切れ味鋭い母との会話...母にかかれば右翼も左翼もこんな扱い

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 母親と何気ない話をした際に、沖縄の話題から右翼とか左翼とかの話になり。
 話題にはなるもののそういえば昔と今では定義が違うんだろうなぁと何気なく聞いてみた訳ですが。

 右翼だの左翼だのってーとおかんの時代はどーだったんだ?と。

 答えは...



「理屈だけで頭でっかち。現実みないで本と空想の左翼。暴力とか徒党を組んだら極左」
「頭使わず暴力ばかり。天皇理由に暴れるばかり。戦場では役に立ちそうもない馬鹿ばかりなのが右翼」


 ...手厳しい...昔の感想とはいえ(^^;

「昔ねぇ。
学生運動したっていばってるやつもいたけど、裏じゃ朝鮮人以上にレイプするわ強盗するわでやりたい放題だったしね。
あれで社会のリーダーだって社会に出てきてたけど、私の部下にきた時はざまぁみろと思ったわね。
こきつかったこきつかった。
女なめんなって。
あんた生まれてそういう仕事出来なくなったけど」


...お母様、そこは思い出さなくていいです(^^;

ちなみに私の母親はわりと朝鮮人嫌い系の人です。だから上記の様な言葉も飛び出す。
人種差別がどうこうというより子供の頃の実体験から相当酷い目にあったようで毛嫌いしているというより異種の人達だから関わりたくないという感じですか。
語り出すと出てくる出てくる当時の話。いやまぁそりゃ嫌いになるようなぁというような。

私は人種はどうでもいいので相手次第。いいやつなら人種関係ないしやなやつなら日本人でも嫌い。それだけ。

そんな母ですが、私が小学生の頃に朝鮮人部落に友人作っても否定はしなかったし、周りからその事を言われても「本人の自由だ」と突っぱねた。
当時PTAの会合でも話題に出たらしいのですが。
好ましくないと。
私の母は...
「そんなものは子供の自由。
親がとやかくいうもんじゃない。
影響がどうとかいうなら自分でそう教えればいいでしょう。馬鹿馬鹿しい」

と一蹴。

「教育と自分の主義は分ける」人だった。それは確かですね。
自分の主義主張は曲げないけれど、それは子供には関係ない。
取捨選択するための判断力さえ身につけさせればよい。そんなことを言ってました。
今でもそれは変わらないかな。

なので、主義はそれとして教育としては「どのような運動であれ、見極めて、正しいか正しくないかを見れるようになりなさい」というもので、右翼だろうと左翼だろうと思想としてそれが正しいと判断するなら仕方ない。
けれど私が教えてきたものの中にそれを正しいと思える判断材料はなかったはずよ、と。
まぁそんな感じでしょうか。
小学生の頃からずっとそんな感じ。子供だからと容赦手加減なし。

でまぁ、私もある程度歳を経て分別ついて。
「結局、どれも正しくないように思える」
と答えたら。

「そりゃそうよ。まっとうな人はあんな運動なんかどれにも参加しないもの。やるのは馬鹿ばかりよ」
と答えたという。...いや~きつい。

冒頭の会話の後に昔の母との会話を思い出して、そうだこういう人だった!と。そりゃあ冒頭のような手厳しい意見も返ってきます。

今はただのおばぁちゃんで、頑固さに磨きがかかってしまったけれど。
根っこがかわらんので会話するとそーいう答えはポンポン返ってくる。
母親が子供の頃はまさに「戦後」の田舎だったので、村社会や部落の話にも詳しい。
悪い人、悪いヤツ。騙される人騙す人。
警察自体が今よりもっとひどくて犯罪者スレスレだった時代。そんな時代を生きた人な訳で。

若い時の母の恐ろしいまでに痛快な性格を考えると、当時もっと会話しとくべきだったかな~。
それこそ手厳しいを超えて恐ろしいまでの切れ味の言葉が返ってきたろうから。

今はもうだいぶ偏屈になっちゃったので昔ほどの切れ味もないし。自分の言ったことも忘れてるみたいだけれど。
息子がしっかり覚えていたりします。
まぁ。
言いたい放題の母親でしたが、私はそうしたはっきりとした自分の意見をぽんぽんはき出せる姿を見せてくれたことに感謝してますし...その姿は格好よかったなぁと今でも思うのです。

今もまだ元気なんで、たまに冒頭のような昔みたいな言葉が返ってきて「ああ、我が母健在なり」と。
もう少しだけでいいので...元気でいて欲しいものです。この痛快さ...息子ではこの切れ味はまだ出せないので。