時代を彩ったかつての名機たち(4)...早すぎたソニーの挑戦 SMC-777

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 今回は毛色の変わったPCということでSONYのオリジナルPCの雄SMC-777シリーズ(SMC-70・SMC-777Cも含む)についての話です。

 8Bit御三家と言われるX1・FM-7・8801が幅を利かせていた頃...他社も黙っていたわけではありませんでした。数々のPCが生まれては...消えていきました。そんな中には現在VAIOブランドを確立してオリジナリティ溢れるPCやソフト群を生み出しているSONYの姿もありました。

 HITBITといえばSONYのMSX向けブランドなわけですが、例外的にこのブランドを冠した別種のPCが存在します。それが今回の主役SMC-777。
 SONYはいつでも「早すぎる挑戦」が好きなんだな...と実感出来るパソコンでした。


 このSMC-777。wikiにもありますが前身となるPCがありまして...SMC-70というんですがこれがまぁ面白いパソコンで。

 値段が高い。ともかく高い。そして高価格なのに何が出来るかわからない(笑)

 ではそんなSMC-70が何を目指していたかというと...たぶん間違いなくAppleⅡだと思います。SONYが作ったAppleⅡ。それがSMC-70の本当の姿だったのではないでしょうか。
 キーボード一体型なのに背面に拡張しまくる設計は非常に面白かったのですが...いかんせん高かった。
 このSMC-70には2つほど思いで深いものがあります。

 ひとつは...実はこの時代にPlug&playに近い機能を実装していたこと。ROMの中にプログラムを持たせて呼び出す方式であったため今の機能や性能とはだいぶ違うものだとは思いますが、ドライバー無しで拡張出来たのはやはりすごいかなと。

 もうひとつは...和製BASICを搭載していたこと。マイクロソフトのBASICではなくあえてオリジナルのものを開発して導入していました。開発は...北海道の会社B.U.G.。先のPlug&playも実はこの会社が仕掛け人みたいなんですね。
 当時はそこまで知らなかったんですが、どうやらSMC-70を語るなら外してはならない存在のようです。




 このSMC-70は商業的にははっきり言って失敗に終わりました。ただその拡張性が受け入れられたのか特定業種では結構使われていたんですが...それは後継機SMC-777も同じ道をたどります。

 SMC-70の失敗からしばし時が流れ。SONYはワークステーションへのこだわりとホビーPCへの挑戦を再び開始します。ワークステーションはNEWSと呼ばれ...当時としては見るべきところもあるものだったんですが...残念ながらこれも失敗に終わります。
 ホビーPCは当時業界を席巻していたMSXに相乗りしHitbitの名を冠したMSX機を販売していたわけですが...SONYとしてはその上位にこのSMC-777を置きたかったようです。
 キーボード右側に設置されたFDDドライブが先進的にも見えデザインとしてはそう悪くないものだったかと思います。当時私も現物を見て「ほえーかっこいいー」とか言ってましたから。
 特徴的なデザインはもうひとつあって...カーソルキーがジョイパッドになっていたという。SONYとしては本気で「1クラス上のホビー機」として設計したんだと思われる部分のひとつ。

 SMC-777の最大の特徴はその豪華な表現能力。まぁオプションボード装着が必須ですが(後継機種SMC-777Cは最初から搭載)、それでも4096色中16色の発色能力は結構すごいものがありました。
 今となっては320*200という画面モードでその発色ですから「粗い」という人もいるんですが...当時としてはむしろ画期的だったんじゃないでしょうか。ホビーPCですから多少粗くても見栄えがいいというのは大きかった。
 PSG3音とちゃんと音源も搭載しています。あとから見れば見劣りするかもしれませんが、当時としては結構すごかったんじゃないでしょうか。
 ライバルと言っていいのか...PC8801は同年にmkⅡが発売になっていますが、ホビー機に舵を切るSRはまだ出ていません。X1もCとかDとか出てましたが...まぁまだ勝負しようと思えばSONYにもチャンスがなかったわけではありませんでした。
 定価も前機種SMC-70のほぼ半額。SONYの勝負にかける意気込みすら感じます。
 
 が。

 一部で異彩を放ったものの開発者にも好かれずユーザーも増えず...そっと売り場面積を減らし続けてしまいます。
 あだとなったのは2つの点。
まず初代機はカラーパレットボードがオプションだったこと。そして搭載して色数が増えてもやはり320*200という解像度はパソコンとしてはやや低かった。
 後継機777Cがあるいは解像度を上げていれば...と思う悔しい点です。VRAMの構成とか面白かったんですが...
 そしてもうひとつ。それは...SONYとしては非常に悔しかったかもしれませんが、よかれと思って搭載したニーモニックがプログラマーに嫌がられる要素になってしまったこと。
 wikiにも書かれていますが...ともかく使いづらかった(^^;
 当時のZ80のアセンブラを扱う人はザイログ表記を基本に覚えていました。SMC-777は高級言語を意識したのか表現がやや高級言語寄り。
 これ、これから覚える人には実にいい施策だったのかもしれません。BASICから入門してきた人が学ぼうとするには。ただ、すでにZ80の知識がある人にとっては「うわ、なんじゃこりゃ」だったわけで。
 
 そうなると市販ソフトはあまり開発されず。...まずいスパイラルへと陥ってしまいます。後継機SMC-777Cは完成度としてはそう悪くなかったのですが...
 Wikiを見るとCP/M互換だったとのことですが、当時触った感覚だとちょっと違うような記憶もあります。互換薄かったよなぁ...と。記憶の彼方の話なのでなんですが、違和感があったのは確か。



 SONYの意地もあってか移植されたゲームはそこそこ質が高かったのを覚えています。SMC-70の怨念か移植されたのはAppleⅡの人気作ばかりだったような気がしますけれど。
 当時のSONYの開発者達はどれだけAppleⅡを意識していたんでしょうか。気になるところです。...とはいえパソコン創世記の頃の子供たちの憧れって言ったらやっぱりウイザード(ウォズ)の魔法が光るAppleⅡだったんでしょうから...仕方ないことかも。

 特にパソコンを開発しようとあの当時頑張っていた人たちにとっての先駆者はやはりAppleⅡだったのでしょう。ウォズニアックの魔法は世界を魅了していたってことで。(私はまだ小学生だったような。それでもPC-6001と格闘しながらウォズのすごさやAppleⅡについてのことは雑誌などで少しは知ってたぐらいですし。...マニアックな雑誌でしたが)
 話を戻しましょう。SMC-777はFDDも特徴的でした。1DD(あまり聞かない仕様ですよね。それもそのはず。SONYが開発した世界初の3.5インチフロッピーのマイナー規格です。FDDのシャッターが手動だったような...おぼろげですが)ドライブを標準搭載していたのですから...時代を先取りしていたのは確か。実際に購入してみるとプログラムに興味が持てるような仕組みが結構充実してました。そしてFDDが使えるということはデータやプログラムの保存も楽だってことで。

 CP/MライクなOSを搭載していたこともあって、日本独自の路線で切り開こうとしていた野心がいろいろと感じられます。
(実際CP/Mも別売りながらあったようです。残念ながら私は触ることが出来ませんでしたが...)

 けれどそれらのオリジナル要素がことごとく裏目になってしまったのが痛いところです。アプリはSONY以外からはそんなに作られずホビーパソコンとしては他社に圧倒され。
 SMC-777Cの後の後継機は作られず...MSXと同じホビーパソコンブランドの「HItBit」の名をつけられていたにも関わらずSMC-777はその姿を時代の波の中に消して行きます。

 購入するとBASICとアセンブラとゲームと...いろいろとついてきたのが印象的だったSMC-777。もし解像度がもう少しだけ高く。もしニーモニックがザイログのものだったら。
 あるいは時代を席巻していたかもしれません。
 思想としてはSHARPのX68000に通じるものがあったんですが...作る喜びを提供しようとするその姿勢はとても好きです。

 ただ...いかんせん時代に合ってないというか、早すぎたにもほどがあるというか。
 FDDも搭載はしていますがいまいち互換性に問題があったようななかったような。
 友人宅でチョップリフターをやたらにやりまくった記憶が結構鮮明に残っています。
 プログラムも試させてもらいましたが...BASICも独特で。このBASICが日本産(前述)というのも今考えるとすごいなぁと思います。BASICは悪くなかったんですが...
 OSもグラフィカルなメニューからの選択式だったので時代を先取りしていたのは確か。やはり早すぎた挑戦だった気がします。Z80でやるのはやはりきつかったか...出来は結構よかったんだけどなぁ...SONY Filer。

 なんにしろ商業的には失敗と言われるSMCシリーズですが...まさかの第二の人生が。SONYが放送機器に強かったのが幸いしたのか独特のジョイパッドがよかったのか拡張性がよかったのか。
 SMC-70の頃から放送局などで使われ始めていまして。ニュースのテロップとかあんなのの作成ですね。SMC-70には放送局向けの専用モデルがあったとのことですが、SMC-777も似たような使われ方をしていたようです。
 実際背面の拡張ポートはSMC-70と互換がある(配線引っ張り出す必要があったかもですが)わけで、その辺りはうまく延命出来たといえるかもしれません。

 ここでの失敗が響いたのか、NEWSの失敗が響いたのか...SONYはしばらくパソコン業界から姿が薄くなります(消えたわけではない)。

 1997年...Windows95からそろそろWindows98へとバトンタッチが行われようとしているその頃。ようやく充電期間を終えたSONYは「デジタル生命体VAIO」をキャッチフレーズにWindowsPCで攻勢をかけて行きます。
 デザインも違いますし名前も違いますが...込められた思いは一緒。SONYオリジナルアプリケーションの中にはきっとSMCの遺伝子が込められていたのでしょう。
 VAIOは「VAIO=Video Audio Integrated Operation」の略だったんそうですが、「VAIO=Visual Audio Intelligent Organizer」であると再定義されました。
 当て字遊びみたいなものですが、SONYとして大切なブランドに育てていった経過のひとつです。現在はノートPCを中心としたラインナップで女性にも人気のPCブランドに育ちました。

 早すぎたSONYの挑戦は無残に散って。けれどただでは終わらず。プロの世界で生き延びた稀有な8bit機として名を残しました。プロ用の拡張機器がたくさん発売された「8bit」機であることはSMC-777の名を歴史に刻むことに貢献しているのでしょう。

 買った人たちに楽しんでほしいという思いを込めて。様々な仕掛けも用意して。しかしハードウェアは野心的で挑戦的。日本産のソフトウェア技術を満載して...
 SONYの早すぎた挑戦。それは後のSONYのPC事業の成功に不可欠なことだったのかもしれません。SONYのMSXよりも私はHitBitといえばこのSMC-777を思い出すのです。(ひーとびとーのひっとびっと! というCMが印象的でした)

 パソコンの楽しさを広げようとしたその試みはとてもよかったのです。ただいろんな意味で早すぎた。明確なメッセージをもったPCとして稀有な存在であったと思います。
 さまざまなホビーパソコンの中でもひときわ異彩を放ったSMC-777。今でも所有している人がいるほどです。実際楽しいパソコンだったのは確かでした。


「ホビーパソコン」の終焉と共に消えていったかつての名機たち。
 今となっては思いでの彼方の名機たち。

 あまりマニアックなところには触れず今後も様々な機種を紹介していければと思います。