前回の記事では、内蔵GPUの元祖的な(実際にはMediaGX等があるから元祖でもなんでもないんですが、一般に広く普及したということとINTELとしてはってことで)810の話をしました。
実際、今秋葉原で中古PCを購入し、それがペンティアム3を搭載しているとなると...案外815チップセットや810チップセットを搭載しているものに巡り会ったりします。
それだけ普及してたんだなぁと思ったり。
その後もCPUの進歩、時代の進歩に合わせてPCのGPU環境は強化されて行きました。というより、当時はメモリへの対応でチップセットが揺れ動いていた時期だったかなぁ...
記憶に残るのは845チップセット。RDRAMにこだわっていたINTELがついに「折れた」と実感したチップセット。それは、ある意味で市場の求めに始めてINTELが答えたのではなくて折れたチップセットだったかな、と。その845も810や815と同じく「GPU内蔵で安価なものを出してくれ。出してくんないと他社製チップセットいっちゃうぞ」という要求がガンガンくるわけで。すぐに845Gが登場することになりましたしね。
まぁ...その810が切り開いた市場は低価格な互換チップセットメーカーにとっても戦うべき戦場。当然いろいろな商品が出てくることになります。その中に投入された845G。
この845Gの時点で、「INTELのGPUは...」という言葉が顕著に見られるようになってきたかな...と思い返せば、その時期からやたら聞いたような。
845の登場から少したって出た845Gは市場の要望にある程度答える商品でしたが、「求められる性能」が他社製の内蔵GPUに比べると「弱かった」ということでしょうか。もっとも、その競合もまた内蔵GPUとしてはどっこいの性能といえたわけですが...
この845Gの時代に、ひとつの潮流がしずかに流れ始め...それが「3Dへの欲求」と「動画への要求」じゃないかな、と。
わかりやすいところでいうと、3Dへの欲求。845Gは「WindowsXP」時代のまさに突入期に出てきた商品で、WindowsXPの発売の翌年の商品でしたから...メーカー製PCはWindowsXP+845G(CPUは値段によって違う)という構成が2002年の後半辺りのトレンドだったかな。自作じゃなくてメーカー製ですけど(笑)
この2002年というのがまたおもしろくも熱い時代。
内蔵GPUではなく、外部(対比する意味で外部といっておきます。まぁ、AGPやPCIeにつける普通のビデオカードですね)搭載型GPUはまさに「あっつい」商品達が市場を席巻していました。いろんな意味で。
まず、現在もGPUの最先端を突っ走るnvidiaですが、この頃の主力というと...Geforce4。Geforce2辺りから切り開いてきた3Dゲームの市場を牽引する商品としてまことによいものでした。前作のGeforce3が市場から「えー」と言われるものだっただけに(とはいえ、初代Xboxへその命脈が続いたので言うほど悪くなかったかもしれませんが)Geforce4は非常に好意的に受け止められ。廉価なTi4200辺りは結構な人が搭載していたなぁ...と。
ATi(現AMD)も確かRadeon8XXXシリーズや9XXXを投入している時期ですから(うろ覚え)、まさに3Dゲーム市場の欲求にメーカーがこぞって新製品を投入していた時期(余談ですが私は昔S3が大好きでVirgeを愛用。この時代はSISを愛していました。サブレはいいものです。わかる人にしかわからないネタですいませんが)。
2002年の後半から2003年の前半はGPU市場としてはさらに「あっついなぁ」という時代に。
そして互換チップセットメーカーもこぞって内蔵GPU(当時はまだGPUと呼べるだけの性能があったか疑問ですが、便宜上そう呼称)搭載の製品を投入。
ATiなんかはブランドとして外部搭載型と同じ「Radeon IGP」(ちょうど初代が登場。性能的にはVEとにたり寄ったりだったので、845Gがそう劣ってたかというと...どっこいじゃないか?みたいな気分はありましたが、その後RADEON IGPはめざましく改良されて行きますので、あくまで最初の製品がそうだったということで。INTELがそらに立ち後れていくのはこの後のこと)なんて名前で商品出してますので...イメージでも負けていたという...
その時代にINTELが投入していたのが845G。発売当時はよかったんですが、その後の865Gでも「うーん、もう少し...」と言われることに。出てすぐは「お、よくなった」なんですが、ちょっとたつと「物足りないな」と言われてしまう構図がこの辺りで完成した気がします。
いわゆるオフィス需要やWEB閲覧等では問題なかったんですが、先の記事にも書いた通り「パソコン=メーカー製PCを買う」時代に、ユーザーはビデオカードのことなんか意識してなくて。(ただ、オフィス需要でいっても高解像度大画面のモニタに接続すると解像度が選べない難点もあったので、確かにINTELの内蔵GPUは貧弱だ!とい言えちゃう部分もあったりしちゃったりなんかしてもう!なんですが。小さいモニタだと問題なかったんですけれどね...)
...先日、北森瓦版さんのとある記事にたいするコメントでまさに今回の記事にぴったりのコメントがありました。
「日本では大手メーカー製のPCさえ買っておけば何でもできると思われている 」
「GPU搭載を謳ったところで、それが何かさえ知らないのだからセールスポイントにならない」
今現在のことを言ってるんでしょうか、過去にさかのぼってもあまり変らないかなーと。
パソコンを買ってから「あ、3Dゲームとかあるんだ。遊びたいな」と思ってもチップセットが廉価版だと後から増設することも出来ず。そもそもの845なり865なりを搭載しているメーカー製PCはビデオカードの増設に難があり(それは今どきのPCでも変わらない)、増設すら不可(むしろ廉価なPCほど)という事態に。
そうするとユーザーの不満はINTELの内蔵GPUに向かうことになります。
いわゆる
「高いお金出して買ったのに、こんなことも出来ないの!?」
という言葉につながるんですが。こればっかりは昔も今も変らない言葉で、結構よく聞くものです。調べてから買えよ...と詳しい人は言いますが、それはちょっと違うかな...と。まぁ別の問題なので今回は割愛。
今も昔もINTELは3D市場をそれほど重要視していない...というかゲームについてそれほど熱心ではない会社のようで、それでも「十分な性能だ」と言ってました。(865Gの性能はそれなりによかったと個人的には思ってますが、ゲームに使えるかというと...ちょっと辛いかな。一方肌色過多(以下省略)なゲームにおいては過不足なく。ノートPCのペンティアムM世代はこの865世代なので...厳密には855か。今でも使ってる人が多いかと。XPで3Dゲーム系に手を出したり、VISTAを導入しようとしなければまだ現役でいけるということで、そう悪くもないんじゃないかなーとは思ってます)
個人的にこの時代に「INTELは...」という評価が固まったかな、と思います。ノートPCが本格的に日本の主役PCに移行し始めたペンティアムMの時代。拡張できないノートPCと廉価で拡張性のないデスクトップのチップセットが855(865G)チップセットだった時。
リネージュだなんだと一般ユーザーが遊びたくなるゲームが普及し始めていたのがやはり2002年ぐらいだったかと思うので(多少前後はあるにしても)、「どれどれおもしろそうなゲームだ...買ってみよう。あれ、動かない?なんで?」というのはこの当時やたらに聞いた話。今でも多いですけれど(笑)
日本は特徴的に「機能はよくわからないけど、買ったらたぶん全部入っててなんでも出来るだろう」という気持ちで買う人が多い気がします。そういう気持ちで買う人ほど「安ければ安いほどいい」と言うわけで。
まして、住宅事情もあってノートPCがメインになると、当時はよほどの高級機でもない限り内蔵GPU以上の性能は出ませんし(最近は多少事情が違いますが、それでもメインはやはり内蔵GPUのみでしょう)。
これが改善されるには、もうしばしの時間が必要でした...結構長い間(笑) WindowsVISTAの登場までかかりましたから(他社製はもう少し先を進んでましたが)。まぁINTELとしてはホビー用途よりビジネスを重視していたのでしょう。今も昔もそれは変らず。
2004年だったか2005年だったかちょっとうろ覚えですが、リネージュ2が発売されて人気になると、この傾向は悪化します。あちこちで「自分のPCで遊ぶには」「無理です」のやりとりが発生してましたから...
海外だと拡張性のあるホワイトボックス(まぁ日本のショップPCとでも思ってくれれば)や、ゲームにはどんなスペックが必要かはっきり調べてから購入する人も多く、日本ほど騒いだりはしなかったというか...よくわからないまま買って使うのはPCに限っては海外より日本のが多い傾向があるような...気のせいだといいんですけれど(汗)
そして、もうひとつの要件...動画再生への要求がこの時期から急速に話題に出るようになってきます。
急速に普及したDVD。この再生支援についても当時のINTELのGPUは不十分という認識でした。まぁ、CPUがちょうどペンティアム4に移っていくところですから、パワーでどうにでもなったわけですけれども(苦笑)。ペンティアム4もいろいろ言われていますが、ネガティヴイメージは後期のプレスコット(私の周りではプレとかプレスコと呼んでますが)で悪化したもので、初期は十分なスペックを出していたと思います。
...熱と消費電力はこの当時、それほど重視されてなかったしね!
この時代に3Dへの欲求とGPUで動画を再生支援して欲しいという要求...それがある程度一般に情報として出回り、商品も対応し...という今日の基礎が出来てきているので、非常に重要かつ、熱い時代だったかな...とも思います。
逆に、INTELの内蔵GPUとGeforceとRadeonの3つを除くと...その他のメーカーが一気に淘汰されていってしまった悲しい時代の幕開けだったかもしれません。(XPならまだサブレはいけると信じてますが)
メーカー製PC中心の日本では「パソコンでゲームやるのは面倒くさい」イメージがつきまといます。廉価なモデルばかり売れる国なので(セレロン販売量No1に何度なったことか(笑))、拡張性は結構犠牲になってるモデルばかり。でもユーザーはそんなの知ったこっちゃないので先ほども書きましたが「こんなに高い値段したのにこんなことも出来ないのか」という不満につながり...これが日本で家庭用ゲームの普及の遠い要因にもなっていったのかな、とも思うんですけれど。
まぁこの後DVDをパソコンで見るのが一般化(というより、リビングにノートPCやデザイン性の高いPCが進出していく)し、WindowsがXPのまま成長を止め(VISTAが出るまでずいぶんとかかったのは有名な話)...と時代は流れます。ハードの性能が上がってもOSがそのままですから、要求されるハードスペックも比較的ゆるやかに。
その過程でINTELもようやく3Dへの本格的な対応を開始します。マイクロソフトがWindwos上でDirectX8やら9やらをさかんに宣伝、PCでゲームやその他のことを...とやってたわけですが、ペンティアム4の登場と共にひとつのチップセットがINTELから登場しました。
それが915G。
IGTと言われていたINTELの内蔵GPUが一気に進化し、今日GMAと呼ばれるモノに変化した記念すべき製品でした。
この915Gから始まるGMA世代はINTELの内蔵GPUが「言うほど貧弱か」の問いかけへの回答へと繋がっていくんじゃないかと。
それは次の記事「INTELのGPUは言うほど貧弱だったろうか(3)...VISTA、そしてブルーレイ」で書こうかと思います。
※今回のシリーズは私見の塊ですので、不快になった方をおられましたらすいません。
わかりやすくするためにいろいろ省いてますし、結構一方的な見方をしてるのは確かなので...