時代を彩ったかつての名機たち(7)...機能美が見せた未来と悲しい終焉 MZ-2000とその血族

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 MZ。かつてSHARPの名をコンピューター業界に刻んだ名機の血統。
 X1と並ぶ8bit時代のSHARP二大看板でありコンピューター黎明期にはこのパソコンで様々なことを学んだ人が多かったことでしょう。
 今回は趣向を変えてホビーパソコンではなく8bit時代に輝かしい歴史を刻みつつも親(SHARP)の迷走により時代に散った悲運のシリーズMZシリーズの話になります。

(MZシリーズにホビーパソコンがありますが、今回は割愛。MZ-700やMZ-1500は別の記事を用意するつもりです。
 また今回は対象機種が古く私の記憶でも相当忘れている部分がありました。かなり個人的な感想を強く出しているため当時のMZファンには不快かもしれません。それでも読みたいという方だけ読んでいただければと思います)


 MZ-80B(あるいはK)の血統を受け継ぎ...その後のMZシリーズの方向性を形作ったオールインワンパソコン。MZ-2000が生み出した未来への予感とその血を分け与えた兄弟機・後継機たち。
 悲しい終焉を迎えたMZシリーズの最後...
 MZ-80系列からつながり2000を経て...時代の徒花と散ったMZ-2500(スーパーMZ)へ...そして悲しき最終機MZ-2861がたどった数奇な運命を当時のエピソード交えて振り返りかえってみました。

 今では相当前の話になってしまいますので覚えている人は結構な古株でしょう(なにせ1970年代から80年代に活躍していた技術者たちの話ですから...当時高校生だった人でももう50歳以上になりますか。私もこれらのPCの最盛期の話は聞いた話でしかありませんので間違ってるところも多々あるかもしれません。ご指摘があればうれしく思います)

 コンピューター業界の黎明期はPC...パソコンと呼べる代物は少なく。マイコン...マイクロコンピューターがその位置にいました。ハードが先行しソフトウェアはまだそれほど重要視されていなかった時代。
 そんな時代にその後のパソコンの時代を左右する礎となるワンボードマイコンがありました。NECのTK-80。そしてSHARPのMZ-40K。TK-80は後のPC-8001の礎となり...MZ-40Kは名機MZ-80Bの礎なった存在です。
 ワンボードマイコンとは何かというと...むき出しの基盤に回路がごちゃっと乗っかっていて電卓がくっついたようなものをイメージしてもらえば外見的には想像しやすいでしょうか。
 キットで売られいて「自分で作る」コンピューターの色合いが強かった存在。私も学生時代に存在を知ってTK-80で遊びましたが世の中はすでに完成品のパソコンが全盛(もうPC-8801mkSRとかが幅を利かせてましたから)でした。

 まさに黎明期の存在なわけですが、時代というもので。当時としては最高におもしろいおもちゃ。しかも実用性が高いおもちゃな訳です。私もすでにパソコン全盛の時代だというのにTK-80では遊ばせてもらいました。
 好きに改造しようと思えば出来て、すでにノウハウがパソコン通信(インターネットではない)で入手出切る時代でしたからそりゃあもういいとこ取りというか。楽しかったです。...半田ごての失敗で壊したこともありますが...とほほ。

 今でいう関数電卓が近いっちゃ近いでしょうか(最初の関数電卓といわれるHP-35の登場が1972年。もう40年前になります。関数電卓の方が高機能かも...)。

 当時は新しいCPUが出たとしてもそう簡単にプログラム出来るものではなく。CPUごとに命令はばらばらというなかなかカオスな時代でした。8080(Z80)が一気に普及した要因のひとつですが、プログラムを習得がまず大変という。
 そこで安価なハードでプログラムを学ぶ「トレーニングキット」が存在しました。

 TK-80はNECが自社のCPUのプログラム技術を覚えておうと発売した「トレーニングキット」でした。私も触って感動したのですが、単独で完結したキットだったためこれを買ってきて作れば一通りのことは試せたという。(自社の...とはいうもののTK-80に搭載れていたのはほとんど8080でしたけど。だから入手した当時の私にとってはとてもなじみ安い遊び道具でした。Z80から入って8080の勉強というのも妙な感覚でしたが)

 キーボード(10キーですけど)で入力が出来て液晶(電卓おなじセグですが)に出力出来る。これは今日のパソコンに慣れていると「え?」という部分かもしれませんが登場当時のことを考えると画期的した。

 wikiにも書かれていますがインテルとかモトローラーのトレーニングキットはいろいろと付属機器を取り付けねばならずともかく高額になりがちだったようです。私も値段までは知りませんが...当時聞いた限りでは「学生にどうにかなるもんではないねー」だったようです。

 そんな中で工業高校などに通う学生でも手が出るワンボードマイコンはかなりのブームとなりました。もちろん興味を持った人の間で...ですが。(それでもNECが手ごたえを感じて完成品のPCを作ろうと思うぐらいの存在ではあったかと)

 TK-80は結構有名でしたがSHARPの発売したMZ-40Kは相当マイナーだったようです。
 私も現物は博物館でしか見たことがありませんでした(当時の記憶からすると電気通信科学館だと思いますがもしかしたら違う博物館だったかも)。

 MZの遠いご先祖として名を残すMZ-40Kですが、当時それほどメジャーな存在ではなかったようで。
 TK-80がセミキットとはいえ組み立てても基盤むき出しであったのと違ってMZ-40Kはちゃんと完成せればきれいに箱に収まる製品でした。目のつけどころはやはりシャープらしいというか。

 子供向けの玩具という位置づけだったといわれてますが、実際に出来ることはそう多くなかったようです。ちょっとした動作をプログラムして遊ぶ玩具の位置づけだったんですね。

 そのMZ-40Kの後継として発売されたのがZ80搭載のMZ-80K。
 自ら組み立てるキットではなく完成品として販売れたのがMZ-80Cだそうです。

 この時点で後のMZ-2000につながるデザインは確立されていました。グリーンモニタの採用。テープドライブの実装...IPLだけを持ち中身はクリーンなPC。

 そしてそのMZシリーズの「究極」を目指した意欲作MZ-80B。

 このMZ-80Bは今でもファンがいるほど根強い人気があります。実際売れ行きもそう悪くはかったようで。私が中学生の時に見学に行った工業高校ではずいぶんくたびれたこのMZ-80Bを使ってパソコンのデモをやってました。学校の教材として工業高校などにも納品されていたようです。
 シューティングゲームを展示していたのは墨田工業高校だったでしょうか。懐かしい話です(東京の工業高校です)。

 このMZ-80Bを持って初期のMZは頂点に達します。
 その時点でやれることはない。やるだけやった。
 そんな作り手たちの思いが結実した...そして生みの親たちによる最後のMZ。

 壊れたらそれこそ抵抗やコンデンサを交換してでも直して使える。そんな技量を持った人たちに愛された名機80Bはその後SHARPの方針転換によりその系譜を2つに分かたれます。

 ひとつはビジネス機としての系譜。その開発を別の事業部へと移して存続して行ったビジネス機。今回扱うMZ-2000の系譜ですね。
 私も当時の話は伝聞やwikiでしか知らない話ですのでご紹介だけにとどめます。
 Wikiによれば当初の開発者たちは以後のビジネスMZには関わっていないそうですが、その血統は正しく受け継がれていったのではないでしょうか。

 もうひとつの系譜はMZ-700やMZ-1500。今なお愛されるホビーパソコンの名機たち。
 その系譜はやはり悲運に彩られた歴史をたどります...しかし今回はそちらの系譜の話ではありません。独創性に飛んだとてもとんがった名機たち。

 作る楽しさ遊ぶ楽しさ...マイコンで培った低年齢向けのホビーパソコンとしての血統を保ったのがホビーMZであるならば、MZ-80Bが切り開いたビジネスPCの血統はこれからの時代を切り開くことを期待されました。

 そして1982年。その後のMZの系譜を決定づける一台のPCが生み出されました。

 MZ-2000。

 同時発売されたMZ-80B2がMZ-80Bをカラーにしただけといわれつつも過去資産をすべて継承するためだけのPCであったのに対してMZ-2000はまさに「未来に向けたMZ」でした。

 MZ-80Bとベーシックレベルでの互換はとれていたのですが、完全には互換性を確保出来ず。意欲作の代償として互換性を失ってしまったという。ある意味仕方ないことでしたが...
 どうしても過去資産を(周辺機器を含めて)生かしたいユーザー向けにはMZ-80B2を用意したわけです。

 そう、これからのユーザーにはMZ-2000を提供したかった。

 それほどの自信作だったのでしょう。
 事業部移行初のパソコンとして生み出されたこのPCは意気込みと気合いの乗った新しいシリーズのスタートの幕開けにふさわしい機種だったかと思います。

 当時としてはPCモニターは別売りでも高いものが多く...グリーンモニターとはいえ一体化されていればその分トータルではコストが下がります。今でもモニター一体型のPCがありますがその先祖みたいな存在です。(当時のPCにはわりとよくあったといえばあった形式ですが)

 MZ-80B譲りのテープドライブは後のX1シリーズを彷彿とさせる超高性能機を搭載。というか新開発のテープドライブは性能よすぎちゃったんでしょうね...wikiにもありますが私が触った限りテープの読み込みでエラーが発生する確率は非常に低く。しかも超早い。

 まだフロッピー時代の前夜であった当時としては驚異的な性能を誇っていました。読み込み速度を可変させることも出来ましたし。なによりそのメカメカしさが当時の人々のハートを微妙にわしづかみしていたという話も(そんなことはないか)。

 ...欠点として周辺機器のフロッピードライブがそもそも鬼高いうえにテープドライブがこれだけ高性能だったんですから当然フロッピーの普及は遅れました。このあたりはX1とまったく一緒です。ある意味SHARPのお家芸といえるでしょう。

 打開のためにホビー機のMZ-1500はクイックディスクという新開発のドライブを搭載したのですが、これもまた悲運と悲劇と一部の喜劇を生み出します。まぁこれは別の系譜の話ですので今回は割愛。

 グリーンモニタ搭載ということでカラー出力は考慮していないように見えますが、一応不可能ではありませんでした。ただとオフションボードをどっさりつけて別売りのモニタをつけて...の話ですけれど。

 どうやら開発初期ではカラーモニタの搭載も考えていたようなんですが(基盤を見る限り私にはそう思えました)、コスト増加と処理スピードの兼ね合いもあって初期段階でそれはオプションになってしまったのではないかと。
 後継のMZ-2200がカラー対応にスムーズに移行したのはどうもこの辺りに秘密がありそうです。

 このMZ-2000。
 特徴的なのはそのデザインでしょう。
 当時のコンピューターが求めた機能美がそこには象徴されている(と私は思っています。)
 SHARPが見せたPCの未来。その基板。それだけのポテンシャルはあったでしょう。実際注目を集めてはいたのですから。本当に格好良かった。とてもSHARPらしいデザインだった。

 けれど...

 MZはMZであるがゆえに。そのアイデンティティーたるクリーンコンピューター設計にこだわるがゆえに。様々な弱点を抱えることになります。
 利点でもあり欠点でもあるのですが、当時他のPCが電源を入れればいきなりベーシックが動作していたのを考えるとテープから言語を読み込まねばならない煩わしさはネックとなりました。(とはいえ読み込みは鬼の早さでしたが)

 これは利点との隣り合わせで、様々な開発言語や環境を読み込むだけで実現出来る(ある意味現代のPCがまさにこの状態ですね。Windowsでもlinuxでも読み込むだけで実行出来ますから)利点もありました。
 せめてこれがフロッピーベースであれば時代は変わっていたかもしれませんが、先に書いた通り高性能テープドライブを搭載したがゆえに移行が遅れてしまい...他の要因もあったんですが、MZは遅いという悲しいイメージを生み出すことになります。

 そしてかなりの機能をオプションとしてしまったこと。これは必要な機能だけを必要なユーザーが搭載出来る利点はあれどコスト的には非常に高価なものになりがちでした。当時としては仕方ないことなんですが...
 未来のための布石がいちいち足を引っ張る。高性能なレガシー技術が変革の邪魔をするのは世の常ですがMZはこのスパイラルにはまります。ある意味SHARPのお家芸です(X68000では高性能すぎるフロッピードライブを搭載していましたし)

 とはいえ一定の成功を収めることには成功しました。まだ基幹系とかクライアントとかいう呼び名が一般的ではなかった時代ですが、クライアント端末としてもかなりいけてるPCだったようです。(2200が出てもそうした使い方をしていた会社があったとのことですので。ボードでも刺して何かの端末に利用してたんでしょうか。いずれ調べてみたいと思います)

 そうした負のスパイラルから脱却を図るためにSHARPが生み出したのがMZ-2200。
 一体型だったMZ-2000をセパレートタイプに変更。カラー出力を標準装備したMZ-2000の上位互換機。
 ...そう上位互換機と市場は捉えましたが...実際にはマイナーチェンジ機の色合いが強い機種でした ハード的にも共通点が多く後継機と呼ぶには強化点が少なく...

 ぶっちゃけて言ってしまえば「期待外れ」「肩すかし」のイメージがあったのかもしれません。市場が期待した「次のMZ」にはなれなかった。

 今見ればそう悪い機種ではないんですが...出た年代等を考えるとやや厳しい。

 MZ-2000の翌年1983年発売です。
 廉価になった分モニタもなんもない。本体を買って完結するようなものではなく。よくいえば「普通のパソコン」へと脱却していく中での過度期の製品だったかもしれません。全部そろえりゃ結局高いもんになる。
 好きな人は今でもいて、むしろ2200が完成品だという意見もあったりしますが...私個人は2000のデザインが好きなのでなんとも難しい。

 1983年は実は8bit機の激動の年で...

 ビジネス機もホビー機も様々な機種が発売されまくり豊作の年でもありまして。

 ホビー機でいえばPC-6001mk2が発売されていますしパソピア7なども発売されています。

 同じSHARPからよりにもよってX1C/Dが発売されたのもこの年。
 そしてホビーパソコンのその後を暗雲で覆い隠す最大級の存在ファミリーコンピューターが発売されています。

 ビジネス機でいえば黒船IBMのマルチステーション5550が登場。TV CMもがんがん打って一気に市場開拓を開始(言うほどにはうまく行きませんでしたが。後にPS/55がビジネスシーンを席巻した時にはIBMの意地を見た気分でした)。

 国内ビジネス機ではPC-9801Fなどの16bit機が立ち上がりはじめていました。PC-100が突然世に出たのもこの年。本当に過度期の...実におもしろい年でもあったんですが、それもまたMZ-2200の不幸のひとつだったかも。

 この年はよりにもよってSHARP自身がビジネス機としてMZ-5500を投入しています。MZ-2000がMZ-80Bの系譜ならばMZ-5500は事業を受け継いだ事業部がもともと売っていたパソコンPC-3000の系譜。

 ある意味ではSHARPの最も「濃い」パソコンの系譜です。

 初代PC-3000は残念ながら私は見たことがないのですが、その後継機MZ-3500は相当に「とがった」PCでした。

 当時にしてZ80を2基搭載する意欲溢れる機種でもちろんフロッピーも搭載。

 都内の某高校が導入していて後のPC-9801VM発売まで現役で使われていたというエピソードが私の中にあったりします。実機を触れたのはいい思い出です。
 その学校に進学はしませんでしたが(笑)
 
 MZ-5500はSHARPのMS-DOS対応16bit機だと思えばわかりやすいかと。
 NECのPC-9801に対応するSHARPの意欲作です。
 MZ-3500が高額過ぎた反省からフロッピー無しの廉価モデルなども用意して間口を広げていました。商業的には微妙なラインでしたが失敗とは呼べない程度には市場に受け入れられます。

 ...よりにもよって上位にそんな機種がいるのに8bitのビジネス機の立ち位置は非常に微妙なものに。MZ-2200は価格を下げてはいたものの本体だけでは何もできない(MZ-2000はある意味で本体だけである程度のことは出来た)機種であり周辺機器まで含めた値段は結構高額。

 ビジネス機もホビー機もMZシリーズの中にライバルがいるわけで。非常に中途半端な立ち位置になってしまったMZ-2200。それでも時代が時代ですからそれなりには受け入れられます。

 ...実際にはMZ-2200はつなぎの機種で本命は別にあったわけですが。

 MZ-5500の系列は代を重ねるごとに高額化して行き「まさにプロ仕様」の仕上がりを見せます。CAD方面などに特化していったわけですがそうなるとMZ-2000の開いた市場...MZ-80Bの系譜が再び脚光を浴びます。

 そこにSHARPが用意していた8bit機の本命はMZ-2500。

 愛称は「スーパーMZ」

 時に1985年。
 しかし。それは遅すぎた登場。

 実際のハードとしてはMZ-2500は実に面白く...ある意味素晴らしいPCです。8bit機でいうならある意味で『最強』の名を冠していい機種だと私は思っています。
 まぁ何機種も最強を名乗れる機種があるのもなんなんですが、当時の究極とか最強とかの8bit機を選ぶとするとMZ-2500は外せない。並び立てるのはFM77AVかX1turboZシリーズぐらいでしょうか。(趣味をいれれば最後のベーシックマスターS1もいれたいぐらい)

 X1と並んでSHARPの機種が2機種入ってるのが面白いところです(PC-8801シリーズは究極とか最強と呼ぶにはハード的には面白味はないと思ってます。販売台数は最強かもしれませんが)。

 MZ-2500は前評判も高くその評判に相応しい性能を持っていたんですが...
 時代はすでに8bitの時代ではなく。

 無念なことに一定のシェアの確保も難しかった。
 MZ-80Bの完全互換モードを搭載していたり漢字ROMも搭載していたりと魅力あふれる機種でした。MZ-2000互換モードももってたり。16bit機に対抗できる8bitのMZ系列のファイナルフォーム。ホビー機としても戦えるポテンシャルを秘めたMZの新鋭機。

 けれど市場は受け入れてくれなかった。

 マイナーチェンジ後は搭載していた構成のテープドライブや過去の互換機能の排除などを行って低コスト化を図ったのですが...正直魅力的な部分を削ってどうするんだろうなぁ...というか。過去の資産の継承すら突っぱねて得た新機能にそれだけ魅力があると思っていたのか。や迷走気味だった気がします。
 
 SHARPらしい施策としてソフトハウスにお金を渡してローンチタイトルを用意してもらっていたのは非常によかったんですけどね...これはMZ-1500でもやってましたが結構効果的だと思います。発売してすぐはソフトが少ないですから。
 ただ他機種の移植作が多かったり...ハードが普及しないことで後が続かなくなったりと微妙なことに。スタートダッシュをかけるには少々つらいラインナップだったか。
 同人ソフトなどもあったので人気がなかったわけではなかったんですが...SHARP自身がMZ-2500の立ち位置を決められなかった。私はそう思っています。
 ライバルとなる...それもよりにもよって同じ会社のX1系列にも、上位のビジネス機たちにも届かない。MZのファンからは高く評価されたんですが...それでもシェアが取れない。そして迷走するマイナーチェンジ。

 高性能ゲーム機でもなく。廉価なビジネス機でもない。
 そうして迷走したマイナーチェンジの果てに生み出されたのは...

 運命の機種MZ-2861。最後のMZ。

 愛称はMZ書院。
 ...そう、SHARPの人気ワープロだった「書院」の名を冠するパソコン。...いやパソコンというよりパソコンにもなるワープロというか。書院と互換のあるワープロソフトを添付しての販売でした。

 wikiにも書かれているのですが、相当野心的なハードです。80286の新機能にまともに対応した世界初の「80286専用PC」。私は触れなかったのですが、当時この機種用にアプリケーションを開発していた(とうとう発売はされなかったそうですが)知人に聞いた限りではすばらしく面白い設計だったということです。開発環境はあまりよくなかったけれど、それを吹き飛ばすほど面白いハードだったと。
 ただ、情報が少なかったのか相当難産していましたけれど...そして商売として利益が出ないと判断されてソフトはお蔵入りに。電子手帳関連のソフトだったようですが、今となってはそれも語ってもらえない忘却の彼方のアプリケーション。

 本当はそのハードこそをアピールすべきだったのでしょうが、それもマーケティングの失敗なのかどうか。結果的にSHARPは...徹底的にこのアピールポイントを封殺してしまいます。
 そのポテンシャルは広告にもろくに表現されず。
 Oh! MZぐらいだったんじゃないでしょうか。この機種の本当の魅力を知っていたのは。

 本体を買うと地味についてきたPC-98エミュレーター。私の周りではこの機能がちょっと話題になっていたのですが...中途半端なエミュレーターだったためあっさりと魅力を失ってしまいました。時代的に98の圧倒的な繁栄がSHARPを圧迫していたのでしょうか。
 あまり話題にもならず...広告にもそんなに扱われなかったあたりにこの機能の悲しさがにじみます。

 そして書院ソフトの同梱。
 当時はワープロがかなりの需要を持っていました。パソコンもワープロの延長として考える人が多かった(一太郎や松などが売れまくる時代もあったぐらいですから需要は相当大きかった)わけで。
 SHARPはこの機能を徹底的に売りとします。
 ...したんですが、添付されていた書院ソフト。私からすると...正直使いやすくもなく。これなら書院を別に買った方がいいや...と思ったりなんかしたわけで。発売初期だったからかもしれませんが。

 結局この広告方法が最大の失策だったのかもしれません。ハードの良さはアピールされず書院の一機種とも取れるワープロ機能一押し。

 実際のところ野心的なハード設計にMZ-2500との互換機能を持ったSHARP渾身のMZは、中途半端なワープロっぽい何かにされてしまって。少なくともユーザーの目にはそう見えてしまったのかなと。

 ホビー機としては中途半端で 魅力的に見えず。せっかくの98エミュレーターもEPSONがハード互換機を出したことで霞んでしまい。戦略が見えぬままこの最後のMZは市場から姿を消して行きました。

 最終評価はワープロと互換をもったパソコン。別に互換をもったわけでもなんでもないんですが、そんな風に私の周りでは認知されていました。広告だけ見ると確かにそう見えたかもしれません。

 マーケティング...宣伝方法...様々な部分をきちんとして魅力を伝えていれば。

 MZ-2861は「究極のMZ」としてホビーにもビジネスにも使えるパソコンとして売れていたかもしれません。まだ作る楽しみに興じる人々がいた時代ですから...あるいは。

 けれどそれは過去を見ての結果論。

 MZはこのMZ-2861を最後に市場から姿を消します。

 一方同じSHARPのXシリーズは進化を続け...1987年についにX68000を市場に投入します。MZが進めたローンチタイトルを作ってもらう路線を引き継ぎ標準添付ソフトに人気シューティングゲームグラディウスを無料で同梱。
 高い志の現れかつけられた名前は「パーソナルワークステーション」。

 どっちつかずのMZの最終機にとどめを刺したのは...SHARP自身だったのかもしれません。ぶれのない...迷いのないホビーPC。いやホビーワークステーションでしょうか。高額だったにも関わらずX68000は大きな反響を呼びました。

 機能美のひとつの形であったクリーンコンピューター思想。MZ-2000が見せた後継機としての美。遅すぎたMZ-2500の登場。そして...SHARP自身が売り方を間違えてしまったようにも思えるMZ-2861。

 上記はあくまで私の個人的感想です。

 ですが、ぶれまくってしまった路線。同じブランドでの多種展開が限界に来ていた時代。同じ会社のライバル機。
 MZの終焉はあまりに悲しいものとなってしまった。私にはそう思えます。

 ホビー機にはMZ-700やMZ-1500という今でも熱烈なファンがいる名機が名を連ねました。MZ-80BやCを基点としてMZ-2000から始まるシリーズは...名機となるポテンシャルをもった機種がいくつかあったにも関わらずSHARP自身が殺してしまった。そう思えてなりません。

 商品がどれだけよくともその魅力を上手に伝えて宣伝出来なければダメです。難しいことですがそれが出来ていれば。あるいは時代は変わっていたのではないか...そうも思うのです。

 SHARPは設計も含めて独創的で魅力あふれるPCをたくさん送り出してきました。Windows時代になってもメビウスノートやMURAMASAなどSHARPらしい製品がいくつもありました。
 しかし続かない。後につながっていかない。それは製品の魅力だけではなく...宣伝の力と会社の決定力が原因だったのではないか。今の私にはそう思えるときがあります。その製品で何が出来るか。何が素晴らしいのか。それをきちんと伝えられていただろうか。
 そして高価すぎはしなかったろうか...とも。

 現代...量販店に並ぶ廉価な量販店モデル。東芝やNECのノートがポイント増大セールや値引きセールで人の目を引いています。
 しかし...かつてWindows95の時代。
 その廉価パソコンの立ち位置の一角にSHARPの姿が確かにあったのです。
 メビウスノートが安価なノートとして売れた時期もあったと思います。しかし...続かなかった。それは宣伝力の差だったのではないか。私はそう考えています。そして苦しくても継続することが出来なかったことも。ここで踏ん張っていればあるいは今日のパソコン売り場の一角はSHARPのノートPCが占めていたかもしれない。

 Xの系譜もまたSHARP自身の手で悲しい終焉を迎えました。MZとは違う形で...

 この時代の8bit機や16bit機の走りの機種たちは生みの親の手によって望まぬ終焉を次々と迎えました。PC-6001の系譜やFM-7の系譜などもそう。魂を受け継ぐ後継機が出たとしても、最後には終焉を迎えていきます。
 様々な時代時代に綺羅星のごとく現れては消えていった名機たち。

 ホビーパソコンとは違った道を歩みながらMZ-2500で再びホビーパソコンへの道をたどろうとしたMZの8bitビジネス機の血族。

 終焉は世界初の80286ネイティヴ機として生み出されながらも...その秘めたる力を発揮できずに歴史の中に消えていきました。

 未来を見せ。未来を育て。そして悲しい終焉を迎えたMZのもうひとつの系譜。

 愛されたくても愛されなかった末期の機種たち。

 今でも熱烈なファンはいるのですが、その声は小さく。MZ-700のファンなどに比べたら非常におとなしい。
 けれどもし。今アセンブラやCを使ってMZ-2861と向き合ったら...とても面白いパソコンなんじゃないか。今でも楽しめるやつなんじゃないか。
 そう思えてなりません。今となってはかなわぬ夢ですが...
 INTELのCPUの新しい機能を使ってみたい。私の臨んだ夢はその後FM-TOWNSでかなうことになります。386の機能をDOSからアクセス出来た稀有なPC。その終焉もまた寂しいものでした。


 「ホビーパソコン」の影に消えたかつての8bitビジネス機。
 最終的には16bit機の普及がその幕を引いたわけですが、その中でもがきながら形を変えて最終的には傑作機になる素質をもった機種として生まれ変わり...それでも力及ばず歴史の中に消えていったかつての名機たちがたくさんありました。
 あるいはPC-8801などもホビー路線らに舵を切らなければ同じような終焉を迎えていたかもしれない。未来はちょっとしたきっかけで変わっていたかもしれない。そんな思いを馳せるPCたち。
 今となっては思いでの彼方の名機たち。

 あまりマニアックなところには触れず今後も様々な機種を紹介していければと思います。



※MZ-700やMZ-1500といったMZのホビー8bit機達は今でも熱烈なファンがいるとても「とんがった」名機です。目の付け所がSHARP過ぎたこれらの機種については後日別の記事を起こそうと思います。