時代を彩ったかつての名機たち(5)...ファミコンと戦い敗れた廉価パソコンの雄 「侍達の夢」ソードm5

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 いつの時代にも「先駆ける」製品というものは存在します。
 ホビーパソコンのカテゴリだと...私にとってはソードのm5こそが先駆け...いや魁と書いた方がしっくりくるような気がしますが...時代のど真ん中を駆け抜けて行ったホビーパソコンに思えます。

 今回は8Bit黎明期に突如現れて子供達の心を鷲掴みにし「和製AppleⅡ」とも呼ばれ発売会社のSORD(以下ソード)の名を高めながらも...時代の流れの中で様々な事情によりファミコンやMSX(初代規格。以下MSX)にその道を譲らざるを得なかった名機「m5」についてのお話です。
 このm5というパソコンですが、まず思い浮かぶのは「とてもなくコンパクト」なパソコンだったこと。今薄型ノートというかウルトラブックとかMacBookAirとかあるわけですが、当時のインパクト的にはそれに近いイメージのパソコンで。

 厚さも当時としては薄いもので非常にスタイリッシュでした。(当時はぶっといキーボード一体型が主流)

 その秘密のひとつはキーボード。

 いわゆる「消しゴムキーボード」と呼ばれるやわらかくふにゃっとしたキーボードで手触りも消しゴムっぽく。
 そしてなにより...スペースバーがない(^^; 独特のキーレイアウトをしていました(一応スペースキーはありましたが右手の小指で押すのかな?と思える位置。そう、リターンキーの下辺りにあったかと)。

 では使いづらかったのかというと...どうなんでしょう。子供の指だとちょうどいい感じだったかなと思います。私が触ったのは中学校の頃でしたが、十分楽しめるいい感じのパソコンだった記憶があるので言うほど使いづらくはなかったかと。(私が愛用していたパピコンこと6001のキーボードの方がとてつもなく使いづらいぐらいでしたし。というかあれは痛さすら感じるキーボードでしたから)

 実際今のB5ノートと比べても遜色ないぐらいの大きさだった記憶があります。

 見た目は驚くほどSEGAのSC-3000と似ていたり。スペックもほぼ一緒だったり。というかなによりスペックはMSXにそっくりだったり。この3機種実は腹違いの兄弟なんじゃないか?というぐらい同系列のパソコンに見えます。

 が、特筆すべきは...m5の基盤は「美しかった」ということ。

 MSXは...各社いろいろな機種の基盤を見ましたがなんというか洗練されてない。ものによってはジャンパ飛んでたり。(VDP周りにえぐい配線があって思わずのけぞった機種もあったりなかったり)

 SC-3000の基盤は...うーん...SEGAらしいというからしくないというか。個人的にはもともと違う設計だったのを無理やりまとめたんじゃないか? と思える基盤でした(初期型だからかなぁ。実際初期型SEGAサターンとかも基盤見ると???となる部分がたくさんありました)。

 m5はその点で見た目に「美しい」感じです。内部のことなんて普通見ないのかもしれませんが...当時はマニアックになると本体の改造のために(あるいは修理のために)半田ごてを握るのはわりと普通だった口なので(もともとTK-80とか触ってましたから)、いろんなパソコンの基盤を見ていろいろと考えにふけったものです。

 そんなm5ですが、登場と共に全国の子供達...特に中高生のハートを鷲掴みにします。

 最大の魅力はカセット(カセットテープではなくファミコンカセットを想像していただければ)で供給されたナムコのゲームの数々。当時のナムコはPCゲームに力を入れていたわけで、m5はファミコン前夜のナムコのプラットフォームと思ってよかったかと(半年とちょっとあとに出たMSXのおかげでその辺りもだいぶ揺れ動いてしまいましたが...)

 本体に標準添付されたBASIC-Iと呼ばれるカセットを刺せば他機種と同じようにBASICでプログラムを楽しむことが出来ました。(本体内蔵ではなかった)

 これとは別売りにゲーム用BASICとも呼ばれたBASIC-Gと呼ばれるカセットもありまして。こっちは非常に強力なBASICでした。今考えても時代を先度っていたというか、あのハードでよくもまぁあれだけのものを...と思える出来。ただまぁ使えるメモリは少なかったのですごいゲームが作れたかは微妙ですがシューティングゲームやアクションゲームを自作するにはうってつけでした。

 整数演算しか扱えない等いろいろ言われていますが、開き直ったその仕様はむしろ高速で楽しい。そう、使ってて楽しいBASICだったんですよね。

 私は購入しなかったのですが、友人がこのm5をこよなく愛していて。BASIC-Gを買って一週間後に会った時には見違えるほどプログラマーな子になってました(笑)
 それだけ覚えやすくて楽しいものだったんでしょう。私も彼に教えてもらっていろいろ楽しみました。PC-6001との比較になりますが、単純にBASICだけで勝負するならこちらの方がいろいろ楽しめたと思います。

(余談:ただしすぐに壁にぶちあたってしまったらしく今度はメモリの制約等をどうするかで最適化や圧縮を考えるように。まぁ、彼は今ゲーム業界で3DSのゲームとかのプログラマー統括やってるぐらいですからこのパソコンが彼の人生を決めたのかもしれません。もっとも、m5の次にMSX2、そしてX68000へとその歩みを進めたので子供の頃からの夢をまっすぐかなえたといえるかもですが。この学生時代に彼がはまりこんだメモリ最適化やドライバーの制作などm5やMSX2...あるいはX68000で培った技術はポリゴン全盛期のコンシューマーゲーム時代に突入し...いったんは窓際扱いされた彼をゲームボーイアドバンスドの発売が揺り動かし...再び第一線へ復活させる原動力となりました。いつか書いてみたい実話です。彼の家には今でもm5が押入れにそっとしまってありいつか息子と遊んでみたいと言っていました)


 まぁ6001は6001でモニタコマンドをBASICで作ってやってアセンブラを楽しむというおバカなことしてたんで私にとっては最高の入門機だったんですが...それはおいといて。そしてmk2ユーザーを血涙流して見つめていたこともおいといて
 
 拡張ボックスという追加ハードでカセットを複数刺せたようなんですが、残念ながら友人は親に買ってもらえず。我慢してるうちにMSX2の発売と共に本体を購入してしまったので追加投資はそっちに回っちゃった感じ。なので私は触ってません。無念。

 RAMの増強とか出来たようなので、そうするとプログラム次第ではいろいろとすごいことが出来たかな...と今なら思えるのですが。

 フロッピードライブも存在していたので、拡張スロットがあればRAMを増強してフロッピーを駆使してBASIC-Gで楽しめたはず。実際そうして拡張して遊び倒した人たちもいたのですから。うらやましい話です。

 まぁ3インチの片面フロッピーですから...320K程度の容量だったのかもしれませんが、カセットテープに比べたらどれだけ早かったか(先日紹介したSMC-777も同様)。

 ビデオ周りも特殊で、VDPコントローラーを使用している辺りまさにMSXの兄弟機に思えます。ゲームに有利な機能満載でした。ナムコがいろいろとゲームを出してくれたのもうなづけます。音周りはちょっとさみしかったですが...それでも当時はわくわくしたのです。

 このパソコンの最大の欠点は...たぶん電源ユニット。ACアダプタというか。ともかくでかくて重い。今でいう「XBOX360のレンガのような電源ユニット」の先駆です(苦笑)
 子供心に「これぱそこんほんたいよりおもいよ」と思ってたぐらいです。(でも気にしないで遊んでいましたね...)

 ただ本体がともかく恰好よかったのと(所有していた友達はBOXYのボールペンみたいだといって自慢してました。スーパーカー消しゴムを机の上で落としあう遊びの時に大人気だったスタイリッシュなボールペン。子供心に格好よさがだぶっていたんでしょうね)、いくつものナムコのゲームが遊べてBASICも結構強力。子供心にとてもうらやましかったという...。

 ビジネスパソコンを手掛けた様々な会社では絶対に作れない...そんなパソコン。それがm5でした。

 そのm5を生み出したのはソードという会社。
 古い時代のことなので(今から40年以上前)さすがに資料が乏しく細かい情報はWikiに頼ることになりました。
 創立は1970年。

 日本のベンチャーの先駆であり様々なパソコンを作っては市場に果敢に挑戦しています。8080(今ではZ80の方がメジャーになってしまいましたが)のパソコンを早々と発表していたり技術力には大変に定評があったようです。

 東北大学のOBによってつくられた会社で、その理念の根本は「高いコンピューター(計算機)を安価にしてみんなで使えるようにしちゃおうぜ!」といったある意味で身近な...そして学生が掲げるには大変に壁の高い目標だったようです。

 マイクロソフトもいまだ存在せず(1975年ごろにビルゲイツがポールアレンとやんちゃして始めたのが起源)...初代Apple(企業名ではなくパソコンとしてのアップルの初代機)が1976年ごろの登場ですから相当に早い。
 普通早すぎる着目点を持つ人達というのは力負けして市場から消えて行くか(理想が高すぎたりするのが原因でしょうか)、大成功して巨万の富を得るか...いろいろなパターンがあるのですが、ソード社はそのどれとも違う歴史だったかな...と。
 確かに後々の成功はあるのですが、初期は相当に苦労し...辛酸をなめ尽して何度も膝を折りそうな状況の中でエンジニアを中心に果敢に挑戦を続けた人達。

 侍達が集ったひとつの集団。

 初期はまさにそんな感じだったのではないでしょうか。

 なんというか侍が集った梁山泊のような。

 そのソードが出したパソコンの中で大きな成功となったのがm5だったのかなと。

 そしてもうひとつの成功はm5より数年前に発表されたPIPS。どんなものだったかというと...今現在われわれが大変に恩恵にあずかりまくりの表計算ソフトの元祖というか祖先というか。そのようなものだと思っていただければ。
 ともかく1980年といえばまだマッキントッシュも出てませんから。その時代から関数計算やグラフ作成など今日の表計算ソフトの基本機能を作り上げていたのは凄まじいと思います。
 このPIPSが使いたいがために皆ソードのパソコンを買う...そんな時代が確かにあったのです。そんな中でソードの理念に従って「子供達が安価に使うことの出来るパソコン」として誕生したのがおそらくm5だったのではないでしょうか。

 当時の価格にして49800円。決して安くはなかったでしょうが、子供にねだられた親が「きついけど...いいか」と思える価格。他のホビーパソコンに比べても一段階低い価格帯。
 後にMSXが占める領域をm5は瞬く間に席巻します。(同時にBASIC-Gやジョイパッドがついた兄貴分としてゲームパソコンm5が1万円高い59800で発売。今考えるとかなりお買い得)

 おっさん世代にわかりやすく言うと前年の1981年にNECがPC-6001初代を89800円で発売していた時というとわかりやすいでしょうか。
 いかに安価な機種でとっつきやすかったかがわかります。

(余談2:この翌年には68000とZ80を搭載したパソコンを発売したりしています[M68シリーズ]。見たことはないんですが、時代を考えると相当先取りしてるなぁ...と。搭載CPUから思い起こされるのはSEGAのメガドライブ。でもその登場は5年以上後ですから...まぁホビー用のパソコンではなかったようですが目のつけどころがすごかったひとつの証明かなと。まだ68000の良さがそこまで浸透していないころですから...)

 時代の先駆となったソード。一時は年商200億(wikiより)にまでなったというからその勢いがわかります。

 しかし...

 時代の流れの中でソードに...そしてm5にいくつもの不幸が襲ってきます。


 まずm5自身が大幅なバージョンアップがされなかったこと。
 後継機m5 Proやm5Jrは出ましたが...ライバル機種たちが競い合うように機能を積み上げている中で、ソードは自社の理念に従っていました。
 安価で使いやすいもの。確かにそれは素晴らしかった。けれど、時代は高度成長期へと入り...豊かな時代が到来していました。
 やや高くても高機能なものを...そんな時代に入っていたのではないかと思います。私自身がそうした時代を生きていますので実感としてそうだったかなと。

 ライバル機種の存在も大きかった。先ほども書きましたがMSXの登場。1983年といいますからm5の後から来たライバル機。
 驚くほどよく似たその中身。しかし音源等はMSX有利。そして各社からMSX規格のパソコンが発売され...価格も安いものがちらほら。
 ゲームもたくさん発売されるわけですからユーザーの目は移りがちに。そのMSXに対抗するように発売されたProやJrでしたが...勢いはすでに落ちていました。ジョイスティック等の周辺機器の差もあったのではないでしょうか。
 MSXの登場。そしてパソコンではなくゲーム専用ハードの普及(ファミコン)によりm5は次第にその姿を消していきました。熱狂的なファンたちに惜しまれつつ。その登場から退場までの数年間。日本のパソコン市場に与えたインパクトは大きかったと私は思います。

 ソード社はどうなったのか。ここにも複雑な事情と時代の流れがありました。

 ...PIPSと自社ハードへのこだわり。PIPS自身は非常に高評価されて様々な企業からぜひうちにとオファーがきていました。世界の企業から「うちのパソコンに搭載させてくれ」と言われていたわけですから...ある意味ですごいことです。
 この時にソード社が決断して各社にPIPSが供給されていたら...今日のオフィスソフトの大半がソード社を起源としていたかもしれません。それほど人気があった。
 けれど...ソードは侍の会社だったのでしょう。自ら定めた強い意志に従って自社ハードへの搭載にこだわります。ソードはソフトウェアの会社ではなく「パソコンを作る会社」だったのです。ソフトウェアはその上で動くもの。
 今のAppleに近いものがあったかと思います。m5が和製AppleⅡと呼ばれたのもうなずけます。

 時代が16bitへの波に乗る頃。ソードも16bit機(先ほど余談に書いたM68シリーズ)を投入します。


 けれど...


 さまざまな荒波が襲いくる。wikiには部品調達の失敗などと書かれていますが、実際にはそれだけでもなかったようです。今となっては当事者の方々に聞かなければわからないことだらけですが...
 人と人との関係。金銭の関係。部品の調達。市場の動き。様々なものがソードを追いこんでいったのではないか。当時の資料を見るにそう思えてなりません。

 ついに1985年。ソード社は業務提携の名のもとに東芝傘下へ。実質的な売却だったと言われています。(実際のところは資料がなくて私には確認出来ませんでした)

 実はその後のソードは名前を変えて現存しています。


 今となっては在籍している社員の方ですら「へぇうちってそんな歴史だったんだ」と言ってしまう古い話となっていますが。会社は残っています。
 創業の理念はどうなったか。東芝一色に染まったのか。私にはわかりません。

 創業者のひとり椎名堯慶氏はその後プロサイドを設立。秋葉原の自作マニアなら名を知っているのではないでしょうか。やはり安価なパソコンをみんなの手に...その理念を守られていたようです。
 その後プロサイドはなくなってしまいましたが、今でもご活躍されているとのことなので、今でもまだ...世界を狙っているのではないでしょうか。
 ネット検索しても様々なところにそのお名前を拝見出来ます。

 秋葉原で青春を過ごしちゃった身としてはやはり忘れてはいけない名前...尊敬すべき方だと思います。




サーティファイのページにも写真とお名前がありました。幅広く活躍されているようでなんとなくうれしい気分にさせていただきました。この場を借りてお礼を申し上げます。面白い時代に面白いパソコンを発売してくれてどうもありがとうございました。


 侍達が描いた夢。その中でもホビーパソコンとして作られたm5。和製AppleⅡと呼ばれた名機。しかし時代の流れは速く。わずか数年でその歴史は終息に向かってしまいます。
 当時のユーザーたちの熱い思いは今でも根強く。m5で育った人たちは...様々な夢を胸に社会に飛び出しました。ある者はゲームクリエイターに。ある者は雑誌編集者に。ある者はおもちゃ会社の営業に...夢を追いかけて...そして駆け抜けていきました。

 m5の晩年は他の8bitホビーパソコンと同様ファミコンの登場により一気に劣性となります。アクションゲームやシューティングゲームは専用機で...その流れは止まらず。
 ある意味ではSEGAのSC-3000はm5の色合いを強く受け継いだ存在だったかもしれません(開発・販売会社が違っていたとしても。奇しくもファミコンと同じ発売日というSEGAらしいハードですが。BASICで言ったら圧倒的にm5の方が強力なものを搭載していまたし)。

 タイトルにも書きましたが、最終的な評価としてはファミコンに敗れた廉価PCという位置づけにされています。(wikiでもそんな書き方をされています)
 和製AppleⅡの呼び名も性能よりどちらかというと仕様公開がオープンであったことからついた名前でしょう。

 ゲーム専用機の普及によりホビーパソコンというカテゴリー自体が消えて行った中でm5もひっそりと終焉に向かっていきます。

 子供達に「作る喜び」を与えたソードm5。侍の魂を注ぎ込まれた8bit機。
 その開発会社と共に無念の涙を流したホビーパソコン。もしあの時ほんの少しだけ歴史が違っていたら。あるいはMSXではなくm5が他社から出て...そして世界中にPIPSが広まっていたかもしれなかった。
 日本の侍が世界の強豪が立ち上がる前に生み出していた会社。その落とし子は...確かにひとつの時代を作って...去って行きました。

 
 ファミコン前夜ともいわれる時代からゲーム機戦争までのもうひとつのゲーマーたちの拠り所だったパソコンの存在。

「ホビーパソコン」の終焉と共に消えていったかつての名機たち。
 今となっては思いでの彼方の名機たち。

 あまりマニアックなところには触れず今後も様々な機種を紹介していければと思います。

※(2011/12/16追記)やはり思い入れのある方が多いようで、M5ではなくてm5ですよ!あの小文字もまたデザインです!とのご意見をいただきました。確かに! うっかりしていました。
記事内を全てm5に統一させていただきました。当時夢中になった世代ならではのこだわりはやはり熱いですね(^^)

※今回の記事を作成するにあたり当時のユーザーズクラブ「ハードコア」の会長...そして後のニンテンドードリーム編集長である岩井さんに記事をチェックしていただきました。記憶たよりの記事だったので正直不安でしたがとても助かりました。当時を懐かしんでいただけたようで幸いです。本当にありがとうございました。