いやまぁタイトルにまったく意味はないんですけれど(笑)
それにしても長いタイトルだ...
今回の記事ではあくまでも「内蔵GPU」にしぼったため、当時私が感じた「i810の本当の衝撃」については書いてなかったりします。
今日、マザーボードといえばオンボードでたくさんの機能が搭載されているものになっちゃってますが...昔はそんなこともなく。
まぁ、比較的初期から(ATXより前、Baby-ATの頃から)サンウドブラスターをオンボードしようぜ!とか3COMのLANをオンボードだ!という話はありましたが...結局のところは別売りのものをオンボードでのっけただけのイメージ。
今日のオンボード機能といえば、ほぼチップセットが搭載した機能を活用しています。
オンボード機能が当たり前になったのは、Windows95の発売からWindows98の発売の間。ただ、この頃もまだ別売りされているハードを搭載する形はそう変わってなくて...単体チップを搭載して、差別化を図る。そんな存在だったかと。
LANといえば3COMやらサウンドといえばサウンドブラスターだろ、MIDIも使えるし...なんて言ってる時代。
それが激変するのが、1999年。そうi810の登場です。
まぁ、その前の440BXがあまりにも良すぎる評価(実際出来もよかったんですが、すでに神話になっちゃってたので)が広まる中、LANもサウンドもオンボード搭載するものが出始めてはいました。
まぁ、古い人に「P2Bの鉄板時代について教えてくれ」とでも言えば、当時のBXマザーの神っぷりについて教えてくれるでしょう(なんでP5BはああなっちゃうんだろうなぁASUSさん...)。
まぁ、サウンドよりSCSIをオンボード搭載するモデルが熱い時代でもありましたが。LANは搭載しててもサウンドは別ボード...というのが当時のトレンドでしたか(それでも性能に満足出来ず、DECやINTELのLANカードを積むマニア達...というのも当時の光景)。
オンボードLANが安価に搭載されるようになったのは、440LXや440BXの時代からだったかも。440LXは...持ってましたが...あれだ。うん。75Mhzの苦労を共にした人だけわかってくれればいいんですが、すっごい苦労したチップセットの記憶があります(笑)
i810の衝撃の真実...本当の理由は「オンボードサウンド(AC'97)」と「オンボードLAN」、そして「オンボードグラフィック」の3点が安価にそろうことだったかと。
そして、オンボードのサウスチップ(初のICH)がATA66に対応。CPUはベースクロック133に対応...と当時としてはなかなかの高性能だったのです。(メモリはPC100のままでしたけど。815からPC133対対応)
あと、ISAバスとの決別もこのi810から。逆に440BXから乗り換える人は後継の815になっても「ぐぬぬ」してて乗り換えなかった(というかBXが神状態だったので乗り換える必要がなかったともいいますが...私も440BX+SoundBlaster64GOLD+SC-55mk2なんて環境でしたので、メインPCは815に移行してもゲームPCは長らく440BXだったものです。これが打ち破られたのはAMDからDuronが発売されたから。...まぁこれは後日AMDの話をいろいろ書く時に書きますが、あれは安価でとても...そう、とてもよいものだったのです。貧乏人には特に)りするので、ISAの需要はまだあったのかな...と。
最近ではPCIからPCIeへの切り替えの時期がありましたので、イメージ的にはあの時代の再来だったかもしれませんね...
そして、Windows98では不安定を通り越して困りものだったUSBが安定してWindows2000で動作するようになるわけですが、i810はUSBに関してもそれなりに安定して動作する代物でした。これはICHの手柄かもしれませんが...(多少相性問題があった気がしますが、忘れましょう)
マニアの人はWindows98SEを入手してUSBを使ってた時代。一般には2000とMeが出るのを待たないとUSBはまともに使えなかったのでした(MeもかわいそうなOSですが、その分愛されている...のかな)。
そして、Windows2000時代。ペンティアム3全盛期時代とも言えますが、i810は十分に実用的でした。(そもそも2000のグラフィック使用に関しては結構アレなんで...だからこそXPが生まれることになりますが...。DirectXの対応とか、ゲームに関しては2000はかなり保守的でした。...がちがちだったからなぁ2000。今でも安定性は2000最強じゃないだろうか。あ、NT3.51があるか)
そして、しょぼいビデオカードが氾濫してる中で810のオンボードグラフィックスは...実際そこそこで(CPUを酷使しなければ)。最低限のラインを構築した功績もなかなか。その最低限をいつまでもいつまでも引きずることになるとはINTELも思わなかったろうけど。
先日twitterで当時を知る人と会話しましたが...思い返せば...重い処理をする人にはi810のオンボードグラフィックは結構きついものだったのは...確かに事実。
オンボードで様々な機能を安価に実現したということは、CPUのパワーでそれらをまかなってるようなもの。当時のIDEの仕様からすると、HDDのアクセスだってCPUパワーを結構もっていきますから...
かなり大きなプログラムをコンパイルしたりすると、コンパイル終了まで作業にならない(笑)なんてこともしばしばだったかもしれません。
ただ、INTEL的には「開発者はもっといいもん使ってよ、金かけてよ!」というところでしょう(笑)。
内蔵GPUはCPUパワーとメインメモリをある程度消費しますし、グラフィックを処理してる間、データの流れも遅くなる(正確には狭くなる、かな)と遅くなる要因をたくさんもってますし。
まぁ、今現在の高速なCPUではあまり問題になってませんが...当時はCPUパワーを消費しまくると、サウンドの同期がずれたりすることもあったわけで。まぁ、それは懐かしい話のひとつですけれど。
余談ですが、懐かしいCMに「99800円ならソーテック」というものがあります。
当時のパソコンは10万以上が当たり前。そんな中、安価にパソコンが買えるというのはとても...そうとても魅力的なことでした。ただ、その価格を実現するために犠牲になっているコストは...まぁ、言うまいということで(サポート費用やパーツコストにダイレクトに跳ね返っていたと思っていただければ)。
それがi810の登場で、どの会社でもそれなりに安価にPCを一台製造出来るようになったわけですから、パソコンの普及にも一役買っていたかな...と思います。
WindowsXPが曲がりなりにも動くんだからたいしたものかな、と(今見れば快適、とは言えないかもしれませんが、当時はそれでも満足してみんな使ってたもんでした)。
オンボード多機能チップセットの先駆けとして、つい先頃までのINTELのチップセットの基礎として(HUBアーキテクチャがよかったか悪かったかはともかく)、i810の系譜と存在は大きかったかな、と思うのです。
内蔵GPU(IGT)がどうこういうより、トータルバランスと価格。当時の状況。それらがそろった時...i810の衝撃の真実はそこにあったかもしれません。
もっともXP時代になってまで810の内蔵グラフィックというのはある意味いじめなのかもしれませんが...売れまくったため、そのまま使われてましたしね...815になっても性能にそう差があるわけでもなかったし...かわいそうになってきたかな(笑)
まぁ、当時からINTELのGPUは言うほど貧弱ではないと。ただし、特定用途や重い処理をする人にはまったくもって不向きだった...それは今も昔も変らない現実だったり。あくまでも「インターネットやってメールやって...」というユーザー向けなのもずっとかわらない現実なんでしょうから(今では動画も入りますが)。
超余談
...まぁ、当時の自分の環境を思い返すと...
BH6+450仕様セレ+SB64GOLD+DEC LAN
とか
P2B+AHA-2940以下略
とか
まぁオンボードとはかけ離れた世界を突っ走っていた気がしますが、それでも(なぜか当時から)他人のPCをメンテしていた身としてはi810の性能については感じ入っていたものでした。(そして820に深く絶望していた)
...でも金がない時期は2940なんてとてもとても...DC-390だよな!とかやってたわけで、なんというか私の基礎はあの時代に作られた気がします。不具合対応とか相性問題で血の涙を流しまくっていた頃...
あ、もっと前にPC-9801時代からやってたか。ITECのSCSIボードに緑電子のHDDがつながらねーとかやってたっけな。...昔からこんなんなんだなぁ...ぐんにゃり。
そういえば当時の友人宅の掃除したら「3倍速」なんていう緑電子のSCSI接続のCD-ROMドライブが出てきました。どうしてそんな制限したかはアレですが...2倍でも4倍でもなく3倍というのが、なかなかレア度最高。捨てちゃいましたけど(笑)