時代を彩ったかつての名機たち(6)...TVに繋げる廉価ホビーパソコン 「パピコン」の衝撃 PC-6001とその系譜


  パソコンはハードルが高い。でも決してビジネスのためだけのものじゃない。

 遊び心にあふれたパソコンを。子供でも扱えるものを。

 わかりやすく。とっつきやすく。
 そして価格も安く。

 子供たちに作る喜びを与える夢の形。

 かつてNECが描いたホビーパソコンという夢。その夢の結晶が初代PC-6001。通称「パピコン」でした。
 企画当初は8001を上回るPCとして産声をあげ...変革を経てホビーパソコンというジャンルを築き上げる功績を遺した名機。後に子供達の心を鷲掴みにしたPC-6001mk2や6601シリーズの礎となった時代の幻。今なお愛される8bit機初期の傑作機。

 今回は私にとっても思い出深い「はじめてのパソコン」だったPC-6001の話になります。
(当時の私の記憶・後の調査と推論がまじりますので100%真実の話ではありません。ご了承のうえお読みください)

  PC-6001の発売は1981年。今から30年以上前になります。
 NECのパソコンはやはり初代8001が有名なわけですが、6001はその弟分と言われています。実際に発売された機種は確かにその名にふさわしいホビーパソコンなわけですが、企画時はまったく違うパソコンだったようです。
 開発は8001と違ってNEC本体ではなく新日本電気株式会社。当時のNECの子会社でテープレコーダーに強く...やテレビやビデオデッキにさらに強い性格の会社でした。βのデッキなんかを作っていたのがwikiにも書かれていますが、さすがにそこまでは私も知りませんでした(笑)

 社名に聞き覚えがない?

 では日本電気ホームエレクトロニクス。通称NEC-HEといえばどうでしょうか。

 そう。後にPC-Engineを発売するNEC-HE。
 今でいうAV分野で強みを出していた会社がこれから広がろうとするパソコン市場に売って出るために開発する最初のコンピューター。それはもう気合いが入りまくり...になるはずでした。

 ホビー分野へのこだわりは当時から強かったんでしょうね...
 NECグループの違う会社や部署がパソコン同時期に手掛けているのを不思議がる人もいるんですが、当時はそれが普通でした。というか、どっかの事業部がパソコンを出したらライバル事業部も出したがる。そんな時代です。

 SHARPだってMZシリーズとX1シリーズなんてやってたぐらいですしね(笑)
 話を戻して、6001の話です。NECから発売された8001は当時としては画期的なパソコンであり同じグループの製品です。当然お手本となりました。
 実際に6001を開発しようとしたチームは8001を超えるものを作りたかったようです。Apple(たぶん時期的にApple3ではなくApple2を目標にしていたと思われる。PC-6001開発中にApple3が発売になったと以前どこかで聞いた覚えがあります)を超え先輩機8001を超える夢のパソコン。最初に描かれたのはそんな夢でした。

 が。

 親会社のPCを超えてどうする(笑)

 とか。

 そもそも専用LSIとかIC搭載しまくってそんな豪勢なもの作ったら販売価格がとんでもないことに。(当初はそんな野心的な話からスタートしたらしい)

 とか。

 いろいろな現実が重なり合っていき...夢は夢のまま。より現実的な機種が開発されることになった...今ではそう考えています。
 それが最終的に形になったのがPC-6001。

 当時...私がまだまだ子供だった頃。
 デパートのおもちゃ売り場にPC-6001が置かれました。その衝撃は結構大きかった。パソコンがおもちゃ売り場に置かれるというのはすごいことです。カセットビジョンの横にどどんとその居場所を確保したわけですから。まだファミコンもなかった時代です。なかなかすごい衝撃でした。

 そうパソコン売り場とか電化製品売り場ではなくおもちゃ売り場です。

 ...そこに訪れていたNECの営業の方(当時の私は子供ですのでパソコンの会社のおじちゃんとしか思ってませんでしたが)から聞いた話にもちょっとだけそんな話がありました。夢のパソコンなんだよと。

 今となってはその言葉が本当かどうかはわりません。
(当時の記憶をもとにして大人になってから追跡して調べた結果が上記の話のもとになります。なので合ってるかどうかは保証できないんですけれど。その方はずいぶんとくたびれた格好をした方だったと記憶しています。ネクタイはしていたけれど...どこか疲れた雰囲気の...そう、開発室によくいるタイプの人に)

 でも、「このパソコンはおじちゃんたちの夢がいっぱい詰まった箱なんだよ」と言われたのははっきりと覚えています。
 もしかしたら何らかの事情で営業に回されていた元開発の方なんじゃないか...と今なら思うのですが、当時の私にはそこまでは想像もつかないことですね。ちょっとしたミステリーだと個人的には思っています。

(当時の販売支援体制を考えるとどうなんだろう。ありえないと言いたいんですが...今ほど巨大な市場でもなかったですし新日本電気自身が営業をしていたとしたら...あるいは...私にとっては思い出の彼方のミステリーです。)

 なんにしろ方向を修正して生まれた6001は新日本電気の持ち味を生かしたパソコンとなりました。
 今でこそ中途半端とかいろいろ言われるんですが...
 BASICは8001ゆずりながらタイニー(小さいの意で。おそらくはタイニーゼビウスをもじって)BASICと揶揄され...8001用に用意された周辺機器も全てが使えるわけではなく。

 文字通り「弟分」

 しかしその弟分は8001とはまるで違う魅力にあふれたパソコンとなり。今までNECがもっていなかった市場へと進出して行くことになります。

 この成功が後のPC-8801mk2SR等の傑作ホビーパソコンへとつながっていくのだから興味深いところです。

 PC-6001のスペックは当時としてはそれなりのもので、4MhzのZ80を中心に構成されていました。
 最大の特徴は「専用のモニタを必要としない」こと。そう、テレビ出力をもっていたんですね。
 当時としても画期的なことでした。
 その後他社もやはりホビーパソコンの入門機はTV出力を搭載するものがありました。モニタ...高かったですしね。
 ご家庭のテレビにパソコンの画面が映るのですから結構びっくりです。
(後にこの経験がPC-8801FEの時代で生きてくることに)。

 本体に搭載されたスピーカーは廉価ながらそこそこの音量を確保。外部出力も検討したようなんですが、価格を抑えるためにカット。
 デザインは本体の上にキーボードを搭載した当時のパソコンの形。まぁ真似っちゃそうなんでしょうが合理的っちゃ合理的なデザインだったので。
 購入ターゲット層を8001よりさらに下(どうも8001のターゲット層は大学生から社会人ぐらいを想定していたんでは)の中高生辺りに設定していたのか、ひらがなを表示出来るのは当時としても画期的でした。
 専用ゲーム機を意識したカートリッジスロットにはゲーム専用カートリッジが刺さるようになっていました。私がおもちゃ売り場で見た頃はまさにこのカセットを前面に押し出して販売していた頃。
 教育ソフトも出てましたのでターゲットは結構明確だったんじゃないでしょうか。(新日本電気ではなくNECグループで販売。販路を広げるために親会社が動いた形跡が...今となっては確かめようもないんですが、この辺りの力関係とか当時のことを知る人に聞いてみたいです)

 スピーカーが内臓されているということで音源も装備。PSGの3音でしたがこれをBASICから制御出来るのはすごいことでした。誰でも簡単に音を鳴らせる曲を作れる。遊べる。楽しめる。
 ちょっとしたシンセサイザーだったという評価もあるぐらいです。
 今となっては味のある音でしかないのかもしれませんが...私は6001のPSG大好きですけどね(^^)
 同様にややにじみのある黄色っぽい画面も大好きです。今でもね...

 ひらがなカタカナ英数字が扱える反面グラフィックは8801に劣る部分が。まぁこれはテレビに出力する関係上仕方のないことなんですが...解像度が低かったわけで。(当初8001と書いてありしたまが8801の間違いでした。ご指摘ありがとうございます)
 NECのお家芸であるテキストモードとグラフィックモードの重ねあわせ等は出来ませんでした。
 そのかわりROM/RAMカートリッジを刺すと4枚の画面を使うことが出来たのでうまくすればちょっとしたアニメぐらいは表現出来たのを覚えています。まぁ4枚も確保するとRAMがいろいろ厳しいことになるので実際は使わなかったんですけれ
ど...(どうせ1枚はテキスト表示で使ってしまいますし)

 実際はアセンブラでプログラムを書くことも出来たんですが、アセンブラを入力するモニターがなく(苦笑)
 BASICでモニタコンソールを作って入力する工夫が必要でした。
 まぁ慣れればまずベーシックでローダー作ってしまってテープから直接メモリにアセンブラ読んじゃえばいいんですが。
 ...当時のユーザーしかわからない話ですね(^^;

 ビー...ガッ......ガァァァァァァァと読んでる音がするテープのデータはだいたいこの形式だったんじゃないかと(笑)

 あんまり知られてませんがフロッピーも増設可能でした。

 が。

 購入する対象が対象ですから高い周辺機器は売れませんで。教育現場とかビジネスに使った場合用だったのではないかと。
 特徴的な「指が痛い平たいキーボード」は銀行等を想定していたのかキーボードシートを交換してキートップの刻印に囚われない使い方を想定していたようです。
 海外向けにはタイプライターキーボードの6001があったそうなので見てみたかったですね。GoogleでPC-6001Aと検索すれば写真が見つかると思いますが、8001に近いフォルムをしています。当時これが販売されていれば間違いなくこっちの方が...と今なら思うのですが、子供の手にはあの小さなキーボードがちょうどよかったかもしれません(指が死ぬほど痛かったですが)

 活躍していたのは後継機の6001mk2が発売されるまでの2年ちょっとの間。以後はmk2の方が主力となって行きます。私はmk2が発売された後で初代6001を手に入れた人なので相当悔しかったというか妬ましかったです。

 なんでその当時に初代? と聞かれることがあるんですが、事情が事情なんで。

 ぶっちゃけ母親一人で育てられてますからお金がなかった(苦笑)

 仕方ないのでパソコンが置いてある場所に行って遊んでいたのです。日本橋のデパートで店頭の6001にBASIC打ち込んでゲームやってたなんて今言うと目を丸くされるんですが、当時はそうでもしないと触ることすら出来なかった。
 キーボードのタイピングも早くなりますし...何よりプログラムソースを丸暗記していかないといけない。これは腕があっという間に上がるというものです。今の仕事を考えるに当時の自分の熱意は決して無駄ではなかったのでしょう。貧乏もそう悲観するもんではないということで。
 母の仕事の関係で紹介してもらったお兄さんのところで8001をさんざんいじり回し(持ち主以上に)ていたこともありパソコンへの憧憬は強かったのでしょう。なんでそんなに強くこだわったのかは知りませんが(笑)たぶん死ぬほど遊びたかったんでしょう。TVゲームで。そして自分でも作ってみたかった。
 たぶん理由なんてそんな単純なものだったかと。

 後に日本橋のどろぼう市(母の呼び方ではこうですが、たぶん質流れ品の市でしょう)で数万円で売っている6001と遭遇。ROM/RAMカートリッジもついてました。

 もうその時のねだりようと言ったら半端ではなく。

 もともとその市に行く時から母が「安いパソコンがあったら買ってあげるから」と言ってたわけで。

 mk2は確かに恰好よかったですし性能も上。
 回りの友達も親にねだって買ってもらっていて。対してそこにあった6001はちょっと傷ついていてみすぼらしい。

 それでも私は6001が欲しかった。おもちゃ売り場で遊んでくれた(決して遊んだではない)友達に出会えた気分。
 いつか絶対に手に入れるぞと子供心に誓ったパソコン。

 もうね、買ってくれなきゃ帰らない勢いで(笑)

 母に先日この当時の話を聞いてみたところ大きなため息と共に「恥ずかしかったわよ...もう。だから買っちゃったんでしょうね。ブラウス買うつもりだったのに」と言ってましたから。

 ...どんだけ粘ったんだ当時の私。

 母からしたらテレビにつなげられるのが大きかったそうで。(当時14インチのテレビが買い与えられていまして。理由は...どんなに言っても私は夜更かしするもんで。仕事が忙しく朝5時置きする母が早く寝たかったため2部屋ある片方に私の部屋を作ってテレビを置いたのでした。まぁ仕事行ってる間は母帰ってこないですしテレビぐらいしかさみしさを埋めるものがなかったんですが)
 それにカセットレコーダーをもらえることになっていた(8001のおにーさんのお古)のもあり。買うのはこの本体だけで済む!ということで。
 なんとか買ってもらえました。

 うれしかったですね...ほんとに。泣くほど嬉しかった。たぶんパソコンを自分で買うようになった今では..あの時の喜びはもう味わえないんじゃないでしょうか。

 帰宅してわくわくと本体をテレビにつないだのを今でも思い出せます。いやー箱もなんにもないからタダでもらった風呂敷に包んでもって帰ったという(笑)唐草模様の漫画に出そうな風呂敷。今でも思い出せます。
 母との約束でゲームは買ってもらえませんから、自分で作るか雑誌のプログラムを打ち込むしかない。

 そこで毎月おこづかいで買っていたのが「マイコンBASICマガジン」。そうベーマガです。当時のバイブルみたいなもんですね(^^)

 ともかく片っ端からゲームを打ち込んでテープに保存する。
 そんなことをしていればいやでもプログラムの知識が身に付きます。すでにおもちゃ売り場で鍛えた指が本を見ながらブラインドタッチを可能としていました。体が指が6001に吸い付いて動く。そんな感じ。
(おかげで今でもカナ入力です。当時はローマ字入力なんて知りもしないし見ることもなかったですし。プログラムのコメントはカタカナでいれていたのでした)

 キーボード叩きすぎて指が痛くなったのもいい思い出です。

 周りの友達はmk2をもっているので、アセンブラも自在に入力出来た。性能も上だから市販ゲームもおもしろいものがたくさん出る。
 それがまた悔しくて...そしてメモリ周りが厳しくて(笑)嫌でもフセンブラを覚えるハメになりました。

 実際やってみたらBASICより簡単だったし便利だったし早かった。
 なんてすばらしいんだと思ってましたね...というか16進数直打ちだったのが今考えると...子供の頭って柔軟だったんだなぁ...(しみじみ)

 私は初代パピコンにこだわっていましたが時代はすでにmk2に移っていました。

 ここでmk2に触れてみましょう。


 しゃべりやがるぱそこん...以上。



 ...いやいや。

 ほんとうにそれが最大の特徴だったんですよ。

 PC6001mk2の最大の特徴は音声合成を標準で搭載していて...しかもそれがBASICから誰でも簡単に扱うことが出来たということにつきます。

 もともと初代機のオプションだったそうなんですが、私はそのオプションを知らず...mk2はすごいなーと漠然と思っていただけでしたが。初代への憧憬が強すぎたのかも。
(当時のユーザーは「しゃべるちんさんまーじゃん...です」とか真似するだけで大爆笑するので宴会の時などには特定の人向けで使えるネタだったりしますが)

 あと...これも当時としては画期的でしたが「漢字をROM搭載していた」のも実はすごいこと。

 これがまた常用漢字全てではないという。
 「学校で使う漢字」を搭載したイメージをもっていただければと思います。「小学校の国語とか社会とかの授業で使う漢字をいれとけ!」という実装だったそうです(当時はそこまで知らなかった)。

 初代6001に比べるとかなり強化されていたのは事実。

 TVではなく専用ディスプレイに接続することではっきりくっくりと美しいグラフィックスを表示することが出来るようになり8001の弟分といいつつ表現力では上回る部分も持てるようになりNECのホビー機の中核を成すパソコンとしてその立ち位置を確立します。

 もうパピコンではなく。10万以下のホビーPCの中でも特徴ある尖った機種。
 豊富な6001のゲーム類やプログラムがほぼそのまま動作する互換性。

 当時としては非常に好評を持って迎えられた幸せな機種だったでしょう。明確に低年齢層と教育現場を狙っていたのがマーケティング的にどうだったのかはわかりませんが...初期の盛り上がりはなかなかのものでした。

 ...しかし6001シリーズの栄華はこのmk2で陰りが...

 そう、ファミコンの台頭です。

 他のホビーパソコンと同様に6001の系譜もファミコンとの戦いを強いられます。作る喜びか遊ぶ楽しみか。
 時代は遊ぶ楽しみへと傾いて行きました。

 とはいえ、やはり自ら作る楽しみはパソコンならではのもの。mk2の時代はまだしばらく続きました。

 止めを刺したのは...さらなる兄弟機6601シリーズだったという...

 NECのラインナップの厚さがあだになった感じがありますが、発売当初の6601は6001mk2にフロッピーをつけただけのイメージが強かったんですよね。話すパソコンmk2から歌うパソコン6601という感じに性能もあがっていたんですが、価格もあってか意外に競合していなかった。

 これが崩れたのはPC-6601mk2SR...通称「Mr PC(ミスターピーシー)」の発売によって。というか、同時発売されたPC-6001mk2SRの仕様が6601mk2SRからフロッピーをとっただけに近い仕様であったのが致命的...そして宣伝的にもMrPCの方が力が入っていたわけで。
 なんか立場が逆転してしまったというか。

 6601シリーズが6001の系譜なのは間違いないのですが、型番としての直径はここで潰えることになります。

 そもそもの6601が6001mk2の強化版みたいな位置づけであったためかマーケット的にはスムーズに移行していたようです。専用モニタが必要だったりやや高かったり...様々な要因から住み分けも出来ていましたし。

 本音を言えば市場がだいぶ狭まってましたからというのが真相でしょう。

 このMr PC...結構いい値段してまして。10万円以下のホビーパソコンではすでになくなっていました。

 ここで方向性がぶれてしまった。
 迷走してしまった。

 私はそう思っています。

 10万円以下のホビーパソコンの市場からもうワンランク上を目指した野心は買いますが、定価ベースでモニタ等まで含めて20万円近い出費はもはやホビー用途で親が出すには辛い出費。まぁまだそこはすぐに時代が追いついてきてくれたんですが...

 安価なはずのPC-6001mk2SRもmk2までは出来た「ご家庭のテレビに出力できる」という売りがオミットされてしまい(そもそものベースが6601シリーズですから)そこにあるのはホビーパソコンにしては高い代物。

 性能は結構なものだったんですが、解像度の問題やベースとなった6001シリーズとの互換性も含めた様々な部分が中途半端さを出してしまったのか...

 このMr PCが発売された時にはNECの8Bit機はすでに本社が扱うものではなくなっていたという話があります。6001を生み出した新日本電気が担当するものになっていたと。

 それがゆえでしょうか...実績を作るためか売上を作るためか。意地だったのかなんだったのか。乱発されるNECの8bitホビーパソコンは混乱の時代へ。

 その時代に終止符が打たれたのは1984年から1985年にかけて。

 子供たちの夢をつかんだ高価な魔法の箱PC-8801mkⅡSRの登場が他のNECの8bit機全てに終止符を打つことになります。

 価格面では高度成長の波に乗ってホビーパソコンの相場もあがり10万以内ではなく20万以内へと移行して行くことになるのですが(10万台が主戦場となる)、そこにあったのは8801mk2SR...他社ではX1(Turboも含む)やFM-7(あるいは77AV系)と言った新たな世代のホビーパソコンたち。
(とはいえ8801シリーズはやや相場より高かったのですが。FR/MRの登場で一気に身近なものになっていきます)

 その群雄たちの前ではさすがに6001の系譜は立ち向かうことが出来ず。企業の意向と市場の流れが存続を許さず。

 6601の系譜も途絶えてしまいます。

 SRの型番とサウンドチップなど様々なものが8801mk2SRに受け継がれ。

 6001が見せた「10万円以下の本体で家庭用テレビに出力出来る」という夢は8801FEの登場まで待たねばなりませんでしたが、一応受け継がれました。
 ノウハウとして...機能として...6001の息吹はNECの後継機たちに受け継がれていった。
 そう思っています。

 しかし、「味のあるパソコン」だった初期の8bitホビー機に比べて8801mk2SR以降の機種は出自がビジネス機だったこともありやや無機質感が強いです。

 のちのMSX等の低価格ホビーパソコンの先駆けとなった6001シリーズとその系譜。直系の6601シリーズへと受け継がれ...遺伝子が8801シリーズへと受け継がれ。

 けれどその魂はNECのどの機種にも受け継がれないまま...消えていってしまった。

 そんな気がしてなりません。残念なことですが...

 市場的にはホビーパソコンという分野は存在していましたしNECも8801シリーズを中核に市場を開拓して行きました。

 しかし...低年齢層をターゲットにしつつ教育分野にも踏み込んだ設計と低価格さ。必要機材の少なさ...6001と6001mk2がもっていた「子供に作る楽しみを」という魂はその後のNECのパソコンの中にはなくなって行ってしまった。そんな気がしてなりません。

 奇しくも1983年...6001mk2と同時期に市場に登場したMSX。

 そのMSXが1985年にMSX2へとグレードアップした時...私はそこには他のメーカーが捨て去っていった子供のための夢が...子供が持ちえた作る力が宿っているように見えました。ファミコン対抗とかいろいろ言われましたが、MSX...そしMSX2は「他のメーカーが「置いて行ってしまったもの」を丁寧に拾って行ってくれた。

 そして作る喜びを持ち続けてくれた。そう思っています。それがゲームという分野だけではなかったことは当時のプログラマーだった子供たちは知っているはずでしょう。

 作ること自体が楽しい。

 それがホビーポソコンがもっていた大切なもの。

 私はずっとそう思い続けています。今も。

 そういう意味では他のメーカーも含めてですが初期の味がある8bitホビー機は全てMSXの系譜に流れて行ったのかもしれません。

 そしてその流れは...作る喜びを知った子供達が大学生や社会人となった時に
 SHARPから発売されたX68000にて大きく花開くことになります。
(教育分野への進出は富士通のFM-TOWNSが進出したのがまた面白い)

 高機能化し高性能化していくパソコンはいつしかその色合いを淡いものへと変えていき...高性能ビジネス機がゲーム機となる時代へと動いて行きます。その中で真っ向から「作る楽しみ」に挑戦した最後のホビー機X68000とFM-TOWNS。この2つの機種はいずれ別の記事で書くことになるかと思います。

 新日本電気は社名をNEC-HEに改めPC-Engineを引っ提げて本格的にゲーム機の市場へと切り込んでいきます。ホビーパソコンとしては8801シリーズを順当にバージョンアップしつづけ...そして8bit時代の終焉とゲーム機市場のスーパーファミコンによる市場制圧により力を失って行きました。

 そして第二次ゲーム戦争(時代的にはスーパーファミコン後の市場争い。プレイステーション・サターン・ニンテンドー64が戦った世代)の時に時代と市場を見誤り...PC-FXを最後にゲーム機市場からも撤退。ゲームソフトの開発に特化していくことに。

 最後は20世紀最後に行われたNECの企業再編によりその幕を閉じてしまいました。その血脈は今NECビッグローブに受け継がれているとも言われますが、どうなってしまったのかは私にもわかりません。
 NECアベニューなどの開発系はまだいろいろな話が出なくもないですがハードの開発部隊の話など今となっては追いようもなく。残念な閉幕だと私は思っていますが本当のところはどうだったのでしょうか。

 NEC本体にも相当振り回された不運な時期もあったと聞きます。

 それでもあれほど楽しい時代と...楽しい「パピコン」を世に送り出してくれたことを...私は感謝と共に忘れないでしょう。あの時代。あのタイミングでよくぞあの機種を送り出してくれたと。

 にじみの強いモニタで見た時の疑似カラーはいまでも中年以上となったファンを魅了しています。味のあるPSG音源が好きだという人もいまだにいます。

 昨年...誕生より30周年記念ということでファンによる様々な作品がつくられました。
 この記事を昨年書かなかったのはなんとなくそのブームに乗るのが恥ずかしかったから。未だに「パピコン」を愛してやまぬおっさんたちがまだこんなにもいたのかと涙を流しそうになりました。そんな中でつたないこんな記事を書くのもどうかなぁ...と。ようやく落ち着いたのでこそこそとこうして書いているわけですが(^^;

 今の時代にも手軽にプログラムに触れられる環境があります。それもパソコンではなく...ゲーム機に。
 ニンテンドーDS用のBASIC(プチコン)はあの時代にプログラムで楽しんだ世代には実にたまらない代物で...私からしたら「あの時代の熱い風がまさかゲーム機から吹いてくるとは」と思えるもの。そりゃおっさん世代は買いますよ。

 そのBASIC上でタイニーゼビウスが再現されたのを見たときは思わず目が潤みましたね...

※タイニーゼビウス
 電波新聞社発売のゼビウスの異色もとい移植作。さすがに6001での再現は厳しく「タイニー」の名をつけることで発売にこぎつけたソフト。それでも当時の子供にはまさかの移植であり結構夢中になって遊んだものでした。


 ニコニコ動画からタイニーゼビウスを貼ってみました。



 
 そしてこちらがDS用「プチコン」で作られた移植作。...さすがゲーム機。これがBASICで作れるとは。




 あの当時の夢が今頃戻ってくるとは思わなかった...思わず酒を傾けたくなります。そして今の時代に未だにあの頃の熱い思いを持ち続ける人々がこれだけいるのだということに。
 子供たちにも使える低価格で楽しいパソコン。親が安心して買ってあげられた存在。その後のホビーパソコンのひとつの形を築いた名機。そして...時代の中で迷走していった後継機たち。
 ホビーパソコンというカテゴリを作り上げた代表機のひとつとして未だに愛される「パピコン」。
 その血脈は途絶えても。魂は消えず。未だ熱い思いを持つファンに支えられ。30周年記念にはとんでもない作品まで繰り出しました。
 RPGの金字塔イースシリーズ...その中でも評価の高いイース2のオープニング(結構アニメしまくる。88シリーズでは画面マスクとALU転送により実現)をこともあろうに初代6001(32K)で再現した作品。
 本来ならその親元の動画を貼るべきなんですが...なんとそのプログラムをエミュレーターではなくテープに落とし込んで実機で動かした動画がありました。当時のテープロードの雰囲気も含めてむしろこちらを紹介したいと思います。




 

 す、すげぇ...

 当時は生まれてもいなかったテクニックが。夢見たいろいろなことが。そこには詰まっていて。思わず目から流れるしょっぱい汗と共に酒を傾けてしまいました。当時の実機をアセンブラでいじった人ならわかると思いますが、どう考えてもメモリが足りない...動画を見るに間違いなくVRAMに直転送に近いことをしている...よくこれでこけずに同期がとれるものです。クロックタイミングとかいろいろ考えて思わず酒のつまみにしてしまいました。

 かつて様々なパソコンシリーズを擁していたNEC。今でもWindowsパソコンの市場で一定の存在感を放っています。
 しかしこれほどまでに野心に満ちた時代はなかった。
 かつてNECが持ち得た...そして失ってしまった何かは...確かにこの時代にあったのだと思います。それがなんだったのか。ホビーパソコンが築いた「作る楽しみ」はどこへ行ったのか。
 
 いつか見た夢。30年経った今...再びまみえた夢。PC-6001は私にとってとても...とても思い出深いパソコンです。この機種との出会いがなければ私はこの道には進んでいなかったでしょう。
 そもそもパソコンなんてものに興味を覚えたかどうか。
 
 「ホビーパソコン」の終焉と共に消えていったかつての名機たち。
 今となっては思いでの彼方の名機たち。

 あまりマニアックなところには触れず今後も様々な機種を紹介していければと思います。



※最後に

 6001ではなく6601シリーズに思い入れがある人も多いでしょう。しゃべるパソコンではなく歌うパソコン。
 愛称は「Mr.PC」。
 なんというかちょっと気取った感じがたまらなく愛おしかった人も多いでしょう。キーボードがセパレートで...兄貴分のパソコン達と肩を並べようと背伸びしていたホビーパソコン。
 そんな人にはこの動画がきっと気に入るはずです。決して歌うのはうまくないかもしれないけれど。かつての輝いていた時代の夢を感じながら聞いて欲しい。

「PC-6601が歌うタイニーゼビウス」