六道の風習と去年の葬式の話

  • 投稿日:
  • by
  • カテゴリ:

 これは昨年の話。
 親戚のおじさん(母の姉の旦那さん)が亡くなった。以前から具合が悪いとは聞いていたが、子どもの頃散々遊んでもらったし(取手競輪に行く口実にされてはいたが)年中泊めてもらったりしていた人なので寂しさも結構あったもので...母はあっけらかんとしていたが私の方が割とダメージを受けてしまっていた。
 またこの時は不幸が重なってしまい...かつての同僚が亡くなり(ようやく先日ブラック企業でのダメージにより自殺だったと聞かされたが)かなりの精神ダメージを受けていたところで。
 そこに親戚のおじさんが亡くなり。母を連れて茨城の実家方面に行く段取りを取っていたんですが...
 その時かつての同僚というかお世話になったシニアマネージャー(その会社ではPMを統括して全社のプロジェクトを統括している方。かなり偉い)から連絡があり。
 私の以前の上司(担当プロジェクトの管理者だった人)がなくなったと。
 亡くなった人は仮に...相吉沢さんとでもしておきますか。実際の名前は違うんですが、まぁ便宜上。Aさんとかだと書きづらいですし。A・Kさんとかまぁそれでもいいんですけれど。
 シニアマネージャーもまぁ江俣さんと。仮名ですが。
 その江俣さんの電話から始まった奇妙な...それでいて私には案外身近だった風習のお話になります。

「みやび君は相吉沢君と仲良くなかったか」
 そう言われたんですが、内心では「それはない」と断言出来るというか相吉沢さんは非常にこう...厳しく嫌みな方(組んで仕事していた当時のイメージですが)だったので私を含めてプロジェクトのメンバー全員から嫌われていたんじゃないかなーと。
 なのでいえそれほどではと答えたところ先日病気で亡くなったと。
 えー...そんな...まだ若いじゃん...と思ったのですが、まぁそれはそれでお悔やみを申し上げますと。
 香典くらい包めという電話かな...通夜だ葬式だでさすがに財布が厳しいし誰に借りようかな...なんて頭では思ってたんですよね。
 そしたらそういう話ではなく。
「悪いんだけど葬式手伝ってくれないか」
 という話で。えー...そーいうのは業者とか親族がやるんじゃないの?と。素直にそう返したんですが、江俣さんが少し困ったような感じに。
「結構田舎の方の出身らしくてな。村でやるんだそうだが...こう...いろいろ風習とかあるみたいで」
 どうも言いづらそうだけどまさか棺桶担げとか墓掘りじゃないですよねっておどけて言ったら「よくわかったな」と。
「まじっすか」
 そう言ったのを覚えています。いやいや平成もいい加減経ってる年代ですよと。
 聞けば田舎の方で老人しかいない。
 相吉沢さんの家族もかなり歳食った母親しかいない。
 村は限界集落までいかないがかなり老人ばっかりというか老人しかいない。
 最初は葬式もなんにもしないつもりだった。
 など聞いていて「はぁ...」としか。なんでそんな話を俺にと。
 とはいえどんだけ嫌っていたとしても死んでしまえば仏様。恨みもなんもさすがに人生最後がそれじゃちょっと可哀想だろと言われたらまぁ確かにと。
 で。
「わかりました。まぁ出来ることなら手伝いますが...」
 葬式3連発になっちゃうけどまぁ江俣さんの顔を立てないとなぁとその時は思ったのを覚えています。
 なんぼ上司だったとはいえそこまで手を出すってことはなんか事情でもあんのかなと。
 ただ深く聞くのもはばかられたのでまぁいいかぁと。江俣さんとはまた別のプロジェクトで組むかもしれないしなぁと。
 業界案外狭いですからね。外注仕事でまた同じメンバーがってのはよくある話ですから。
 そうしたら江俣さんからさらに追加オーダーで。
 あの当時組んでたやつらにも声かけてくれないかと。
 いやまぁ確かに電話番号変わってなきゃ知ってますし何人かは今でつなぎとってますけど嫌ですよそんなんと。
 でもまぁ江俣さんから頼むよと言われればやはり断りづらく。なんでそこまで...と思いながらもなんか事情あんだろうなぁと。
 まぁ人がいいとか言われるかもしれないけど電話ならかけ放題プランだしいいかなーとその時は引き受けて。
 あちこち連絡取ったんですよね。でみんな最初は嫌だって言うんだけど、ともかく江俣さんから頼まれてさーと。
 日当とはいわないが礼も出すし香典も全員分江俣さんが持つとまで言われてまして。
 本当になんでそこまでと。もしかして江俣さんの隠し子かなんかですかとまで邪推したけど年齢合わないし。
 ともかくそんな事情を説明してですね。なんとか私以外に4人確保して。
 なるべく若手でと言われても集まってみれば40代ばっかりで。大丈夫なんかこれとは思ったんですがまぁしかたない。

 で。冒頭の親戚のおじさんの葬式に話しがもどるんですが、そこで式の後に食事してる時にぼやいた訳です。
 江俣さんから聞いた風習の話と葬式が3連発で財布も心も辛いんですよーってね。
 その風習ってのが、どうも葬式の時は村の外の人達に来てもらって寺とか墓とかの運搬をしてもらうもんなんだと。
 そんな風習があるみたいなんだよねって言ったら母もその姉達もすっと真顔になって。
「みやび、それは六道だから。ちゃんとお勤めしてきなさい。ちゃんとやらないとだめですよ」
 と。まぁ実際には方言はいってて「おめさ、それはりくどうだ。ちゃんっとやんねーとだめだべ」みたいな感じですが。
「え、りくどうってなによ」
 ってこっちも素で聞いちゃいましたね。
 そしたら正式には「ろくしゃく」で「六道と書いてろくしゃくだけでうちらはりくどうと呼んでる」そうで。
 茨城には昔からあった風習だと。
 場所によっては「ろくど」とか「ろくしゃ」とかまぁいろいろ呼び名があるそうで。
 墓穴ほったり棺桶を担ぐ役割の人で、村によって違いはあるがうちの方では他の村からわざわざ来てもらっていたと。
 で大切なお役目だからといい食べ物を出してもてなし、酒を出し、風呂を出してしっかりと真心こめてねぎらう。
 それから帰っていただくもんだと。
「なんじゃそりゃ」
 とも思ったのですが、母も知ってるしその姉妹もみんな知ってる。葬式に来てた遠い親戚も「ああまだあんだな。懐かしいな」とか言ってる。
 えー...と思ってスマホで検索したら確かに茨城の中央平野の方には名残として今でも近いものがあったりするようで。
「みやびよそれどこだ」
 と言われたので群馬と聞いてると言ったら...
「そうか...茨城の狭い場所の風習だと思っていたが群馬にもあったか。こっちの出身のやつがいんのかもな...」
 となぜかみんな感慨深い。
「北茨城とか栃木に行くとまた風習が違うからな。昔は苦労したんだ。嫁んとこに合わせろとかいやいや本宅なんだからこっちのやり方でとか」
 などと昭和昔話(一部明治まで含む)を聞いてあまり役に立たないかもしれないが貴重な話が聞けて。
 ともかく親族が言うには「それは大切なお役目だからしっかりとやりなさい」と。
 むしろすごい圧力を感じましてね。おじさんの葬式の時より真顔の母なんかみちゃうとこれは大変なことになったなぁと。
 茨城の風習を向こうでやるんだから失礼があってはいけない。よし説明してやろうってことでね。
 親戚からいろいろとレクチャー受けて。まぁあくまでもうちの実家の方のやり方ですけれども。
 ある程度は知識も手順も準備してね。ああもうなんかいろいろ大変なことになっちゃったなぁと。
 でもまぁ親戚中からしっかりやりなさいと言われれば否も応もなく。頑張ってきますとしか。
 葬式頑張るってなんだよとは思ったんですけどね。

 翌週のことですが...まぁみんな早朝から集まってね。江俣さんが用意したワンボックスでむかったわけです。
 なんか親戚の事前情報と江俣さんが汚れてもいい服装と礼服両方もってこいっていうんでね。
 私は運送屋時代の作業服(AS400とかのシステムメンテと合わせて現場作業もしてたので持ってた)を着て行った訳です。
 その時の一連のtweetが残っています。


 


 とまぁこんな感じのことをつぶやいてました。
 現地に行ったらとんでもない山間でうわーとは思ったんですが、行ったら確かに年寄りしかいなくて。
 あと予算の都合もあって派手な葬式はやんないと。一応菩提寺にあたる寺で読経だけしてもらって。簡易な葬式みたいな感じになって。
 でまぁ。久しぶりに相吉沢さん(のご遺体)とご対面。
 なんだろう。当時はすげぇ嫌な人だったんだけど死んだらこうも安らかでこっちも穏やかになっちゃうんだなぁと。
 不謹慎かもですが呼んだ全員が根本的には「行きたくない」と言ってたやつらな訳で。
 それでもね。やっぱりお墓にはいるところぐらいはねぇと。雰囲気的にもね。みんなしてしんみりしちゃって。
 でまぁ手配していたのは火葬だけってことなんでともかく火葬場まで付き合って。
 村とか市とかで契約してる公営なんですかね。よくわかんないんですがそこで通常とは違う感じで処理されて。
 おじさんの式の時はちゃんっとした式典になってて参列者がいて。
 でも相吉沢さんの場合はなんだろう。ものすごくささっとした感じで。あれ?いいの?え。もう燃やしちゃうの?みたいな。
 おじさんの時はお骨が並べられて...それを破砕してツボにいれたりとか一連の流れを業者がしてくれてたんですが...
 この時はなんもなかったですね。それすらない。
 ただまぁおばあさん...おかあさんですかね。その人が骨壺持ったのを確認して先輩の車でまた戻って。
 これもまた結構時間がかかったんですよね。片道1時間近かった体感ですがどうだろう。もっと早かったのかもしれない。
 ともかく村に戻ってお寺にご報告をして。
 寺の側に墓地...というには小さい墓があったりしたんですけどね。
 ちょっと離れた...田んぼの横っぽいところにどうも先祖代々の墓があるってことで。
 頑張って掘りましたよ。なんか雰囲気的にスーツから作業着に戻せなくなってしまって(火葬場に行く時にスーツに着替えていた)。そのままみんなで。
 墓石の下ではなく脇を掘ったんですが、たぶんあれそばに骨壺とか一杯あるんだろうなぁって。
 まぁともかくは骨壺を納めてね。
 場所によってはいったん自宅で骨壺を仏壇に...とかあるのかもですが、その時はもうすぐに埋めるって話しで。

 でまぁその一連の流れ...どこにいたのかってぐらいの老人達が見守っているんですよ。
 みんな高齢で...何人ぐらいいたかなぁ...去年の話しなのに割とうろ覚えで申し訳ないんですが、まぁなんかこう...映画みたいでしたね。
 そのうち金田一耕助とか来るんじゃねーのかこれとか。不謹慎ですがそんなことを考えていました。
 ともかく聞いてたのとは手順も何もかも違っていたけれど、まぁ六道には違いないなこれはと。
 さすがに飯も風呂もなかったですが、いやまぁ山菜の天ぷらはいただきましたが。
 朝早くから出てきてここまでで結構な時間がかかってて。
 まぁおばあさんのお礼が嬉しかったのでまぁいいかなぁと。ともかく役目は終わったなって。
 その時はほっとしましたね。
 実家の方では古くからある伝統だったらしいですが、それを他県でも似たような感じでと。
 なんか縁があったのかなって。
 まぁローカルな話なんですけどね。
 オチらしいオチはないんですが、帰りの車で江俣さんが言うには村は違うが同郷なんだと。
 そう言ってくれたのでみんなして「早く言ってくださいよ」と言ったのは覚えています。
 日本中あちこちで村が小さくなってどんどんなくなってる中で、なんとか風習通りに終わらせられたのはみんなのおかげだ。ありがとうってね。
 まぁもうね。それだけでいいやって。
 あと病死って聞いてたけど仕事は熱心な人だったから...やっぱり過労死だったんじゃないかなって。
 自殺かもしんないけどそこはね。うん。昨今の話としてはありふれた...よくある話っちゃ話でね。
 ともかくも自分が死んだ時も葬式はいらないから墓にはどっかしまってもらうかなぁとかいろいろ考えて...
 みんなしてわいわいがやがやとね。湿っぽくならないようにして東京へと戻ることにしたました。
 なんてことない話なのかもしれないんですが、個人的にふと思い出してしまったので...記事にするのもいいかなぁと。
 自分の備忘録として。あと...
 仲はよくなかったかもだけど仕事として激論を戦わせた戦友だった相吉沢さんのことを思い出して。
 夏の暑い日でしたからねあの人と仕事してたの。
 だからかな...ふと思い出してまとめてみました。
 大したことのない話しでお目汚しですがまぁそんな話もあったということで...
 自分の身近に残っている風習とか...昔からの教えにも歴史というかいろいろと受け継がれてきたものがあって。
 茨城の六道は土葬の時の名残だよと親戚には教えられましたが、日本各地にまだまだこうした風習はあるんだろうなぁと。
 もし生まれがそうしたところであったなら。
 出来ればその風習に従って送ってあげるのがいいんだろうなぁと。
 今ではそんな風に考えています。なんでも効率的がいいってもんでもないですしね...
 人生1回しかないですからね。死ぬなんて。なら最後ぐらいは...なんて。
 自分が死んだ後のことは気にしても仕方ないというか自分ではどうにもならんので。
 せめて友人・知人の時には。何かお手伝いが出来ればいいなと。
 去年から強く思うようになっています。

PS
 この話はこれで終わりなんですが、さすがにロクに飯喰ってなくて帰る前に飯喰って帰ろうよって話になりまして。
 パスタ喰ったんですが。
 その時のtweetが残っていて(笑)

 などと。実際大盛り頼んだらですね。普通に4人前はあるんじゃないかこれってのがどどーんとですね。
 あれから誓ってます。群馬行ったらパスタの大盛りだけは絶対にもう頼まないぞと。
 いやほんと。なんであんなに多いんですかね(^^;
 あれはインパクト絶大でした。まぁたわいもない話なんですが。