あの夏。千葉で出会った老夫婦と野菜と直販所の話。

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野菜が豊作で農家から買ったら安かった...なんて話をTwitterなんかで見たもんですから。
私にもそんな思い出があったなぁと。
これは千葉で配送の仕事をしていた時の話。

ちょっとホラーじみてはいるけれど...実際にあったことだし別に幽霊が出た訳でもない。

今から20年ぐらい前かな。
IT系で心も体も疲れていた私は運送屋で軽自動車を使った仕事をしていた。

最初は東京だったのだがいつしかモノを届ける先は千葉県全域へと広がっていた。
さすがに一人では無理なので、基本は湾岸エリア...まぁ浦安から木更津までぐらいだろうか。時折そちらへの届け物がないと木下街道などを通ったりして茨城まで行くこともあった。

そんな日々でよく通る農道(裏道として使っていた)に無人直販所があった。ザルの上に野菜が乗ってて「代金はこちらに」とやっぱりザルがぶら下がっているというのどかなものだ。
当時から自炊していた私はこの直販所が気になって仕方がなかった。

おいてあるトマトは瑞々しくてうまそうだしじゃがいもだって形は悪いがいい土がついていてかなりよさげに見えていた。
たまたま印旛沼の辺りの配送を終えた時に会社から連絡があって「今日はもう直帰していいぞ」と言われものだから「よし。直販所で野菜買って帰ろう」などと思ったものである。

帰り道を算出し(カーナビなんてない時代だしね)その直販所に行くと...ああやっぱり今日も野菜が置いてある。
誰も辺りにはいない。田んぼの近くにぽつんと屋根だけがある吹きさらしの直販所でどうみても手作り...それもあんまりいい出来ではないものだったけれど、今日こそは買おうかなと車を降りた。

ザルに乗った野菜を見ると目を付けていたトマトとじゃがいも以外にもキュウリや茄子もある。しめしめこれは野菜づくしで夕飯と晩酌を楽しめるぞ...などと思っていたら背後から「野菜かね」という声が。
声の方を見るといかにもな農家のおじいちゃんがいた。

腰のタオルが決まっていてふと実家の人達を思い出したりして。

「そうなんですよ。前に見た時おいしそうだったもんですから」

実家が茨城の農家であることなど雑談して今日はトマトと茄子とじゃがいもを買いますよと1000円(ザル1つで300円の激安だったのだ)を出すと「いりませんよ」と笑われる。
え?と思ったが「さぁさぁもって行きなさい」とダンボール1つ分の野菜をもたされて送り出されてしまった。
帰宅して料理してみるとこれがまたとんでもなくうまい。

特にトマトが絶品で。まぁ畑で赤くなるまで熟したトマトをその日のうちに喰うのだからそれはうまいよなと。
まぁ数日かけてそれらを食べ尽くして(職場でもおすそ分けした)。

日々仕事をしてたのだけれど、またしても印旛沼方面への配達からの直帰の話があった。
ようし今度はばれないうちに野菜を買ってこないだの分のお金も払ってしまおう...などとたくらんで再びあの直販所へとむかう。今日はザルが少ないがやはり無人...よく見ても誰もいない。これならいけるな...そう思って車を止めて屋根の下へ。

すると

「おやこないだの。野菜かい」

と声をかけられる。

待ってくれ直前までここには誰もいなかった。
田んぼにも人はいなかったし屋根はあっても吹きさらしだ。人が隠れる場所なんてない。

でもおじいちゃんと...今度は奥さんだろうか。腰を曲げたおばあちゃんがいる。
会釈して「トマトがおいしかったもんで」とドキドキする胸を落ち着けながらそう言うのがせいいっぱい。

「そうかそうか」

笑顔のおじいちゃんがそう言って「ちょっと待ってな」と言ってどこかへ歩いていく。
おばあちゃんが「野菜好きなんかい?」とか聞いてくるので「いやぁほんとはそうでもないんですけど、トマトだったら切ってマヨネーズとか塩で十分おかずにもつまみにもなるし...」なんて答えていたらおじいちゃんがもどって来た。

ダンボール2つ分の野菜を勝手に車の荷台に積んで「もってけ」である。
いやいやさすがに悪いですよとお金を出したら「いんだよ。そーいうのは」と笑う。

どうしても受け取ってもらえないので根負けして(暑かったというのもある)仕方ないなぁ...とその日も満載の野菜を持ち帰ることに。
でも不思議だった。どうやってダンボール2つ分の野菜(しかも満載だ)をおじいちゃんが一人でもってこれたのか。

私が振り向いた時にはどさっと地面に置いていたのだが...重ねて持った来たのでなければ片手で野菜が満載のダンボール2つを持ってきたことになる。
...不思議なこともあるもんだなぁと当時はあまり深くは考えなかった。
実家の面々を思い出しても農家のパワーと「コツ」はすごいものがあるので...一見無理なことでもさくっとやってしまったりするから。

以後直販所に毎週...それこと何度も行って。
誰もいないことを確認して買おうとすると...この夫婦はすっと現れる。

そして置いてある野菜ではなく取り立てっぽい野菜をもってくるのである。

代金は絶対に受け取ってもらえない。

さすがに怖くなって行かなくなってしまったのだが、この話を実家でしたところ「それはおめぇ余って余って仕方ねぇ自家製農園の野菜をおしつけられたんだべよ」と笑われてしまった。
農業といっても米農家などが片手間で作る野菜は片手間のはずなのにやたらとうまく出来る上に量も出来てしまうものなんだと。

だから捨てるに捨てられないし(当時は道の駅などもないから農協以外に売るのも難しい)直販所で勝手に売ってたんだろうと。
そう言われてみるとそうなのかなぁと。

「で、うまかったんか」

というのでうまかったと言ったら茨城の生まれが千葉の方が美味いと言うとは何事だと米と野菜を押しつけられたものである。
もちろんそれもうまかったのだが(特に米が昨年のものなのに絶品だった)その説明に拍子抜けしてしまい「なぁんだ怖がることもなかったのかなぁ」なんて。

そしてお盆が過ぎて仕事にもどり...たまたまあの田んぼの辺りを通ると...直販所がない。
あれ?と思って車を止めてみてみてもそこには何もないのである。

屋根も柱もない。地面を見ても特に変わったところがない。

というかここに何かがあった痕跡すら見付からないのである。柱になる木が刺さっていたはずなのに...と思っても素人目にはさっぱりわからない。
まさに狐につままれるとはこのことだろうかと当時はかなり不思議に思った記憶がある。

もちろん怪談でもホラーでもなくあまりに客がこないから直販所つぶしちゃったんだよなとは思っているのだが...それにしたって不思議な出来事だったと思う。
20年以上経った今でもあの老夫婦の笑顔と真っ赤なトマトが浮かんでくるぐらいだし。

それから何年も経って...夏が来て千葉を車で走っていたりするとふとあの時のことを思い出して行ってみようと思ったんだけれど...
どうしても行けないんですよね。あの田んぼがあった場所に。

あの当時はさくっと行けたのに...今だと「あれ?田んぼが全然ないぞ?」ってなってしまう。
まぁこんな時代だから田んぼつぶしてしまったのかなぁとも思うんですが...

ちょっと不思議だなとも思うんですよね。

私は当時毎週のようにどこの田んぼに行って...どこで取れたトマトとか買ってたんだろうなぁって。

覚えている風景にはビニールハウスも畑もなくて...田んぼだけだったんですよね...

米ならわかるんだけど...あの野菜...どこで作ってたんだろうなって。

今でも時々思うんですよね。あれはなんだったんだろうなぁって。

でもうまかったなぁ。あのトマト。