小さな窓の向こう側

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 最近やたらにツイッターで若者の暴挙写真が...なんて記事を目にします。
 確かにまぁやってることを見るとなんでこんな馬鹿なことを...というのはあるのですが、それにしたって目立ち過ぎる気もしますし...企業の対応もそれはどうなんだ?というものがあったりなかったり。
 今回はそれに関連した話となります。


 実際のところ自分が若い頃も馬鹿をやってるやつはたくさんいました。
 というか自分も結構馬鹿なことをしていました。
 今問題になってるようなことも話題としては結構聞いてたりします(バイト先の材料でメニューないもの作ったり、まぁいろいろ)。

 とはいえ、時代が違うというか...話題にはなっても「証拠」が残ることは少なかった。監視カメラでも無い限りは証拠が残らず。武勇伝だけが噂として広まる程度でした。

 これが変化したのが携帯にカメラがついた頃。

 いわゆる「写メ」時代の到来と共に自ら「証拠」を残すことが多くなりました。

 武勇伝が話に上ったところで「嘘だぁ」と言われたら証拠を出すのが手っ取り早い訳です。まぁ身内に見せるぐらいしか(写メをメールで送るのはもう少し後の時代)なかった訳で。

 万引きしたり裸になったり...まぁいろいろな馬鹿な行為の証拠を自ら残して人に見せびらかす。よくない行為ですが、まぁそうした行いは当時からあったかと。

 で、実際のところ行為もやってる側の意識も「この時点」から変化してないんじゃないかと。


身内にだけ見せたい。
見せたい相手にしか見せてないはず。


 そうした意識の元に行動している。
 ところがガジェットもインフラも進歩を続けて行きます。

 写メはメールと強力に結びつき他人に送信するのが普通になっていきまして。

 この辺りから「馬鹿やった証拠が外に流出」という事態になります。

 よく出てくるのが「XXが勝手に外に漏らした」等の話。
 なんで勝手に他人に見せるんだよ!みたいな意識ですか。
 わかるようなわからないような。

 インフラとして考えると、一度他人のデバイスにコピーされたデジタルデータに過ぎませんので、その後どうやって拡散されるかわかったもんじゃないというか...まぁ実際ばらまこうと思ったり盗もうと思ったら簡単にできてしまう時代になっていました。

 でも使う側はそこまで意識が及んでいなかった。
 携帯の小さな画面の向こう側に何があるのか。
 その背景にある技術にまで意識は行っていなかった。

 そうこうしているうちに進歩は加速。
 ついにはTwitterやLINEのようなソーシャル環境が当たり前のような時代になってきました。
 まぁ今まさにそんな時代な訳ですが。

 デバイスというかガジェットもスマホやタブレットが爆発的に広まって加速度的に性能があがって行きました。

 けど使ってる側に見えているのは相変わらずスマホの小さな画面と身内という狭い範囲

 意識としてもインターネットがどうこうなんて意識はないまま使っている。

 当たり前のように手元にあるデバイスから当たり前のように友達や知り合いとやりとりをしているだけで、それが他人に見られているかどうかまでは意識が及んでいない人がまだ多数。

 馬鹿をやる若者というのは、まさにその中心の年代なんじゃないかと思うのです。

 だから友達や身内に見せるつもりでTwitter等のインフラを使って写真を共有する。本人としては「身内に見せるだけ」のつもりですから、勝手にそれを広められると「勝手なことをするな」となる訳です。

 が、そもそもTwitterは公開の場で大声で井戸端会議や独り言をしているようなものですから、本人やその仲間以外の人も簡単に見れますし保存出来ますし拡散して広めて行くことが出来ます。
 LINEにしてもそう。

 今話題になっている問題の根っこにあるのはそれかな...なんて思います。

 そもそもインターネットというものがよくわかってないはずなんです。
 今の若い世代って最初からそれは身近にあって物心ついた頃にはインフラとして整っていたわけで。
 パソコンなんてなくても普通に使える環境になっていてその中で育ってきたんですから...電機やガスのように理屈は知らなくて当たり前に使えるものとして認識している。

 けれどネットってものは巨大で広大で無秩序で...善意だけではない悪意にも満ちあふれた世界です。そんな意識で使っていては悪意に飲み込まれてしまうのは必然かと。

 私なんかのおっさん世代だとインターネットは後から整備されて行ったインフラです。最初はパソコンがないとアクセス出来ないものでしたし...ウイルスも含めて危険なことというのは都度話題になってましたし経験としてもまぁ危ないこともあるよな...という認識は持たざるを得ませんでした。

 けれど今の世代はパソコンなんかなくても最初からインターネットにつながっている。
 アクセスしている。
 となると危険も何も知らないまま使っているかもしれない。
 
 そりゃまぁ馬鹿もやるし予想以上に広まっちゃってびっくりしちゃうし焦っちゃうよなぁとも。

 親が教える?親もよくわかってないのに?

 下手すりゃ親は使ったこともないかもしれない。

 学校が教える?
 まさか。教師だってそんなこと言われたって困る。

 誰も教えられない。
 教えてくれない危険。
 ネットの使い方。
 ネットとのつきあい方がよくわかっていない。
 でもみんな使ってるし自分もなんとなく使えている。

 今まさにそんな時代なんだろうなぁと。

 小さな画面の向こう側に広がる大きな世界。深淵の闇。

 自分たちが小さな世界だと認識していて。
 身内しかいないはずと思っている環境...その世界は、実際にはそうではないと知る瞬間。
 それが今話題になってる馬鹿をやった結果が大騒ぎになったまさにその時かと。

 技術の進歩に。
 インフラの進歩に人がまだ追いついていない。
 でもその進歩した世界で育った子供達に親も追いつけない。

 むかしからある馬鹿な行いが、今の時代だとあっという間に日本中に、世界中に知られてしまう。
 ネットの情報は消したつもりが消えていないものです。誰かが保存したらもうアウト。
 それはGoogleのキャッシュだったりネット魚拓だったりするかもしれない。
 自ら残した証拠が...逃げられない手錠として自らを縛り付ける。
 
 ネットを使っていると他人が本当に「関係ない人」と見るような癖がついてしまう気が以前からしています。
 気安くやりとり出来るので親しくなるのも早いんですが、つながりが薄い。
 ましてやりとりもしていない他人なら「自分とは関係ない人」として認識してしまう。

 だから容易に攻撃出来るし批判もしやすい。
 相手の目の前で大きな声で言えるなら立派なものですが、なかなかそう出来るものではなく。
 でもネットで書き込むだけなら簡単至極。

 余談ですが、実際私もこのブログに様々な感想をいただきますしメールも頂きますが、それはもういろんな意見が来るわけで。殺害予告も結構いただきますし2Mbyteを超える批判が連ねられたメールをいただいたりもしますしで、なんとなくまぁ...そう感じるだけの理由はあったりします。
 とはいえそれを止めてくれとも言わないというか言えない自覚もありますし。
 自分自身の意見の発露としてこういうブログやっててコラムめいたものを書いていれば、批判のひとつも受けないのはおかしいよな。ネットだからそりゃみんな好き勝手に書くよな。
 よしそれもそれでいいだろう。それはそれで受け止めて行こう。そんな感じに思ってるから最近はダメージ少なくなりました。

 でまぁ、余談はともかくそんな簡単に批判される環境だなんて使ってる側は批判されるまでわかってなかったりしますので...馬鹿が露見すると一気に拡散されてぶっ叩かれて総攻撃を食らってから「うわーどうしよう」となったりするのかなと。

 そうこうしてるうちにネタを探している人達にまとめられ拡散されて様々な情報が付加されて加速度的に情報が深くなり広まって行く。
 あっという間に個人や環境の割りだしが始まってしまう。

 そしてそれを見たマスコミにロックオンされる。
 商売ですしネタとしてセンセーショナルですからそりゃもう識者を呼んでいろいろ語らせたらお手軽にイケるネタになりますから逃がしはしないでしょう。

 そうしてマスコミがセンセーショナルな見出しと共に煽ったら...馬鹿をされた店や企業は予想以上の実害を被りますから内密に処理することも出来なくなる。
 かばおうものならこんどはかばった店や企業が日本中から総叩きになりかねない。
 企業としても「この馬鹿やったやつは関係ない人です。全部こいつのせいです」とするしかなくなる。

 ネットではなく現実の環境なのに「知らない人」のように扱うことで逃げを打つしかない。
 まぁ正社員じゃなきゃ切り捨てるのは簡単です。理由もある訳でそりゃ容赦なく叩っ切って責任全部かぶせてしまうでしょう。損害も含めて全てを押しつけて。
 そして「ここまで私達はやらざるを得なかった。ここまでやって責任を取ったのです」という形を作らないといけない空気が出来てきて...今のように店をたたんだりとか告訴とかまぁそんなオチへと流れ込んで行くのかなと。

 あくまでも想像ですけれど。
 見てるとそんな感じがしないでもない。

 人によっては弁護する人もいる訳です。
 昔から馬鹿やるやつはいた訳で、何も企業がそこまでしなくてもとか。

 とはいえ鬱屈した空気漂う昨今です。
 誰かを攻撃するというのは...自分に被害がなくて自分がやってるのがばれないなら...そりゃあスカッとする行為ですから。やる人はたくさんいるかと。私だってそうした一面はないなんて言い切れない。誰しもが持っている負の感情が出やすいのもまたネットというものかと。

 社会全体が総攻撃してくるとなると企業だってかばうことは難しい。

「悪いのはこの子たちで私達はまったく悪くありません」

 とばかりに逃げるのがトレンドになってしまうのかなと。

 不採算店舗でやってくれればむしろ閉じる口実になる...とはよく言われる話ですが実際はどうなんだろう。そればかりが理由じゃない気がするけれど。

 小さな画面の向こう側に広がる世界。

 魔物も悪魔も善人も天使もいるカオスなネット空間。

 誰かが付き合い方を教えてあげないといけない時代。
 そうでないとこうした事件は減らないじゃないか。なんて思うことが増えてきました。

 大人ぶった私たちもまた。
 ネットの使い方を。
 ネットとのつきあい方を知らないまま使っているんじゃないでしょうか。

 小さな画面の向こう側からこちらを見ている視線に気付かないまま...

「誰も学ばない、誰も知ろうとしない、誰も教えない。
ネットを覗く者はその課程で自らが見られていることを自覚せよ。おまえが他人の情報を見るならば、相手もまた等しくおまえを見返すのだ」




原文(ニーチェ)
-怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ。おまえが長く深淵を覗くならば、深淵もまた等しくおまえを見返すのだ。