「全ては『けしからんけしからん』ってやつだ。
キミ、決してよそさまに向かって『けしからん』なんて言うひとにだけはなってくれるなよ。それだけはこのじじいと約束してくださいな。
他人に向かってあれこれ言う前に自らを律して生きてくれればいいさ。ひとさまに迷惑かけなきゃまぁそれでいい」
あの人の言葉は今も深く身に残り...時折耳の奥から蘇ってくる。
笑顔で残された言葉が、今の世の中を思うと少しも笑えない。
逝ってしまった後の今の日本を見て。あの人はどう思うのだろうか...
冒頭の言葉は実際には言われた言葉の一部で。
本来は下記のような言葉でした。
「世の中はさ。然るべき人が然るべきことをやって...んでまぁみんなきちんきちんとしてりゃ早々問題なんか起きないんだよ。
戦争だってなんだって争いごとはまぁ少なくなるんさ。なくなんないかもしれねぇけど。少なくはなるな。
けどさ。
然るべきことをしもしねぇ、きちんとやりもしねぇ『えれぇ人』が増えるとどうも世の中おかしくなっちゃうんだよ。戦争にしろ何にしろ...な。
偉い人ってのはまぁ周りが「あの人は偉いな」って認めてから初めて偉い人だ。自分が決めるこっちゃねぇよ。
えれぇ人ってのはキミ、自分からなるもんなんさ。なろうと思ってなれちまう。
...人間はさ。えれぇ人になっちゃいけないんだよ。たぶん。
偉い人とえれぇ人は違うんだ。尊敬できる人と偉ぶってるやつってのはまったく違う。長く生きてるとな。それがよぉくわかるんだ。キミもいずれわかっちまうようになるよ。
偉ぶってるやつってのはわかりやすいんだよ。自分のことより他人のことばかり言ってやがるからな。「けしからんやつだ」ってな。
そう。
全ては『けしからんけしからん』ってやつだ。上からななめに見下ろすように言うのさ。お前はけしからんやつだってさ。
キミ、決してよそさまに向かって『けしからん』なんて言うひとにだけはなってくれるなよ。それだけはこのじじいと約束してくださいな。
他人に向かってあれこれ言う前に自らを律して生きてくれればいいさ。ひとさまに迷惑かけなきゃまぁそれでいい。キミのおふくろさんもそう言ってるはずさ」
たわいもない会話が何年も何十年も経って思い出されて...はっとすることがある。
それが年配の人と話す時の楽しみでもあり怖さでもあると思う。それは老いた母との会話でもそうだし...勤め先の上司との会話でもそうだ。今何気なく話している会話が数年後に重要な意味をもってくるかもしれない。
自分より長く生きている人の言葉の中には無視出来ない何かがある。
だから私は年長の人間と話すのを好むのかもしれない。それはいいことばかりではなく...時に身を切る言葉にもなるのだけれど。それでもやっぱり。身になる言葉が多いのだと思う。
今回は今から20年ほど前に交わした、たわいもない会話をふと思い出していろいろと思うところがあったのて記事にしてみました。
私には師と呼びたかった人がいました。以前記事にも書いたことがあるのですが、私はこの人のことを今でも「爺さん」あるいは「爺ちゃん」と呼びます。(本当の祖父のことはおじいさんと読んでます)
以前の記事...「私淑する作家。そして、師と仰ぎたかった人」
戦争に駆り出され...南洋の島々で戦い続け。
終戦から結構経ってからようやく内地に戻ってみれば家族は全て死んでいた。そう聞いています。
その後いろいろあってなんとか生業を見つけて...晩年に自分ひとりぐらいは死ぬまで施設に入れる金を貯めて...自ら養護施設に入ったひと。
私は若いころボランティアに熱心だった友人の付添いで(引っ張り回されていたともいう)よくいろいろなところの慰問に行っていました。今ほどには団体等整備されてなかったと思います。老人ホームの慰問等様々なところに顔を出していました。
そうして知り合った爺ちゃんに私はとても魅かれるものがありました。爺ちゃんも私がくるのを楽しみにしていたそうです。本人よりも施設の方によくそう言われてましたけれど。
その爺ちゃんとの会話は今でもいろいろと私の中に残っています。
深く刻まれたもの。
人生の指針としているもの。
様々な形で私の中に深く影響を残しています。
父がいなかった私にはこの人の言葉はとても...とても重く深く...心に残ったのだろうな...今ではそう思っています。
冒頭の会話は別段政治家や政治の話をしていた中で出たものではなく、ちょうど最初に勤めていた会社での不満を漏らしていた時だったかと思います。
唐突に爺ちゃんが言ったのです。
「キミ、えれぇ人には決してなるなよ」と。
私は「偉い人になってはいかんの?」と聞き返しました。
そして冒頭の言葉が紡がれました。
細部は違ってるかもしれませんが、今思い返してみてもだいたい内容は合ってるかなと思います。
然るべき人という言葉を爺ちゃんは好みました。
警察。
消防。
自衛隊。
それぞれに専門の仕事を持つ人達。
政治に携わる人も含めて「然るべきことをきちんとする人達」。
この人たちがしっかりやることで世の中はきちんきちんと回るのだと。
然るべきという言葉は「当然のように」の意味で使うものだと私は思っていますので、つまりは「その仕事を当然のようにすべき人」や「その仕事にふさわしい人」を指して然るべき人だと爺ちゃんは言っていたんだと思っています。
爺ちゃんはこう続けました。
「けしからんってのはなんなんだろうな。
何に対してけしからんのか。誰に対してけしからんのか。
言ってるやつはなんかしらの基があって言ってるんだろうが、言われる側にそれが納得できなきゃキミ、それはただの暴力だ。
はなはだよくねぇ。なんて不届きなやつだ。まぁそういう言葉なんだよけしからんってのはさ。
けどさ。
今の世の中にどれほどの「けしからん」もんがあるっていうんだろうな。
今も昔も『悪いこと』の基準なんてものはそうはかわんねぇだろうよ。
他人のものをとっちゃいけない。邪魔しちゃいかん。殺しちゃいかん。殴っちゃいかん。
はっきりいやぁそんなもんでしかねぇよ。
けどさ。
えれぇ人はいうのさ。「けしからん」って言うのさ。
そいつはキミ、言ってる本人にとってけしからんってだけのことでさ。世の道理に照らして不届き千番ってわけじゃぁねぇのさ。
えれぇ人にとっちゃてめえの思い通りにいかねぇことよ。
だから『けしからん』のさ。
自分の思ってるもんと違う。理想と違う。だからけしからん。
詰まりはそんなもんだよ。そうして他人を否定して自分の思い通りにしてぇ。
だから力でもってねじふせる。
個人でやれば喧嘩だ。
でもよ。それを然るべき人じゃねぇやつが然るべきじゃねぇ力でねじ伏せたら...そいつは暴力だ。
国でやれば戦争よ。
あいつらはけしからん。だから成敗してやるってな。
もちろん裏には金だ物資だ女だってのがいろいろあって欲望の果てに争いになるってことも多いんだろうけどよ。
争いの根本はえれぇ人の「けしからん」から始まるのさ」
普段言葉すくなにとつとつとしゃべる人が、妙に熱っぽく語っていたのを思い出します。
何か思うところがあったのか。
聞けばどうも戦争中のことを思い出していたようで。けれど恥ずかしがって内心はしゃべらずに終わってしまいました。
我に戻って...顔を真っ赤にして照れながら。
それでも爺ちゃんは続けて言ったのです。
「キミ。よそさまの人生を平気でふみにじるようなそんなひとになってはだめだよ」と。
まぁ言われた側はその時深く考えずにそうかなとうすづいていたわけですが。後から考えると...深い意味があったのかなぁと。
そしてこの言葉に私は質問を投げかけます。
「いわゆるポルノとかってどうなんだろう。警察も国もけしからんって一番言うのはそっち系じゃないの?」
これに対して爺ちゃんは声をあげて笑いました。
「キミ、それこそけしからんって言ってるやつが『えれぇ人』だって自分で言ってるようなもんさ。女の裸がけしからんっていうなら、世の半分はけしからんもんを生まれながらにして持ってるってことよ。
そんなわけがあるかね?
公衆の面前で臆面もなくっていうならキミ、そりゃあけしからんと言われるだろうよ。
けどな。
自分ひとりでこっそりと見る分にはキミ、誰にも迷惑かけてねぇだろうがよ。
それをとがめるってのはけしからんって言ってるやつがただ「汚らわしい」とか「野蛮だ」とか思ってるのを押しつけてるだけよ。
あるいはひがんでんのさ。自分の裸に自信がねぇ女自身がよ。女の嫉妬はそりゃあこぇぇよ。女を殺すのはいつだって女の心よ。
警察にしろ役人にしろ...な。力ってもんを持つと思うのよ。自分は正しい。正しいから間違ってるやつを正さねばならないってな。
...その考えの行き着くところは特高だったり軍隊だったりするのさ。
言うことをきけ、まったくもってけしからんやつだってな。
けしからんやつを成敗する。
言うことをきかせる。
そのためには力がいるってわけだ。
力ってのはさ。持っちゃうと勘違いするんだよ。
決めたからやれ。決めたから従えってな。
戦争でもそうだったけどさ。
けしからんって言うやつが勝手な『決まり』をどんどん作るんだよ。自分の思い通りにな。
そんで最後にはただの駄々っ子みてぇになっちまう。
理屈が通らないことを「けしからん」の一事で通そうとするんだよ。
バカバカしい。
そんなんでてっぽう担いで海渡るやつがいるかよ。
家族がいよいよやべえ。
自分の国がいよいよやべえ。
しまいにゃ天皇陛下にまで手が伸びるってんだ。そりゃあまずいだろうって...理由なんてそんなもんだったんだよ。みんなさ。行きたくて行ったやつもいるだろうけどよ。紙切れ一枚で呼び出されても、行く理由なんざそんなもんよ。ちっとも立派じゃなかったねぇ。
偉いひとやえれぇ人が赤い紙配ってさ。
でも紙切れ一枚で「決めたから行けよ」じゃあキミ...誰だって戦争なんか行きたくはなかったね。誰が行くかと思ったよ。
でもさ。お家の名誉ってもんがあるし体面ってものもあるしな。
いかねぇって選択は「なかった」かもしれねぇけど。
みんな最後は家族のため国のためよ。
あんな紙きれ一枚配ったやつらのためじゃあなかったな。
てっぽうでばんばんやってる時にはえれぇやつの言葉なんて糞みたいなものよ。
生きるか死ぬかって時はキミ、家族のこととか地元のこととかそんなことしか考えなかったよ。
あ...っと、年甲斐もなくあっちっちになっちゃったな。ごめんな」
そんなことを言いながら爺ちゃんは真っ赤になって黙ってしまったけれど。
あれほど熱っぽく語る姿は珍しく。
普段は語らない戦争の話まで持ち出して。
爺ちゃんは何を語りたかったのか。何を伝えたかったのか。
あの時は理解した「つもり」でしかなく。
未だに理解しきれてはいないのだけれど。
今の世の中見渡せば。
なんでもかんでも「けしからん」の世の中で。
ああなるほど。爺ちゃんの言っていたえれぇ人ってのが世の中溢れかえっているのかなと。
偉い人は減って減ってすり減って消えて。
残ったのはえれぇ人ばかり。
爺ちゃんはすでに逝ってしまって...こんな世の中を見せないで済んでよかったなとも思うし。
ふがいなくも思う。複雑だけれど。
けどまぁ。
なぁに。
まだまだよ。まだまだ捨てたもんじゃない。
もしかしたらまた災害がくるかもしれない。
もしかしたらまた戦争になるかもしれない。
もしかしたら私だって明日死ぬかもしれない。
それでも。
まだまだ。
この国はまだやれる。そう思える。
まだまだ。こんなもんじゃあないだろうよと。
平和が続いてえれぇ人と...どうも自覚がないままえれぇ人の真似ばかりする有象無象が跳梁跋扈。それでも。
爺さんやその世代の人が残した国で。残した国土で。残した礎で。
そこに生まれて育ったからにはこんなもんじゃないところを見せないとなぁと思うのです。
爺さんが残した言葉のように。
えれぇ人にだけはならなかったよと。胸は張れるかなぁ。
親不孝になるなよって言葉は守れなかったけれど。
然るべき人にはなれなかったかもしれないけれど。
きちんとした人にはなれなかったかもしれないけれど。
それでも。
私らしい私にはなれたよと。
他の誰でもない。私はこうだと個性をきっちりと持った自分自身を見つけたよと。そうは言えるかなと。
たわいもない会話の中で、その時だけ...いつもはしない話を饒舌に話した爺さんがどう思っていたのか。何を考えていたのか。今となってはわからないけれど。
今の世の中を見せるのはちょっとはばかられるかなって気もしないでもない。
いや...どうかな。
あの爺さんなら。
こんな世の中を見ても笑っているかもしれない。
しょせんは1人。
最後には人間1人で死ぬんだよと。
2人から生まれて1人で死ぬ。
てっぽうで死ぬ。
病で死ぬ。
刺されて死ぬ。
幸せに死ぬ。
老いで死ぬ。
最後に笑えりゃめっけもの。
爺さんの口癖のひとつでした。
最後は老いか病か。逝ってしまった爺さんは最後まで何を見ていたんだろうか。
それでも人生の終盤。私とたまに会うことで何かを感じてくれていたのなら。私が今こうして爺さんの言葉を思い出しては胸に何かを抱くのは。
私があの人に何かひとつでもしてあげれたのだろうか。
あの人は私にいろいろ残してくれたと言えるのだけれど。
この記事を読んだ人の周りに「偉い人」はいますか?
この記事を読んだ人の周りに「えれぇ人」はいますか?
自分はどちらになりたかったのか。なれたのか。なれなかったのか。
これからなるのかならないのか。
爺さんが言うように...よそさまに向かって「けしからん」なんて言うような人間になっていますか?
...私と一緒に爺さんの言葉の意味を考えていただけたらと思います。
人によって解釈はまちまちでしょうけれど。
高名でもない一人の老人が残した言葉のひとつひとつが。
私にはとても、とても大切な言葉になっています。
あの人が残した言葉はたくさんあって。私の脳裏に。しまい込んだメモの中に残っています。
いつかまた気が向いた時にでも書いてみたいな...と思います。
※ポルノ余談
ポルノは悪か?と爺さんに問うたことがあります。
まぁ好きか嫌いか。結局女の裸は悪なのかって聞いたんですが...
爺さんはこう答えました。
「女の裸?そりゃ好きだな。
島でドンパチしてるときはよ。寝ると頭の中で...なぜかちゃぶ台の上に飯と女の裸があったやな。嫌な夢だと思ったけどさ。まぁ男が詰まると最後は欲望しか残らんのかとみんなで笑ったな。
けどよ?
見せるのも所有してるのも女よ。
貶めるのも悪にするのも女さ。
男は眺めたり食べたりするだけでそこに善悪はねえな」
なるほど。
確かに女の裸がけしからんというのはいつも女性の側の気がするなと。差別だなんだと言われるわけで。
爺さんらしい考えだし男本位な考え方なんだろうけど...でもなんか納得してしまったり。
今更うなってみたりしています。
※爺さんについて今思うこと
爺さんの話をすると必ず言われるのですが...老人ホームの慰問というとどうも痴呆の方相手を想像される方が多いんですが。実際私が行っていた頃はそんなことはなく。
相手の話を聞いてあげることが多かったのです。
私が行くとすごく喜んでいただけた覚えがあります。
私自身...なにせ話題は尽きないし話は嫌いではない方です(私はかなりおしゃべりな面もあります)。まして年配の方の話にはそれはそれは面白い話が多く。しゃべりたい人の話は永遠と聞いていられる。
何回も訪ねているのにまた同じ話かよ...という人もいたんですが、何回聞いても面白い話なら苦にもならんというものでしょう。
話してほしい人にはそれこそいろんな話題を話すことが出来たものです。
今ではそこまで会話のストックはありませんけれど。
...そうして尋ねた老人養護移設にあの人はいました。
足が悪く...介護が必要なんだよなぁ。キミ、最後は介護してくれよ...なんて言ってはいましたが、やがてリハビリの成果が出て施設内なら(階段は無理でも)一人で歩けるぐらいまで回復していった。
私が出会ったのはそんな老人。
おそらくですけれど。
あの足は...戦争の傷が原因なんだろうと今では思っています。大きな傷跡がありました。
日本に帰国して。故郷はすでに焼野原。家も焼け。家族は全て死に。不自由な体を引きずってそれでも生きようとし。
晩年は人に迷惑をかけることを何より嫌った人。
当時...20そこそこの小僧の話を一度も馬鹿にせず。話をさえぎらず。全てを聞いてうなずいて。自分の思ったことを言葉にして素直に伝えてくれた人。
片親はハンデじゃない。むしろ武器になるんだぜと笑い飛ばしてくれた人。
足が悪いのでどこかに出かけることはできなかったけれど。あなたと過ごした日は楽しかった。
もう一度会えるのならば。
やはりあなたを師と呼びたいと思うのです。