ホビーパソコンの歴史を追っているこのシリーズも中盤。16bit機の台頭の時代へと移っていく予定です。
でもその前にちょっとティーブレイク。
時代のあだばなと散ったか受け入れられなかっただけか。
ホビーパソコンには時に中途半端な合成パソコンとでもいうべき「キメラ」な機種が生まれては消えていきました。
実はこれらの機種にも熱狂的なファンというのは存在します。私も実はテラドライブのファンですし...他にない存在という意味では強烈な個性をもっています。
タイミングが違っていれば。
メーカーが拘りを捨てていれば。
もう少し違った未来があったかもしれない。
それはキメラではなくて...本当の意味での「融合」を果たした時代のかすがいとなっていたかもしれないPC達。
今回はそれらの機種にスポットを当ててみます。どんな機種だったのか。なんで消えてしまったのか。
キメラというからにはまぁ2機種以上の何かを合わせた融合機だったわけですが...やはり異端の機種達でした。
そんな異端児たちですので、メーカーの思惑通りにはなかなかいかなかったのも事実だったかもしれません。
・キメラにもなり切れなかった中途半端さが生んだ悲劇「X1 TWIN」
まずトップバッターはこの機種。
発売は1987年12月。年末商戦を彩った異端児です。その実態はというとパソコンであるX1とゲーム機であるPC-engineの合体機。
SHARPのTV部隊が開発するX1らしいというか、ある意味ではそれ以前に存在したファミコン内臓TVの路線といってもいいかもしれないんですが...
これ電源以外にほとんど共通ハードがないという凄まじい製品でして。
X1のモニタにPC-engineの画像がRGB出力されるかというと...それはないわーというか、ビデオ出力端子が別にありまして、そこからPC-engineの画像は別系統で出ていたという。
PC-engineのパッドがX1で使える? ...いえ使えません。
X1のジョイスティックがPC-engineで使える?...いいえ使えません。
ではPC-engineの画面をRGB出力出来た?...いいえ出来ません。
そもそもハードは別々に搭載されていて電源だけ共有してるだけですんで。なんというか...なんでこれ出したんだろうというより「なんでこんな仕様にしてしまったのだろう」という感じがいっぱいの機種です。
5年目の節目に出た機種がこれだったのは周りのX1ユーザーには衝撃だった記憶があります。もう少しこう...魅力ある構成に出来ていれば...周辺機器も片っ端からオミットされてしまってはコア構想も何もねぇ。
あっと言う間に特売行きだった訳ですが、これがノーマルX1系列の最後の機種という。以後はTurboとかZとかそっちに後継されて行きます。
目の付け所がSHARP過ぎる機種ですが、なんでPC-engineだったんだろう?というところにハドソンの影がちらついていてPCの歴史を知る上では結構重要な機種だったりします。
X68000のユーザーなら「ああハドソンとのつながりはそこにも影響強く出てたのか」と思える部分だったり。
(Hu-BASICもX68KのOSもX-BASICも結構伝説的なプログラマーの産物ですし。調べるとかなり面白いですよ(^^))
まぁNECも後年似たようなことやらかして「PC-FXのゲームがPCで遊べるPC-FXボードだ!」とか変なもの投入してしまいやらかすわけですが、なんというか他社に学ぼうよ...という事例のひとつでしょうか。
まぁNECらしいエピソードですしX1twinすらもやはりSHARPらしい製品だということで。らしい商品だったからこそ魅力ある機種がたくさん発売された訳ですから...
この時の時代の分岐があるいはX68000へと繋がって行くのかもしれません。
まぁ、SHARPからしたらファミコンTVの続きの路線だったんでしょうか...
(余談
富士通はFMV-TOWNSというキメラを生んでいますが、これはFMVに専用のTOWNSカードを搭載して互換を持たせたもので、今回の話の対象外としています。
そもそもの当時のFMVが貧弱な上に専用ボードも改造したPCIでないと動かないというかFMVの特定機種でないと動かないモノホンの専用ボードであったためさらに不評という...もっとも当時の時代背景を考えると、SHARPやNECとは違って、DOS/VやWindowsの流れがあったので一概に富士通を責める気にはなれませんけれど。
富士通の当時の体制を考えると、ビジネス向けに力を入れざるを得ない状態だったわけで、終焉を迎えつつあるTOWNSは教育分野のソフトを動かすための環境でしかなかった...とも思えるのです。
TOWNSユーザーだった私には悲しい思いでですが、そうしてビジネスに舵を切った結果が「FMV」なわけで...いまさらだけどAliのチップセット使わない方がよかったんじゃないかと今でも思うんですけどね...いくらコスト優先とはいえ...変な伝説作らなくてもよかったのに)
・88VAの失敗で舵の方向が変化して生まれた「98DO」
そもそもの発端は1987年に発売された88VAに遡ります。
この88VAはNECとしては結構野心溢れる...というか野心溢れすぎな機種で、X68000やFM-TONWSと戦う宿命の元に投入された機種でした。スペック上は十分戦えそうな感じだったんですが、いかんせんソフトが出なかったし個人で遊ぼうにも開発環境もなかなかよくない感じでした。
(そもそも当時の時代背景的にハード仕様をメーカーが詳しく公開してない中で開発するのが当たり前みたいな感じでしたからどの機種でもいい環境とは言い難く。X68000ぐらいですかね。あっと言う間に情報が出そろっていったのは。
メーカーもユーザーもそりゃあもうなんというか競い合うようにいろいろとやってましたし。
TOWNSは別方向からのアプローチで「フリーウェアの存在をみんなに知ってもらおう」という気概がありましたので、「使う」前提であればTOWNSのアプローチの方がわかりやすかったのかも。
開発しようとするといろいろ壁がありましたが...まぁそこはBBS時代の連絡網である程度は情報共有されていたというか。偉大なのは当時のニフティのフォーラムだったか東京BBSだったか。X68000もTOWNSもパソコン通信があってこそのコミュニティが強みでしたが88VAはそこまで育つ前にメーカーに見捨てられてしまった感覚が当時の私にはありました)
発売日前後にソフトを出そうとしてもどだい無理な環境で。
早期にソフトを投入出来たウルフチームこそすごいというべきか。
バグがあろうとなんだろうとよくもまぁ動かせたなーと。あの当時の状況で。
(神羅万象と言うゲームが出ていました。ウルフチームは開発リソースの少なさもあってそれほどタイトルは出ませんでしたが、そもそも独立元であるテレネットは88VAユーザーにとっては少ないながらも良質のタイトルを出してくれていたかと。R-TYPEとか)
そもそも88VAのスペックは今みると...「X68000にやや劣るかもしれないが独自要素はきらりと光る」感じのする機種でした。TOWNSより明確にX68000の方を見ていたようです。(当時のBITINNの人の話だと)
(まぁ2TDフロッピーとか冒険野郎な独自仕様もありましたので実験機種の意味合いも強かったのでしょう)
そのまま順調に発展して行けばCPUの強化などを経ていずれは最強の機種になってもおかしくはないポテンシャルはあったと思います。少なくとも発売当初は...
(事実SHARPは5年間の「基本仕様変更をしない縛り」を自らに課していたため、X68000は他の機種にスピード面では遅れていくことになります。あくまでスピード面では。苦肉の策がクロックアップだったわけですが、それにしたって敷居はたかかった。
とはいえ直接のライバルと呼ばれるFM-TOWNSもCPUが高速化したとしてもいろいろな部分にそれほど早くならない要因抱えてましたが。TOWNS使ってた人なら苦笑するところがたくさんあったりなかったり。初代機のユーザーは今でもいいますし。「メモリウェイトなんてなかった」とか。当時の人しかわからないネタですけれどね(^^;)
...でもまぁ実際のところは歴史が示す通り。
88VAは失敗に終わり。
NECはその原因を「16bitなのに98シリーズと互換がないからではないか」と判断したのではないかと。
そう結論づけたのではないかと思っています。
究極の88、あるいは次世代の88を目指した88VAシリーズは88シリーズとの互換は保持しようとしましたが(完全互換とはいかないまでも)、16bit機種にも関わらずNECを代表する98シリーズとの互換性を強く持っていませんでした(まるでなかったわけではないんですが、まぁ後年の評価としてはそういわれています)。
そこで方向修正が行われ。
1989年にNECが出した答えが初代98DO。
98と88の両方のソフトが(切替式ながらも)動作する。
これってある意味画期的な話で、方向性としては実は間違っていなかった。
パソコンに詳しくない人からしたら初代PS3がイメージ近いですか。PS2のソフトも動くPS3。今となっては幻みたいなもんですが...今までの資産が無駄にならないという点ではとても価値かるあることなんですが。
あるいは今回のタイトルにある「キメラ」に最も近かったのがこの98DOかもしれません。
この機種が大成功していれば、8801から9801への移行はスムーズとなりホビーパソコンにも98シリーズが浸透して行く...はずだったんですが。
NECらしい施策が災いとなってしまうという強烈なオチが。
当時の価格帯からすると...性能をわざと劣化させて発売したんですね。
(というか値段設定がNECらしく強気過ぎ)
9801シリーズとしては一世代前の性能(CPUがそもそもしょっぱい)を。8801シリーズとしても一世代前(サウンドボード2非搭載とか)のものを。
当時のNECは半年程度でいつでも新製品を出せるようわざとデチューンして発売する悪癖がありましたが98DOもまたしかり。
ようは「今売れている98シリーズや88シリーズのシェアを食ってはいけない」という話なわけですが、そんなものはユーザーからしたら失笑ものでした。
またか...という感じでしょうか。
それでも一定の需要はあったので商業的に失敗か?というと微妙なラインかも。
好きな人からは「水陸両用機」などと言われていましたし。需要は確かにあったのです。その時は。
ですが、融合騎もとい融合機としてはやはり中途半端。
性能が中途半端というか。仕様が中途半端というか。立ち位置が中途半端というか。
ATARI仕様ジョイスティックが使えなかったりとかゲーム機としてもなんというかいろいろ『足りない』機種でした。というかどっちよりなのかすらわからない中途半端なキメラ。
もっともユーザーの声がNECにまったく届かなかったわけではなく。
後継機98DO+はそれなりのパワーアップを果たしておりました。
ハードの融合具合もいい感じ(98の基盤の上に88が居候している感じでもありましたが)になり「これなら売れるだろう」という意気込みがしっかり感じられる機種ではあったんですが...
タイミングを逸していた
としか言いようがなく。時代はすでに88の互換を必用としておらず98があればいい状態。中古パソコン市場も立ち上がりつつあり同程度の98と88を両方買ってモニター切替機でも買った方が使い勝手がいいぐらい。
意欲的な仕様ではあったんですよね。V33という面白いCPU(実質80286と同等)を搭載していましたし。気分的には「9801DX+8801MA」みたいな感じで結構お得感もありました(今度こそサウンドボード2相当を搭載していましたし)。
もし98DO+が最初に発売された機種だったら。あるいは過度期に最も売れたPCとなったかもしれません。...とはいえ価格はいつものNEC価格でしたけれど(苦笑)
この時の88VAに込められた願いは形を変えて生き続けます。98DO+の後時代が9801を寵児のまま頂点へと押し上げて行った時...マルチメディアの名の下に新たな98シリーズとして誕生した9821Aシリーズ(元をたどればCanbe等実験機種がある訳ですが今回は割愛)。
ビジネス向きではないその仕様は88時代の面影すら残しつつ。スプライト機能等こそなかったものの...あの当時みんなが思っていた88と98の融合のさらにその先に位置する機種として芽吹くことになります。
いずれ9821については別の記事で書くことになりますので、今回は余談ということで。
何事も無駄にならないほどのラインナップの厚さと積み重ねと継承。それがNECの98シリーズの本当の強さの...一端だったのかも。
・まったく違う会社のハードが真の融合を果たした「本物のキメラPC テラドライブ」
時代が生んだキメラ的PCの中でも極めつけはテラドライブでしょう。
このテラドライブ...名前からしてわかる通り「SEGA」が発売したメガドライブの兄貴分的性格をもっています。もっていますが、別に兄貴でもなんでもなく(苦笑)
当時のIBM/PCとメガドライブを『合体』させたものをSEGAが発売した...と言うのが正解で。SEGAが発売した最後のPCと言ってもいいでしょう。
(マスターシステムをPCの亜流と言っていいなら南米などでは未だ現役で互換機が売られているのである意味そっちの方が息が長いかも?)
X1TWIN等とは違って基板上に綺麗にそろった2つのハードは互いに互いを飲み込むかのような面白い構成で。PC用の80286とメガドライブ用の68000MPUでバスがつながってるのは有名な話ですが...私の記憶が確かならIBM/PC側からメガドライブの各種ハードにアクセス出来る意欲的な設計だった気がします。(間違ってたらすいません)
私のところに来た資料では「家庭用PCで家庭用ゲーム機のプログラムが組める!」と書かれていたので当初はその予定だったのではないかと(SEGAから会社に来た資料なので間違いないはずなんですが、なんせ当時の記憶なので...)。
と・は・い・え
メガドライブ側の仕様については秘密のヴェールの向こう側。買ったプログラマーがわくわくしながらいじろうとしても資料がない。仕様がわからない。
独自解析しようにもよほど力のない人には取り付く島もない。購入した人はひたすらSEGAからの情報公開を待ち...待ち続け...そしてテラドライブは忘れ去られて行きました。
だったら発売するなよ!
と当時から言われてしまったわけですが、ハード設計を見るに最初はその気で作り上げたもののその後のサポートや情報流出(ハード仕様を公開するということは結構怖いことだったかと)、マーケティングの都合などが合わさって...最終的には「やっぱりやめた」となったのではないかと。
ハード的な特徴は「標準的IBM/PCの性格を持ちながら独自仕様によりPCとしては結構問題があり、メガドライブのゲームは動くけど開発は資料なしでは無理。しかし資料無し」という感じでしょうか。
バスの改造をしないとサウンドブラスターが搭載出来ないとかHDD接続がIDEですらないとかまぁ言い出すときりがないぐらいいろいろあるハードです。
が、きちんとマーケティングされてしかるべき人達の手に届いていれば...
あるいはメガドライブはより高みに上れたかもしれない。もっとソフトが出ていたかもしれない。そう思えるだけに無念のハードでもあります。フロッピー構想のあったメガドライブですから、あるいはゲーム機にフリーウェアが登場していたかもしれない。
でもそれはあえなく誕生時点で消え去っていた夢。
まぁSEGAらしいっちゃSEGAらしいですが!
ハード的にはかなり完璧なキメラPCだったにも関わらず自分の立ち位置も意義も知らないままに滅んでしまった魔物。それがテラドライブだったのでしょう。
ちなみにこのテラドライブ。
パーツ的にはかなり豪勢なPCであり。PCとして見た場合は当時としても破格ではあったんですよね。(多少スペックが見劣りはしていましたが)
後継機に386モデル等が出ればあるいは...とも思うのですが、まぁそれは夢。
それも悪夢の類ということで。
キーボードなんてかなり良質なパーツで独特の味わいを出していました。一時秋葉原で特売投げ売りになっており(一個1000円ぐらいで売っていた)まして。その当時購入してそのフィーリングにはまった人も多いかと。
私もこのキーボードをこよなく愛しています。
大柄な筐体。
ぐらつくキートップ。
それでいてしっかりした土台となるスイッチ。
なんというか危うさを秘めたキーボードというか...ものすごく「独特すぎる」タッチがたまらない。
今となっては程度のいいものはもう手に入らないかもですが...
本体の方もそれなりにコストのかかった筐体でしたしパーツでした。
惜しむべきは戦略の変革かミスなのか。
時代の流れの中に強烈なインパクトこそ残しましたが、潮流の中ではまさに一瞬で消えた綺羅星のようなPC。それがテラドライブでした。
ハード設計時点の野心がそのままソフトまで引き継がれていれば...思えばハード仕様変更も含めて開発リソース軽視はこの後のセガサターン時代のSEGAの気質にも残っていたのかもしれません。
SC-3000の後継というにはあまりに毛色の違うキメラだったテラドライブ。パソコンとしてもゲーム機としても「番外個体」となってしまった無念の機種です。
ホビーパソコンが8bitから16bitへと移り変わっていった時代。
ビジネス機がゲーム機を兼ね備えたり...ゲームに特化した性能を持つモンスターのようなPCが出現したり。
それらもまたホビーパソコンの中の歴史のひとつ。そして...カテゴリーとしてのホビーパソコンの終焉へと向かっていくひとつの進化の形でした。
かつてホビーパソコンと呼ばれた様々な機種がありました。
ファミコンの登場前夜。ゲームを遊ぶだけではなく「作る」のが当たり前だった時代の名機達。
そしてWindows登場前夜。
MS-DOSが主流となった時代。独自OSをひっさげたモンスター級のホビーPCの登場。
ようやくホビーパソコンにおいても16bit機の時代の幕が上がって行きます。
あまりマニアックなところには触れず今後は新しい時代の潮流となった16bit時代の機種を紹介していければと思っています。