誰だかわからない人になる怖さと親の介護の話

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母の介護生活もそろそろ数年というところで助かっているのは「多少記憶があやしくなっても受け答えと他人に要望を伝えることや自分のことを説明出来る」状態であることだったりする。
認知症になってしまったら施設にたたき込むと宣言し本人にも了承を得ているが認知症の親の介護は子供の負担が倍増では済まない地獄となる。
自分のことが説明出来ない人になる。
つまり
「誰だかわからない人」
になるということだ。こうなってはもう家族だろうがなんだろうが面倒を見るのは辛い。
子供が誰だかわからない。自分も誰だかわからない。何がなんだかわからない。
これを肉親だけでどうにかしろと言われたら「無理だ」と思う。
もう最後は殺すしかなくなるだろうとすら思う。
母と別の住まいにいて介護をするようにしたのは「逃げ場がなくなったら俺は母を殺すかもしれない」という恐怖があったからだ。
医者に相談しても「同居して面倒を見ては」とか簡単に言う。
わがまま言い放題の老人。それが例え尊敬出来る母だとしても耐えられるものかと思っていたのでこの選択にした。
それで正解だったと思うし今でも正しい選択だったと思う。
自宅に戻って一息つけばその日何を言われようが何をされようが何をやらかされようが「まぁ終わったことだし」と流せるようになる。
同居していてはこれがない。24時間365日攻撃され続けるようなもので、どれだけ愛があろうが尊敬があろうが最後は楽になりたくなるだろう。
そう思ったのでこのような選択をした。生活は苦しいがまぁ精神が死ぬよりはなんぼもましである。
息子が先に精神的にへばってしまっては誰が母の面倒を見るというのだ。
まず自分をきちんと立たせてからでなければ介護など出来ぬ。そう思っている。
とはいえ認知症になってしまったらお手上げなので会う度に「ボケてもいいが認知症になったらもう施設たたき込むからなー」「はいよーわかってるよー」みたいな会話はしている。

認知症の怖いところは「自分が誰だか自分はわかってるつもりだが他人に説明出来ない」状態になり得るところで、どっかで徘徊してて保護されても「身元がわからない」ということになる。

それが何百億もってる金持ちであろうとも「わからない人」なので保護後は施設に送られ仮の人生を歩んで死ぬ。
家族は探す。だけどみつからない。
下手すると死亡届が出される。受理されてしまう。
だけど本人は生きているのだ。よくわからなくなったまま、自分だけがわかっているつもりで、だけど何もまわりにはわからない。
どれだけ人生を謳歌しようとも最後がこれでは救いがないではないか...
そんな事は周りにごろごろし始めている。


母は多少記憶がおかしくなってはいるが受け答えもまだはっきりしてるし自分の意思も出すことが出来る。
「他人に説明出来る」能力が奪われた時。失った時。人は人であっても「その人」ではなく「よくわからない人」になる。
自分もいつかはそうなるかもしれない。
だけど「何者かがわかる」「説明出来る」うちは家族もケアマネージャーも「支えることが出来る」のだ。
独立独歩の気風が強い母は他人と暮らすとストレスになる。だから夫も持てないし息子とも同居出来ない。
母の願望でもあるのだ。出来れば一人で静かに暮らしたいというのは。
ならばまぁこの方法でよかったなとつくづく思う。ストレスはあれど風呂入ってビールでも飲んで寝れば「過去の話」として心の棚に仕舞うだけで済む。

認知症。
かつては全てまとめて「老人ボケ」として扱われてきたが今では立派な病気として扱われている。
若くてもなる時はなる。治療は...難しい。なんかひょんなことで戻ったりするし。
アイドルの話してたら突然はっきりして快活な人に復活したり。脳味噌の中はやはり謎だらけだ。

母の姉...親戚が入っている施設なんかにも「誰だかわからない人」がいるようだ。
保護されたはいいが身よりも引き取り手もいない。
誰だかわからない。
だけど保護したからには捨てることも殺すことも出来ない。
だから施設に引き取ってもらう。
金?どこから出てるんだろうね。税金じゃないかな。わからんけど。

人は簡単に死ぬ。
だけどそう簡単には「死ねない」ということらしい。
自殺、事故では簡単に死ぬ。
病気でも簡単に死ぬ。
だけど健康であると「なかなか死なない」し「なかなか死ねない」。

だいぶ問題になりつつあるようだが...政治家さん達も動いてはいるそうなんだけれど。どうなるんだろうな。これ。
こんなもん家族だけでどうにかするのは無理だと思う。

超高齢化社会ってのは「自分が誰だかわからなくなる」ところまであるなんて想像もつかんかった。
健常者にはわからない。
なってみないとわからない。
家族にそうした人が出てこないと実感もわかない。
そういうものだと思う。
こんなもん当時者か関係者でないとわからん世界だ。
だってみんな自分が誰だか知ってるし説明出来るんだから。
出来ない人のことはなかなかわからない。

親戚のおばさんがどうもかなりやばいらしく。
娘は認識出来るが息子を認識出来なくなってきているらしい。
母の姉で結構年が離れてたし...そろそろ84とか5とかだろうか。
身体は健康だということだが心はしんどいようだ。
コロナ下で家族がお見舞いに行くことも出来ない。だから何かが進行している。

誰とも会わないうちに「家族のことも一部忘れてしまった」らしい。
コロナが奪うものは記憶も含まれるのかと思うとちょっと悲しい話であった。
まぁ病院も入院したって面会謝絶だしな...

まだ話題として親戚の話で私のことなど出ているようなので...
コロナがある程度落ち着いたら。施設の外に出てもらって面会してこようかなと思う。
このままだと死ぬまで会えず。死ぬ間際には母も私も忘れられてしまっているかもしれない。
それはあまりにも悲しい別れになる。

コロナがなくても認知症の老人は日々増えている。
超高齢化社会と口には出すけれど。
実感を持って体験するとなるほどこれは。厳しい社会だ。
それでもそんな社会で生きて行かねばならない。
まぁ風呂入ってビール飲んでぐっすり寝る。まぁビールは毎日ではまずいが。週末ぐらいは。
だいたいそんなもんで人間ある程度は耐えられる。
同居して介護してしんどい思いをしている人がいたら。

数日でいいから家族と離れてどこかでリフレッシュしてぐっすり眠るのをお勧めする。
なんだか辛い思いがあったとしてもたったそれだけのことで「まぁいいか」ってなるものだから。
同居しているとなかなか難しい(特に動けなくなってしまった場合)けれど。
介護のケアマネージャーなどに相談すると金はかかるかもしれないが手段があったりもする。

後はまぁ小さくても趣味を持つといい。私なんかはこの年でガンプラなどに遅ればせながらどハマりしたりしているが...
これがなかなかコストパフォーマンスもいい。緊急時にはさっと手放していけるのもいい。
出来はあまりよくないがまぁ自己満足出来ればいいわけだ。売るものでもないしね。
気分転換に実にいいなぁと思っている。
まぁ...なんかこう...作るのが追いつかないまま欲しいものを買うから増える一方ではあるんだけど...
再販する度に数が少なくて「買っておかないと次にいつ買えるかわからない」という有様で。
趣味としてこれどうなんだろうなとは思うんだけれど。
それでも母にそんな話をしたら小学校の時も作ってたじゃないガンプラって言われて。
二人で笑ったりもしている。まぁそうなーと。

そんなことでも共通の話題になるのだから人生面白いものではある。