かつての西海岸の人たちが今の世を笑っているかもしれない...我々の心に余裕はあるか

  • 投稿日:
  • by
  • カテゴリ:

 ノートン1世...アメリカ初代皇帝

 その治世は安定し人々は進んで皇帝を尊敬し手厚く扱った。誰よりも質素な生活を好み、皆がその言葉に喜んで従った。税金を徴収せず、誰も責めず。ただ人々に尽くした。彼の死はサンフランシスコ全体を大きな悲しみで包み込んだ。

「ノートン一世は誰も殺さず、誰からも奪わず、誰も追放しなかった。 皇帝の称号を持つ人物で、彼に勝る者は1人もいない」

 初代にして最後の「アメリカの皇帝」である。

 冗談でもなんでもなくこの人物は実在した。

 ジョシュア・ノートン。西海岸の人々がかつて愛した男。(クリックでwikiの該当記事へ飛びます)

 ある程度の期間をおいてネットで話題になったり2chで話題になったりする人物で、実際のところは「自称皇帝」であり、正式にアメリカを統治していたわけでもない。何の権力も持たず、力もなく...むしろ一般的には「狂人」扱いされたり精神的疾患患者だったと見なされている。彼を話題にすると必ず出てくる言葉でもある。

 けれど...自称ではあったけれど、臣民が皆「彼が皇帝だ」と言っていたし尊敬してその言葉に耳を傾けていたのだからむしろ「選ばれた皇帝」でもあったろう。少なくとも悪乗りだけではすまない期間と人数が彼を「皇帝」として敬っていたのだから。

 商売に失敗し、精神を病み...人生の落伍者と言われた男が自ら皇帝となる。そしてその言葉は案外まともなものが多く、素直に聞けるものが大半であったため皆普通に「そうだよな」と喜んで従った。

 もちろん政治的な話や工事に関わることなどには耳を貸さなかった部分もある(当然かもしれない)。けれど、地元の新聞社は(最初はおもしろがって)彼の「言葉」を伝えていった。それはいつしか「勅令」となり、彼の発していない言葉も含めて数々の勅令が発せられた。

 人々は新聞を読んでその「勅令」が発せられるのを楽しみにしていたようである。

 せいぜいが街をきれいにしようとか、公園の工事はちゃんと進んでいるかとか、警官はちゃんと仕事をしているか...というのが彼の行っていた「統治」である。街頭にたち、延々とその手のことを話したり哲学的な話をしたりするのを好んだ。街の人々もそんな「皇帝」を愛した。彼の話は時に突拍子もなく、時にユーモラスで聞いていて不快なものではなかったという。

 いつしか彼は人気者となり、街の人々も「皇帝」として扱うようになっていった。彼は貧しかったが食料には困らなかった。レストラン(それも高級レストランだ)に行けば最上級の席で最上級の食事が出来た。もっとも、遠慮がちな皇帝はそう何度もそうした行為を行ったりはしていないようだが(むしろ招待されないと行かなかったようだ)。

 その後「皇帝御用達」とレストラン自身が自費で作らせた看板(結構立派なものだったらしい)を掲げ、それを見た人々には「なんだ皇帝も食べたところかよし入ろう」...となったのかはわからないがそれなりには好評だったようだ(案外舌が肥えていたのかノートンはまずいものはまずいと言える男だった。奥ゆかしくだけれど)。

 街の人々が進んで食べさせ暮らしを支えた。服がみすぼらしくなると将校が制服を送った。それはとてもノートンによく似合っていた(wikiに写真あり)。劇場や音楽堂は彼が来ることを誇っていた。たとえ満席になっても皇帝が来る予定であればノートンの到着まで開演しなかったという逸話まである。そして皇帝が到着すると人々は拍手で迎えたという。

 本当かどうかはわからないが、中国系移民が迫害されている場に現れた彼は、ひたすらに神への祈りを口にすることでその場を納めたという。当時の状況から言って、普通に撲殺や射殺されるような迫害が行われている危険で殺気だった場である。普通の人間であれば逃げ出すだろう状況で、しかし彼は「民」を守った。それがサンフランシスコの民ならば出自を訪うようなことはしなかったようである。

 暴徒も己を恥じたからなのだろうが、少なくとも知らない人間であれば「なんだこのおっさんは」だったろう。つまりはそれだけ知名度もあり、彼の行動を見て冷静になれたのだから功績はあるのだろう。他の逸話でも似たような話はあるので、もめ事に顔を出しては非暴力で解決していたのは確かなのだろう。「皇帝」としてではなく「一人の人間」としても立派な人物ではあると思う。

 皆それほど豊かではなかったが(豊かになろうと突っ走っている時代だから貧しいとはいえそれなりの暮らしが出来なくもなかったし、金持ちになろうと思えばなれた時代)、人々は心の余裕をこの「皇帝」に与え、進んで尽くした。

 壮大な悪のりであったという人もいるが、そんな悪のりでは長続きするわけがない。人々の心はいつしか演技でもなんでもなく日常に溶け込んだ皇帝を愛していたのではないか...そんな風に私は思っている。誰も彼を責めず、誰も彼を馬鹿にしない。事情をよく知らぬ警官がノートンを逮捕した時は思いの外多くの人々から「なんてことをするんだ」と怒られたという。

 当時の警察署長は気の利いた人ですぐにノートンを釈放して謝罪している。人々はそんな署長を賞賛した。心に余裕のない人びとに出来たことではないし、ユーモアのセンスがない署長にも出来ない判断だ。以後は街を皇帝が歩けば警官は敬礼し、人々はそんな姿に拍手した。 

 ノートン1世は自ら名乗った皇帝ではあったが、この時点で「民に選ばれた皇帝」になっていたのだろう。

 この皇帝の最大の功績は「人々の顔に笑顔をもたらした」ことだと思う。

 実はアメリカの公式な国税調査の記録にノートンのことが書いてある。職業欄には「皇帝」と書かれており、公式な文章に皇帝として認められているのだからものすごい。もちろん、その肩書きが連邦政府に認められることはないだろうけれど。

 また、ヴィクトリア女王と書簡のやりとりをしたともいわれ、知名度は西海岸の都市以外でもかなり高かったようである。

 彼の正式な肩書きは「合衆国皇帝にしてメキシコの庇護者ノートン1世」である。

 西海岸の人々が愛したノートン1世。しかし彼は不慮の事故(消防車にはねられた)により崩御してしまう。

 当時の新聞に書かれたのが冒頭の言葉である。

「ノートン一世は誰も殺さず、誰からも奪わず、誰も追放しなかった。 皇帝の称号を持つ人物で、彼に勝る者は1人もいない」(ニューヨークタイムズ)

 地元の新聞も「神の恩寵篤き合衆国皇帝にしてメキシコの庇護者ノートン1世陛下が崩御」と書いたそうだ。

 人々は本気で悲しんだ。それほど愛されていたのだろう。

 資産など持たない皇帝であったから墓地も貧民用のものになるはずだった。しかしそれを人々は許さなかった。様々な人々の力で資金が集まり...壮大で厳かな式が行われた。その墓も立派なものが建てられた。

 サンフランシスコやその他西海岸の人々は皇帝の死を悼んで参列した。富めるものも貧しきものも全てが平等に喪に服し、皇帝の遺体が運ばれる道を埋め尽くしたという。

 西海岸の人々のおおらかさが産んだ壮大な悪のりだという人もいる。もちろんそんな側面もあるだろう。

 けれど、当時の人々は今の人よりも心に余裕があったのではないかと私は思っている。貧しかろうがなんだろうが生きる活力を持ち、明日を生きることが出来る人々の心の中のほんの少しの余裕。それが皇帝を愛する形で具現化し存続したのではないかと。

 今、日本にその余裕はあるだろうか。世界の他の国々はどうだろうか。

 当時とは事情が違うという人もいるだろうけれど。

 かつて師と呼びたかった人が言っていた。

「心に余裕がなくなると、人々は容易に悪鬼羅刹となりはてる」と。

 今の日本には...余裕がない人とこの機会に自分の嫌なもの嫌いなものを消してしまおうとする人たちが増えている。自分達では気付けないかもしれないが...街で会話する主婦達や職場の同僚達もそうだ。他人の意見を巻き込んで「いい機会だから」と己の正義を振りかざす。

 先日正義について友人と話した時、ふとこのノートン1世のことが浮かんだ。当時の人々だって決して楽だったわけじゃない。浮かれた世代ではなかったはずだ。彼らの正義はどこにあったのか。ノートン1世を愛した西海岸の人々が今の世を見たら笑ってしまうんじやないだろうか。

 余裕のない人間の振りかざす正義...それはどんなものだろうか。今のTVや新聞を見るとそれはあまりいいものではないように見える。

 ノートン1世。彼の正義は間違いなく人々に受け入れられるものだった。記録を見る限りはそう思える。今の我々に彼のような人を活かすことが出来るだろうか。

ここまで書いておいてなんだけれど実はアンサイクロペディアの記事の方がおもしろい(笑)

 しかも嘘がほとんどない記事なのでアンサイクロペディアにしては珍しい方。

 ちなみに日本にもいろいろありまして。葦原天皇(将軍)のことを少し知ると面白い。扱いはよくなかったが(マスコミには)人気があった。ただ、そのマスコミのせいであまりロクな目にもあっていない。当時の日本にはユーモアはあっても余裕はなかったのかもしれない。

 ちなみに初代ノートン先生のことではない(笑)

 なぜか使ってる人すらも爆笑するノートン先生のアンサイクロはこちら