに美少女ゲーム市場が立ち上がります。

 今ではアダルトゲーム等いろいろ言われていますが、正確にはR-18ゲームだそうで。当時はジャンル名も何も確立されておらずまさにカオスな状態。
 カオスエンジェルスのようなライトな感覚のゲームもあれば、マカダムや177等のハードな路線もあり。エロなのか美少女なのか。なんとも難しい世界が作り上げられていました。

 そこに一石を投じたのは...西はアリスソフトが発売した「ランス」。東ではフェアリーテイルが発売した「リップスティックアドベンチャー」だったのではないでしょうか。
 この2つの会社が業界を大いに盛り上げていき。そこから枝分かれした人たちが...あるいは影響を受けた人たちがソフトハウスを立ち上げ...とぐんぐんと増殖。一大市場へと成長して行きます。
(余談ですが美少女ゲームは一時徳間系列の登録となっていましたが今では特にどこかが登録して独占している商標ではないようです)

 テクザーから始まったうねりは様々なゲームメーカーを巻き込んでPC-8801mkⅡSRとその後継機たちをゲームプラットフォームへと成長させていきます。
 そこに今までになかった市場として美少女ゲームが立ち上がり...
 膨れ上がる和製ゲームの最初のプラットフォームとして根付いていきます。PC-6001やその眷属のユーザーも吸収して。学生から社会人までをターゲットに収めて成功したわけです。
 まず88で作って他機種に移植。そんな流れが出来上がっていったのはまさにこの頃。
 NECの狙い通り88シリーズはホビーパソコンの兄貴分としての地位を確立して行きます。

 けれど...

・NECの実験機としての色合いが強くなる8801シリーズ...そして斜陽の時

 順調に思えた8801の系譜ですが、8bit機自体が時代の流れの中で性能不足を叫ばれるようになって行きます。

 ビジネス機であったPC-9801シリーズもその礎となるVMの登場やUVで搭載されたFM音源等の強化により8801シリーズからの移植作が問題なく発売されるようになっていき...

 表現力の差からソフトハウスが「解像度の高いPC-9801でゲームを出したい」と思うようになり。普及していくPC-9801の台数がその風潮を後押しし...(640*400の解像度にアナログ16色は8801からみたらかなりの表現力です)

 時代は移り変わり...ついにゲームも9801シリーズをプラットフォームとするようになっていきます。

 PC-8801mkⅡSRから始まった系譜は、安価な路線であるF系列(FR)、2HDドライブを積んでややビジネスよりの分野を含んだM系列(MR)へと分化し、その後継機であるFH/MHでついに高速クロックの投入(8Mhzモード)が図られます。
(MRは当時のPC9801のフロッピードライブより高性能な2HDドライブを搭載していました。この頃からNECは88を実験機とみなしていた形跡があります。また、FH/MHは後にFA/MAで搭載されるサウンドボード2を専用の場所に内臓出来るようになっており...よくいえばアップグレードパスが用意されていました。悪く言えば搭載を見送って進歩をわざと遅らせて商材を引き延ばして売ろうという行為が見え隠れしていました)

 そして最大の強化となったサンウドボードⅡの機能を内蔵したFA/MAの投入で頂点を極めました。ゲーム市場はほぼ88を中心に回り始め...まさにわが世の春。

 そして..それが最後の絶頂期....

 時に1987年。前年にはSHARPがX68000を発表。超高級ゲームマシンと呼ばれたこの夢のパソコン(正確にはパーソナルワークステーションを名乗ってましたが)に対抗すべく各社が新機種の準備を進めていました。

 御三家の一角富士通はFM-TOWNSを開発していました。

 そしてNECは...運命のマシンPC-88VAを市場に投入します。兄貴分のPC-9801はVXが市場を席巻していた頃。NECは「ゲーム機は88」という自ら作り上げたイメージに囚われていました。

 投入されたPC-88VAはいずれ別の記事を用意しますが...性能的には決してそう悪くないハードだったかと思います。

 8801シリーズとの互換を持ち(ほぼすべてのソフトが動作したのは驚異的。もちろん動かないソフトもありましたが...)、X68000のライバルとなるべくスプライト機能や65536色の多色表示可能なVRAM。CPUはNEC独自のV30CPUの系譜で結構性能は悪くなかったです。
(なんでi80286じゃなかったのか。まず、兄貴分PC9801VXとの差別化。値段差から言ってVXと同じCPUはマーケットを考えれば...搭載出来るわけもなく。V30であればNECのCPUですし比較的カスタマイズも出来る。価格も控えめに出来る...と様々な理由があったようです)

 専用モードはV3モード。
 NECとしては88シリーズもついに16bitに...という意気込みだったのでしょうが...ここでNECは致命的な失敗をします。
 今までNECのPCは「出せばソフトハウスが勝手に開発してくれる」スパイラルの中にいました。しかしPC-88VAはそのスパイラルからは外れてしまっていたのです。
 ソフトハウスはこのパソコンに対して専用ソフトをあまり出してくれません。
 時代は「無ければ作る」というプログラマーの時代ではすでになく。
 魅力的なアプリケーションがなければパソコンもただの箱。そんな時代へと変革していました。また、V30ではアピールが足りなかったのか性能が足りなかったのか。
 あるいは名前がよくなかったのか。
 原因はわかりませんがユーザーは88VAシリーズを受け入れてくれませんでした。
 まぁ16bit機なのにMS-DOSが動かない(ほぼ互換のPC-ENGINE(!)というOSを採用していました。この名前は後にNECのゲーム機として復活しますがそれも象徴的なの話です)というのは当時としては致命的だったのかもしれません。


 挽回を図るNECは8801シリーズを三系統へと分岐させます。

 6001から続くNECのホビーパソコンとしての血統FE。とにかく廉価に...そしてモニタがなくてもTVに映るように作られたこの機種。確かに安かったのですがやりすぎたコストダウンは少々不評。。
 そしてMシリーズの正当な後継としてのMA2。
 そして...88VAシリーズの後継はさらに2つにわかれ。88VA2と88VA3に。
 もう迷走と言っていいんじゃないでしょうか。

 さらなる分岐がなにを生み出したか。
 FEは安かったのもあってそれなりに売れましたが...8801シリーズの追加装備として魅力のあったサウンドボード2を再び切り離して低価格化したために追加投資を余儀なくされ。TVの映りはあまりよくもなく。
  MA2は十分後継機種としての品格がありましたがいかんせん時代はすでに9801シリーズを中心に回り始めていました。価格が下がってもゲームホビー機としてのMA2の魅力だけではやや辛い。
 88VAの後継機種88VA2/3ですが...
 ぶっちゃけ2と3の違いは搭載された2TDというフロッピードライブの有無だけです。サウンドボード2も搭載されて強化はされていたのですが...

 性能ではX68000に及ばず。
 98シリーズとの互換性もない。
 ...中途半端さが漂う中での船出はあまりに付利だったかもしれません。
 ましてゲーム機としてNEC自身がPC-Engineを投入。自らの多角化路線がさらなる追い討ちをかけていました。

 NECはさらに実験的な試みを続けます。
 FEはFE2に。さらなるコストダウンを図りました。...しかし時代はすでに8801シリーズを必要としていなかったのかもしれません。既存ユーザーの買い替えとしてはスピードもあるし悪い機種ではなかったのですが...
 MA2はMCに。これはNECから発売されたPC-EngineのCD-ROMドライブを搭載出来る仕様となった8801シリーズ最後の墓標。実際白い墓標とまで言われた初の縦型筐体でした。
 このデザインが後のPC-FXの基礎となったのかもしれませんが、定かではありません。

 そして88VAは...後継機種の発表はなく。大々的に発表されたのは98DO。
 9801と8801のソフトが両方楽しめる(PCのモードを切り替えてですけれど)という既存ユーザーを9801シリーズへと誘うか...あるいは既存アプリケーションの延命というか。
 中途半端さはあったものの「新しいゲームも古いゲームも楽しめるに違いない」ということで多少は期待感があったハードとなりました。

 NECは自ら8801シリーズを殺してしまった...と私は考えています。

 時代はすでに9801の黄金期にかかろうとしました。DOの登場が全てでしょう。
 既存のユーザーにはFE2で買い替えと延命をうながしていましたし。

 MCの登場時にNECの幹部の方が非公式ながらこんなコメントをしました。私は直に聞いているのでよく覚えていますが...

「SHARPや富士通のゲームパソコンなんぞ88で十分対抗できるよ」

 そのおごりが自ら売れ線だったパソコンに止めを指してしまったように思えます。そしてこの人は自らの会社のパソコンがどのようにユーザーに受け止められているのかわかっていなかったのかもしれません。
 今どうしているのか知りたくもない人ですが...まぁそんな人もいたという余談で。

 MCはいまでも語り草ですが...やはりソフトが開発されませんでした。
 私は記念にと発売時に配られたMC用のディスクを持っていますが(新品未開封。ただしどこにしまったのかもう見つからない。ケースも割れてそう)一度も試していません。
 面白い試みだったんですけれどね(^^;

 こうして最後に世の中に送り出された88シリーズは...その系譜をほぼ終息されてしまいます。時代は9801シリーズへと移り...NECは天下を収めたかのようにも見え。

 時代の寵児だった8801シリーズは...生みの親の慢心か実験か...よくわからないですがそうしたものに殺されてしまった。
 私はそう思っています。悲しいですが...生みの親がその子(パソコンのシリーズ)に終止符を打つのはよくあることなので(X68000もTownsも同様に生みの親によって殺されている)。

 子供たちがパソコンのゲームを遊びたがったあの時代。様々な8bit機が存在し...その中でも8801シリーズは一時時代の真ん中にいたのは確かなのです。
 私もMRからMAへと買い替えてかなり楽しませてもらったパソコンでした。
 Z80の基礎はこのシリーズで学んだと言っていいでしょう。

 しかし時代の流れと共に...さみしい結末となってしまったのは残念でなりません。
 FEや88VAはそれほど卑下せず素直に面白い試みだったとかもうちょっとだったのにといえるのですが...
 MCの時に聞いたあの言葉のせいで素直にその終焉についてはいまいち納得していないのです。

 子供たちの夢を掴んだ高価な箱。プログラムが組めなくてもゲームを買ってくればそこには夢の世界が...いろんな意味であって。ちょっと大人の雰囲気にひたることも出来たおおらかな時代。そんな時代の寵児となった8801mkⅡSRとその後継機たち。

 当時の御三家(後の8BIT御三家)はPC-8801シリーズとFM-7/8シリーズ。そしてX1。家庭用の「パソコン」として...「ホビーパソコン」という今はないカテゴリーにおいて少年たちに夢を与えた存在です。

 PC-8001から受け取ったバトンをPC-9801シリーズへとしっかりと渡して...8801シリーズは静かにその命脈を断ちました。
 NECの「国民機」PC-9801シリーズの弟分として世の中をしっかりと地ならしして...根強いファンをいまだに持ちつつ。
 8801で育った子供たちは今やおっさんおばさん世代となって...しっかりと根付いています。8bitの巨星。そして子供たちの夢のひとつの終着点。
 ファミコン前夜ともいわれる時代からゲーム機戦争までのもうひとつのゲーマーたちの拠り所だったパソコンの存在。

「ホビーパソコン」の終焉と共に消えていったかつての名機たち。
 今となっては思いでの彼方の名機たち。

 あまりマニアックなところには触れず今後も様々な機種を紹介していければと思います。