時代を彩ったかつての名機たち(8)...ゲームメーカーの挑戦 後継機たちに魂を受け継いだセガの長兄「SC-3000」

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 8bitパソコン黎明期。
 それぞればらばらの会社から発売されたにも関わらずほぼ同様のハード構成だった3つの機種がありました。
 ひとつは先日紹介した「侍の魂」が宿ったソードのM5。
 ひとつは時代を駆け抜けて行った「本物のホビーパソコン」の雄MSX。
 そして...今回の主役、ゲームメーカー「SEGA」が発売したSC-3000。

 SEGAとパソコンというと「テラドライブ」が有名なんですが、もっと昔...そう、遠い遠い昔にSEGAが初めて発売したTVに繋ぐゲーム機は「パソコン」が主役だったのです。ゲーム専用機であるSC-1000はあくまでもその廉価版という位置付けでした。
 今回はこのSC-3000について振り返ります。





 まず語弊を承知で言いますが、SEGAという会社はいつだって「無謀なほど時代を先取りする」企業です。無謀というのが悪い意味にしか思えないでしょうが、私にしてみればむしろ褒め言葉。

 ゲームメーカーが他社の真似してどうします。

 他社に先駆け、抜きん出てこそ華。

 それがゲームメーカーの本来の姿だと思っています。そういう意味では今のゲームメーカーの姿は...残念ながらもうゲームメーカーというより「ゲーム下請け屋」か「生産性重視ぱくり上等企業」みたいな会社が目について寂しいかぎり。
 別に昔はよかった...なんて言うつもりはありません。海外に目を向けるとまだまだ元気いっぱいで他社を出し抜こうとやる気満タンの会社はそれこそごろごろいますから。日本だってそのうち見えないところから「にょっきり」とそうした会社が現れ始めるんじゃないかな...そんな気もしてますし。

 まぁともかく当時のゲームメーカーは今時とは違って「チャレンジ精神に満ちあふれていた」のは確かでしょう。
 なきゃ作る。遊びたきゃ作る。とはいえ当時から模倣はあったわけですが、単なる模倣や真似に終始せずさらに上をいくようになっていった。真似してどうします、と先ほど問いましたがさらに上を行くゲームにしてしまえばいい...が当時の回答だったのかもしれません(今時はそんなことすれば訴訟合戦でしょうが)。

 そんなおおらかな時代...チャレンジ精神に満ちていた時代でもゲームメーカーがパソコンを作るというのは...この当時はおもちゃメーカーがパソコンを出してたりしますので(RX-78やぴゅう太なんてものもありましたから)、それほど意外ではなかったのかもしれませんが...それでもやはり体力のあるおもちゃ屋と違ってSEGAがやったというのがすごかった。
 当時のゲームセンターの主役の一人が挑戦する訳ですから子供的にもちょっとは話題になるわけです。

 というかSEGAのハードは昔から良くも悪くも話題になりがちなんですよね。

 パソコン通信が主流だった時代にドリームキャストにモデムを標準装備してみたり。
(見据える方向は間違いなく合ってるんですが、視線が高すぎるというか...ともかく時代を先取りしがち。亡き大川会長の意思でもあったかとは思うのです)

 メガドライブにモトローラ68000を搭載する辺りも含めて独特の感性というか、目指す高みが高すぎるのがある意味社風。

 でもそれも当然で。

 「夢を売る」商売をしているのです。

 夢のないハードを出してどうするんだよ...と。

 そういう意味ではむしろ「当然」の目線だったのかもしれません。
 私はまぁ相当なSEGAファンだったようですので、結構ひいき目もありますが(笑)


 さて。SC-3000発売当時。
 ゲームセンターを主戦場としていたSEGAは家庭用ゲーム機への参入を計画しました。とはいえゲーム基板をそのまま家庭にもってくる訳にはいかない。高すぎるしでかいしまぁいろいろと。

 そこでゲーム用のハードを発売することを計画します。
 ...でもなんでか生まれたのがゲームPC SC-3000。

 ゲーム機にBASIC等を追加するのではなく、「ゲームメーカーが開発して発売したパソコン」という稀有な存在。というか、ある意味後にも先にもそんなものは見当たらないんじゃないか?と当時ですら思われる面白い存在でした。(ファミコンにもベーシックが出ましたが、あちらはゲーム機に追加する要素。SC-3000は普通にゲームも遊べるパソコンとして発売)

 SC-3000の発売の前年にはソードm5が発売されていますので、おそらくお手本としているのではないかと思われますがこの辺りは定かではありません。(基盤見るとまるで違うので真似じゃないとは思いますが)

 ただ、ほぼ同時期に出たMSXもまた似たようなハード構成であったことを考えるとなんかしら関係があったのかもとは思いたくなります。結果論としてでしょうけど。
(ぶっちゃけると当時安価にパソコン作ろうとして汎用品を使うとだいたいこんな構成のハードになっちゃうんですけど)
 
 SC-3000はパソコンと名乗ってはいますが、パソコンとして考えると少々厳しいハードでした。キーボードは使いづらいしBASICは貧弱。どちらかといえば「パソコンとしても使えなくもないゲーム機」という存在です。

 同時発売で廉価版のSG-1000が発売になっています。
 SG-1000はSC-3000からキーボードを取っ払った廉価モデルと思えばいいでしょうか。どちらかというと予備の2軍と行ったところ。

 m5やMSXもそうですが、当時のパソコンは「ゲーム」が動かなければ意味がない。そのぐらいゲーム機としての側面が強かった。特にホビーパソコンはその性格上どうしたってゲームからは離れられない。(私のはじめてのパソコンPC-6001もROMカセットによるゲームが最初は売りでした)

 そこでセガは自社の強みであるゲームを前面に押し出してパソコンを発売することにして、廉価版としてSG-1000を用意しました。...でもこれがまたSC-3000にとってはあまりよろしくなかった。
(おっさん世代にわかりやすい笑い話にすると、初代FM-TOWNSとマーティを同時発売したようなものでしようか)

 実はこの時点でSC-3000はかなり暗雲漂う船出だったという...ネタの多いSEGAの歴史でもこのSC-3000とSG-1000の発売日の状況は本当に狙ったかのような大嵐。

 というか自分で自分のライバルを出してるようなものですから(笑)
性能に大差がなくパソコンとしての機能がいらない人は...そりゃあ安い方を買います。

 そう。ゲームしか目的にしない人は最初から安いSC-1000を買いますわ...それは..当時も今もパソコンに興味のない人だったら安い方で十分と思うでしょう。同じゲームが同じ性能で遊べるのですから。.

 でも前評判はそれほど悪くなかった。TV CMも繰り出して市場を盛り上げようとしました。

 そして迎えた運命発売日。

 同じ日に京都から最強のライバルファミコンが発売になっています。

 もうこの時点で厳しかった。かなり。というか相当。

 なんというか、自社でライバルを作っておきながら外からも強力なライバルが出現する。二正面作戦をわざわざ展開している。なにやってるんだろうなぁ...としか後から見ると思えない。まぁ後から見てるからなんですが。
 当時のSEGAとしては出来ることをやってるんですが、後から見ると「もう何やってるんだよー」という気持ちになりがち。(むしろここでSG-1000を同時発売しておいてどっちが売れるか見てから、SG-1000に舵を切ったのは正解だったという見方もあります。企業として体力があるならかなりいいやりかたかな)

 ともかくSC-3000は発売日の立ち位置からして微妙な雰囲気が漂うハードでした。一応SEGAとしては本命はこちら(SC-3000)だったようなんですけれど。
 それでもそれなりには受け入れられたのが時代のせいかなんなのか。ある意味いい時代でした。

 SC-3000のハードウェアに注目すると、ほぼm5やMSXと同様なハード構成です。基盤の美しさはm5の方が上ですが(笑) 性能的には本当によく似ています。(でも互換はない)

 まぁMSXの場合は似て当然というか、さきほども余談で書きましたが当時メーカーが扱いやすく安価なパーツで構成してパソコンを作ったらこうなるよね!という規格(あくまでもMSXは規格であってパソコン名ではない)ですから。

 SC-3000も似たような経緯でハードを決めたんではないでしょうか。先ほども書きましたがm5を真似たとかそういうわけではなく、当時安くゲームが楽しめるパソコンを作ろうとしたらこんな感じにならざるを得なかったと思っています。
 ゲーム開発する方も楽ですしね(苦笑)
 BASICはゲームと同じくカートリッジで提供したわけてすが、このBASIC。とてつもなく使いづらい。そして機能が弱い。

 せっかくのゲーム機用なのにその機能を活かせない。MSXと比べるとちょっとなんというか...発売を急ぐあまり見切り発車したのか開発期間が短かったのか。
 何種も出たBASICはどれも大差ない上にあまりよろしいものではなかったかと。

 厳しいようですが、当時触っていた友人がすぐさまMSXに流れた辺りに真実があるような気がします。(私も最初のものは触りましたがすぐに飽きてしまいました。
 売ってるゲームと同じようなものが自分でも作れる!と思って買うとかなりしょんぼりすることに。
(この時の思いを胸に生きた中年のおっさんおばちゃんが今更になってDS用のBASICで夢を叶えることになるとは当時予測も出来ませんでしたが)

 一応テープだけでなくフロッピーも発売する辺り未来を見るSEGAらしいのですが、時代が早すぎて3インチ(3.5インチではない)。しかも鬼高い。
 本体29800のパソコンに79800の周辺機器(まぁフロッピーだけでなくROMだRAMだ各種インターフェイスだとてんこ盛りに増強しているので高いんですが...)を出す辺りがなんというか。その上マーケティングがあまりうまくない。

 まぁ時代的にOKっちゃOKの時代ですが、ホビーパソコンの分野では他社から見ても首はひねられる存在ではあったようです。とはいえ「ゲームメーカーの挑戦」としてはアプローチは正しかったかな...と。夢は見れましたから。
 惜しむらくはゲームを作る楽しさを教えるための部分にもう少しだけ...力が入らなかったことでしょうか。

 特徴的なのはそのキーボード。いわゆる「消しゴムキーボード」です。結構取れやすく...ぶっちゃけタイピングしづらい(笑)
 まぁ味があるキーボードではありますが...m5といい当時は結構流行ったのかもしれませんねこのキーボード(それでもPC-6001に比べれば指が痛くならないだけでも)

 使い込むとキートップが削れて何が書いてあるのかわからなくなるということでブラインドタッチ養成キーボードといえなくもない...かな。
(いえないですねすいません)。

 すぐにそのキーボードを普通のキーボードにしたSC-3000Hが発売になっていますが、あまり見かけませんでした。売れたのかなぁ...売れてるといいなぁ。(少なくとも私が子供時代には見ませんでしたから)

 ここまで書くと失敗ハードにも思えるのですが、実際にはそんなことはなく。
 国内ではなく国外で花開いていたという。
 海外でOEM生産もされたSC-3000ファミリー(SG-1000がメインですが)はそれなりの売上を見せます。国内のSG-1000も含めた世界での総販売台数はSEGAに自信を持たせたと言われていますからそれなりの数が販売されたようです。

 MSXやm5と最大に違うのは発売元がゲームメーカー自身であったため「ゲームコンテンツ」には不自由しない状態でした。出来はともかく「SEGAのゲームが遊べる」ハードとしてその立ち位置を確立しました。これは大きかった。(そして以後のSEGAハードの特徴ともなっていく)

 パソコンとして買ったけどいまいちだな...と思っていてもゲームは十分に遊べたわけです。私の友人で買ったやつがいますが、まさにこれ。パソコン買ったつもりがSEGAのゲームにどっぱまりと。

 以後ずーっとSEGAのハード買ってましたしね彼。

 確かにライバルファミコンとの性能差はありましたが、SEGAのゲームがいち早く遊べるというのはやはり強かった。任天堂もアーケードゲーム等出してはいましたが、SEGAのゲーセンラインナップは結構厚い。もちろんハード性能があるのでだいぶ違うゲームが出たりしてますが、それはファミコンだってそう。
 夢があれば...雰囲気があれば。それだけで楽しかった時代です。

 また互換機があったのも強かった。国内でもツクダオリジナルから互換機が発売されていましたし(オセロマルチビジョン。SG-1000にオセロゲームを最初から搭載していたハード。SG-1000とほぼ同等。後に安売りになった時はSG-1000よりお得感があったらしい)。

 SC-3000とSC-3000Hはそんなに時期が違わず発売されているわけですが、この辺りも結構迷走してるっちゃ迷走してるのかもしれません。でも互換性は常に保たれていた。

 実は残念ながらSC-3000として...パソコンとしての系譜は直接的にはここで終了してしまいます。パソコンの立ち上げとしては失敗。けれどゲーム機としてはそこそこ成功。

 それがSC-3000の残した表向きの功績です。

 裏向きはどうかというと、そもそもSG-1000は中身一緒な訳で。BASIC含めて資産が活かせればそれはある意味SC-3000が生きているということで(笑)
 そしてSG-1000(の中に潜んだSC-3000)の系譜はその後も進化を続けます。

 翌年1984年。今となってはかなりマイナーな機種なのですがSG-1000Ⅱが発売となります。どんなハードだったかというと、薄型にしたSG-1000というべきでしょうか。
 別売りキーボードがありまして、これを接続してBASICカートリッジと合わせることでほぼSC-3000同等となるという。さっき直接的には終了と書きましたが、実際にはちゃっかり生き残ってたんですね(笑)SG-1000の頃からアップグレードパスを用意していたとは。

 ...とはいえこのキーボード...出回りが悪くて...そもそもおもちゃ屋さんが置いてくれていたかというと。
 ...なんというか...うん。SEGAらしいエピソードかもしれません。これも。周辺機器まで手が回らないというか。
 私からするとこういうお茶目なところも魅力的なわけですが...ファンとはそうしたものかもしれません。

 また、ゲームパッドが独立なものになったためより遊びやすくなっています。この辺りは正当な進化。(でも私このパッド苦手だったんですよね...とほほ)
 とはいえ基本性能は変わらず。あくまでマイナーチェンジモデルという位置付けです。
 知名度も低いので、後継機種SEGA MarkⅢの名を聞いて「Ⅱなんてあったっけ」と言われることもあります。さみしいですが、ある意味で仕方ないのかも。

 ともかくこのSG-1000やSG-1000Ⅱの手応えがSEGAに本気を出させます。

 そう。ライバルファミコンが爆発的なブームになる中で、あえてSEGAはライバルたらんと本格的なゲームハードの投入を決定します。自社ゲームを移植するにももう少しスペックが欲しいところですし、ハードウェア性能で上回れば戦える。そんな自負もあったのかもしれません。
 いや...当初の予定通りであれば十分戦えていたと思います。
 (サードパーティが予定通り集まっていれば...いれば...毎回サードパーティで苦労するんだよなSEGA...とほほ)

 そして当時のSEGAが渾身の力をもって発売したのが名機「SEGA MarkⅢ」。今でも根強いファンを持つ大変魅力的なハードです。
 パソコンとしての方向性はなくなってしまいましたが、ハード的な互換が維持されています。SC-3000やSG-1000のゲームが遊べたわけですから、互換性は結構いいレベルで維持されていました。
 つまり発売日に買ってもゲームがないということはなく、今までのハードから買い替えてもゲームは無駄にならないわけです。
 そしてハードウェア的にはライバルファミコンに勝てる性能を持っていました。
 その性能に自信があったのか、移植の道筋をつけたかったのか、アーケードゲーム用基板にこのMarkⅢと同等のものがあったのが印象的です。

 このMarkⅢ、国内では「マイナーハード」扱いに甘んじてしまいます。性能はいいんですが、ファミコンの力は強すぎました。マリオ恐るべしですか。アレックスキッドも頑張ってはいましたが...
 私はともかくコントローラーが使いづらかった(^^; メガドライブのコントローラーまで私はSEGAのコントローラー苦手だったんですよね。今となってはいい思い出です。

 MarkⅢはそこそこいい感じのスタートだったんですが、致命的なことに初期にサードパーティゲームの呼び込みに失敗。発売当初はSEGAのゲームだけで戦わねばならず...ファミコンの旋風を止めることは出来ませんでした。
 その頃すでにファミコンは「任天堂のゲームがなくても」売れるハードになっていたのでした。私の当時の感覚ですけれど。
(後のNintendo64では任天堂自身がSEGAと同じ状態に陥るから興味深い)

 このMarkⅢ、海外では「マスターシステム」の名で発売されました。デザインは正直マスターシステムの方が格好いいです(笑)
 ただ、BASICを標準搭載したのにSG-1000用のキーボードがつけられないのはちょっとさみしかったですけれど。(国内のMarkⅢにはBASICは標準搭載されなかったのでその部分はうらやましかったかなー。海外ではパソコンとしてのなごりがあったんですね)
 光線銃はやはり北米では外せないということで端子が専用に追加されています。

 北米でもすでにファミコン(SNES)が大勢を占めていましたので、辛い戦いを強いられます。日本に続いてここでもマイナーと呼ばれる存在に。

 ところが欧州ではこのMarkⅢがスマッシュヒット。

 アクションゲームやスポーツゲーム(当時のものですからそれほどすごいものではないんですが)を筆頭にかなりの売れ行きを見せます。
 なんせヨーロッパではメガドライブが全盛期となってもまだマスターシステム用のゲームが発売されていたぐらいですから。

 世界全体で見れば劣勢ではあるものの一定の成功を見せたといえるでしょう。
 意地の見せ所は欧州だったというのが面白い。なんとなくマイクロソフトの初代XBOXが後にたどる道に近いものがあるんですが(初代XBOXは北米を中心にある程度の売上を維持したがアジアでは苦戦した)、ともかくSG-1000よりは成功を収めたかと。

 日本で熱心なSEGAファンが現れたのはこの頃かと。まぁBeepとかマイナー雑誌中心ではありましたが、それでも「ファン」と呼べる人達が出現し始めます。
 このMarkⅢ、国内仕様ですと別売りのキーボードが接続出来まして。つまりSC-3000の直系といえなくもない。(BASICは標準搭載ではないけど確か動作したはず)

 ところで海外版マスターシステムは内部的には「M4」と呼ばれていたようで(wiki参照)、たぶんMark4の略だったんじゃないかなーと。

 まぁそんなにハード的には違いはないんですけどね(^^;

 実質Mark4を名乗れそうなのは国内版マスターシステムでしょうか。
 熱心なファンに望まれる形で発売されたMarkⅢ用の周辺機器にFM音源ユニットがあったんですが(あと連射出来るパッド)、それらを内蔵したいわば「MarkⅢの決定版」とでもいうべき存在として国内版マスターシステムは発売されました。

 カートリッジを刺さずに電源をいれるとFM音源で奏でられるスペースハリアーのBGMが流れたためうっとりと一日聞いていたファンもいたとかいないとか。FM+PSGの「マスターシステムの本気」の曲が聞けるのはこの一曲のみらしいです。確かに聞き惚れたなぁ...

 リセットボタンはなくなってしまいましたが、連射装置がついたのでシューティングゲームやアクションゲームを遊ぶ時にかなり楽になりました(ボタン連打がきつかったですから...)。

 3Dグラスに対応してるんですが、残念ながら私は対応ハードもソフトも見てません。

 SG-1000用のキーボードは使えなくなりましたが、なんと内臓BASICが復活。
 外見はゲーム機。扱いもゲーム機ながら...実質SEGA製パソコンの復活機でもあったのです。あんまり知られてないですが。そう。SC-3000の魂は未だ生き続けていた(そしてSEGAはまだパソコンの道をあきらめていなかったという)

 別売りのキーボードを接続すればBASICでマスターシステムをコントロール出来た(らしい。私はこのキーボードとやらを見たことがないので)。

 SC-3000の魂はこの国内版マスターシステムでついに復活した。

 したんですが、活用はされませんでした。

 まぁゲーム機としての性格が強いですから仕方ない(^^;
 時代的にも「作る」より「買って楽しむ」時代になっていた訳ですから。
 一部の人はこのBASICで遊んでたみたいなんですけれど...私は残念ながらこのマスターシステムを購入しなかったので試せませんでした。でもやっぱりハードの性能をぶん回すほどのポテンシャルはBASICにはもたされてなかったみたいですけれど。むう。

 というか私は当時ファミコンすら持ってなかったので友人の家で遊んでました。
 この当時は1987年...まだ私はPC-8801mkⅡMRでプログラム組んだり肌色過多のゲームやったりファルコムのゲームやって恍惚としていた時期ですね...ゲーム機なんて買えなかった...

 ある意味でSEGA最後の「ゲーム屋が作ったパソコン」はこのマスターシステムだったかもしれません。
(テラドライブはゲーム屋としてのパソコンとはちょっといいずらいしIBMとの共同開発ですから)

 欧州での成功の裏付けとライバル任天堂との戦いを新たに決意したSEGAは完全新規のゲーム専用ハード「メガドライブ」を発売します。

 時に1987年から1988年。
 日本国内では「ファミコンを超えるゲーム機」として登場したメガドライブ。
 当時も思いましたが...ぶっちゃけるとかなりぶっとんだハードでした。

 この当時にCPU(MPU)に68000を採用。音源制御用にZ80を搭載。音源制御用とはいいますが、68000と合わせて動作させることでツインCPUによるパワフルな動作も可能でした。

 強力なFM音源を搭載。VDPの性能も悪くない。(ただし画質はあまりよろしくない)
 何より大胆に配置された黄金の16BITの文字がインパクト大なゲーム機です。デザインが強烈ですが子供心に訴えるデザインであったとも思います。
 残念ながらこのメガドライブはSC-3000からの系譜ではなく。純然たるゲーム機で。BASIC等が発売されることもありませんでした。(正規のものでないなら存在はしますが。BasiEgaXorzなど検索するといろいろとわかるかもしれませんが今回は触れません)

 SEGAの作ったパソコンと...その系譜はここで途絶えます。
 一応メガドライブに「メガアダプター」というハードを追加することでSC-3000/SG-1000のゲームが遊べはしましたが、パソコンになるわけではなく。

 SEGAの中にはどうも「パソコンを作りたい」という欲求がずーっとあったらしく、この後も「テラドライブ」というパソコンが発売になりました。ハード的には見るべきところが多々あるハードなんですが、いかんせん「メガドライブとPCの融合」であって「ゲーム屋が一から設計したホビーパソコン」ではありませんでした。
 地味に面白いハードなんですけどね(^^)

 SEGAが世に送り出した「パソコン」だったSC-3000。短期間の活躍ながらその系譜の中に潜むように姿を変え形を変えて生き残り続けた「ゲームメーカーが作ったパソコン」。
 今日のSEGAの礎であり数々のSEGAゲーム機の中でも長兄と呼べる存在。

 けれどその生涯は短く。そして辛い出来事が続きました。
 それでも...後継機のゲーム機の中にその魂は受け継がれ続け。
 SEGA最後のゲーム機ドリームキャストまで続いていったのだと思います。

 他社に先駆けて己が道を邁進する。
 子供達を驚かせる。
 大人達を子供に戻して目を輝かせる。

 ゲームメーカーにしか作れないゲームのためのマシン。
 その長兄はわずかな期間しか輝けなかったかもしれないけれど...ゲーム機ではなく、パソコンだった。
 挑戦し続けたSEGAの歴史に刻まれるゲームパソコンSC-3000。
 SEGAが作ってきた専用ハードはなくなってしまったけれど。
 その挑戦する魂は未だ失われてはいない。
 ゲームセンターで。様々なゲーム機の上で。
 SEGAのゲームを見るたびに思うのです。
 こいつらもまたSC-3000の系譜を受け継ぐ存在なんじゃないかと。
 ファミコンに挑み...そして敗れて消えて行った「ホビーパソコン」。
 その中でおそらく唯一...ファミコンに挑み続けた系譜SC-3000。

 時代の中に溶けて消えてしまった8bitパソコン。
 ホビーパソコンの終焉とは違った形での終わりを迎えた血統。
 今では思い出の彼方の名機たち。

 あまりマニアックなところには触れず今後も様々な機種を紹介していければと思います。


※余談

 この後のSEGAゲーム機は激動の歴史を歩みました。
 本文中にもありましたがメガドライブはおそらく最も成功したSEGAのゲーム機だったといえるでしょう。
 強力なCPUと音源はその後登場したスーパーファミコンとの戦いでもそうひけはとりませんでした。残念ながら出力部分に難があり...色合いがちょっと...でしたが、それでも熱心なファンを生み出し、数々の名作が生まれました。
 実際今でも海外ではコンパチハードや何本かのゲームを内蔵した後継機?が出ているぐらいです。
 メガドライブとソニックザヘッジホッグの組み合わせは今でも国内・国外を問わず人気があります(むしろ国外の方が人気があるぐらい)
 ただ、ここでちょっと方向性が大艦巨砲主義に向かってしまったというかなんというか。
 続くセガサターンですが...国内では非常に人気がありましたが海外ではいまいち反応が。というかまぁ北米SEGAからしたら「余計なハード出すな」というぐらいメガドライブ(実際には海外ですからジェネシスですね)が絶好調な中での話です。到底受け入れられない。まだまだジェネシスでいける!という状態だったわけですから。
 そこで日本とは別に北米仕様のジェネシス拡張ハード「スーパー32X」が発売されるんですが...これがまた自爆というか。これさえなければ変な混乱はなかったという...
 結果として海外ではジェネシスからセガサターンへの移行に失敗。
 そもそもセガサターン自身が発売前に仕様変更を繰り返した「超巨大戦艦」ともいうべき存在。
 当時SCEが(というよりソニーが発売するという情報だった気がしましたが)発売予定だったプレイステーションの情報から当初の仕様では「弱い」と感じたのでしょうか。ならばCPUを2つ乗せるんだ!とばかりに仕様変更。他にもいろいろ仕様変更。ところがこれらの変更は発売当初のゲームが相当完成してから行われたものだったために、どのゲームも結局CPUは1つしか使わないという事態に。
 今でこそマルチコア・マルチCPUなんて簡単に言えますが当時はOSらしいOSもそろってないようなゲーム機です。ゲームプログラム側でマルチCPUを操らねばならず。結果としてちゃんと性能を出そうとすると作りづらいというオチに。
 実際SEGA自身のゲームでもCPU1で作ってるものが結構多い。
 もしも当初の想定ハードであったならば。高コストにもならず製造の不具合(複雑なハードであったため製造コストが上がったという話ですし)も少なく。あるいはもっと廉価にすることも出来たのではないかと思うと歴史のIFみたいにちょっといろいろ考えてしまいます。
 まぁそれ以外にもメモリーカードスロットがパソコンのPCIスロットまんまの形(向きは違いますが)だったりして、接触は悪いしデータもよく飛ぶ(そもそも何度も何度も抜き差しするようなソケットではないと思います)と来てはうーん...といったところ。
 国外では苦戦となりましたが国内では結構ヒット。
 そこでSEGAが巻き返しとばかりに開発したのが「ドリームキャスト」。
 実は今でも一線級の力を持ったハードだと思っています。
 惜しむらくは...媒体。もしも高コストになるのを恐れずにDVDメディアを採用していたら。DVD再生機能を持っていたら。あるいはPS2と五分以上の戦いが出来たのではないか。そう思える無念さを秘めたハードです。
 発色は美しく単発CPUとなったSH-4は結構作りやすくて早いCPUでした。コンパクトなデザインも相まって非常に「綺麗」にできあがったハードです。故大川会長が是非にとこだわったモデムを標準搭載していましたが、ちょっとばかり時代が早すぎました。
 実際に今でも愛好家がいるハードですし、サードパーティからもその性能を賞賛された無念のハードだったりします。
 最も...ライバルとなったPS2がそもそも化け物みたいなハードですから、戦うのは容易なことではなかったかと思いますが...(ゲームが作りづらいなどいろいろ言われた初期でも、初代PSのゲームがそのまま動く互換性とDVDの再生機能によりハードの普及は順調に推移しましたし、今でも通用する性能を持っている恐ろしいハードだったりします。ある意味PS3より化け物じみたゲーム機かと)
 ドリームキャストは性能はよかったですし構造もシンプルでよかったのですが...生産に障害を抱えて初期の販売チャンスを逃してしまい...以後ずるずるとその地位を落として行ってしまいました。実際発売当初の感触は非常によいものであったため、スタートダッシュに成功していれば...と思う部分もあります。
 パソコンから始まったSEGAのゲーム機は常に「ライバルとの戦い」を強いられて来ました。それでも...それがゆえに熱心なファンを生み出し、数々の名作(迷作)を生み出す土壌ともなっていきました。
 挑戦する力。若い力。
 今ではもうゲーム機を出すことはなくなってしまったSEGA。
 パチンコ屋と合併したのかよ!と合併当時はいろいろ言われましたが、パチンコ・パチスロも今では流麗な画面が売りとなり。ゲームで培った技術が遺憾なく発揮されています。
 あるいはラスベガスで。あるいは別の分野で。ゲームで培った技術を投入して...新たな世界を開拓してくれるかもしれません。挑戦する魂は...今でもまだ。開発者達の中に受け継がれているのでしょうから。