忘れ得ぬあの人の言葉...人生の指針とする言葉たち

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 人生の指針とする言葉。
 それは発した本人には大したのことのない言葉であったとしても、受け取った側が己の心に刻んで大切にし続け...指針としていることがある。
 それは恰好つけただけの言葉かもしれない。

 当人には大したことのない言葉だったかもしれない。
 それはただの言葉のはずで。
 けれど。
 たかが一言が。
 されど一言が。
 人間の人生を大きく変えてしまうことがある。

 今回は以前書いた「けしからん」を読んだ方から...爺さんの他の言葉も読んでみたいとメールをいただきましたので、私の中で息づくあの人の言葉をいくつか書いてみました。
 言われた時の状況もざっくりと添えてあります。どんな状況で放たれた言葉だったかそれでわかるかと。言った側は何気ない感じで言ってたんですが、言われた私側がその言葉に強く感銘を受けたという。そんな話。


師と仰ぎたかったあの人の言葉より...

1言目...
「人の行く道が真中にあるならば、裏道もある。

わき道もある。
花はどこにも咲いている。
キミ、人の裏をいけよ。そこは誰も知らない花が溢れてるもんだぜ」

 社会に出てすぐに就職した会社でプログラマーとして働いていた時...まだその会社でそんなにも働いていないというのにもう引き抜きがかかり。そして夢だった業界に関われる仕事がそこで出来るとなった時。私は大きく悩みに悩みました。

 その時爺さんに相談したら返ってきたのは上の言葉です。

 相場師が使う有名な言葉に「人の行く裏に道あり花の山」というのがあります。
 爺さんなりの人生観と解釈で近しい言葉を私に教えてくれたのでしょう。
 違うのは結果として「他人と違う道をたどって花の山にたどり着く」のではなく、裏の道を行こうと脇道を行こうと花はどこにでも咲いている。それを見逃さず掴み取ればいい。花を手に入れるのはゴールじゃないし、人の行く道はひとつじゃないよ...という意味がこもっているところでしょうか。
 私はこの言葉を胸に母親の反対を押し切って会社を退職。同年代の友人たちと会社を立ち上げました。確か24歳の頃だったかと思います。その選択はある意味で大きな失敗だったわけですが...後悔だけはしないで済みました。
 自ら選んだ選択の結果であるならば、どんな結果であったとしても納得して前に進めるものなのです。たとえ莫大な借金を背負うことになったとしても。そして破産すら許されない状況に追い込まれたとしても...
 その時の苦労があってこそ今の私がいるので...失敗だったかな?と当時は思ったものでしたが...今思えばそれすらも肥やしでしかなかったのかな、と。
 そう。
 その苦労ですら爺さんのいう「花」のひとつでしかなかったのかな...とも今は思っています。何であれ誰も知らない花を見て手に入れて...他人とは違う人生を歩んで来たのは確かでしょうから。


2言目...
「苦楽も何も平和な時にしかわからないよキミ。
本当に辛い時にはそんなことを考えもしないし出来ないんだ。
オレの時代の男はみんな知ってるよ。
飯食って眠れる幸せを。
君、よく噛みしめるんだな。
苦しいとか辛いとか考えられる今を大切にな」

 最初の言葉に連なる言葉です。
 人生の選択に失敗し2年をかけてその負債を返済。結果として身も心もボロボロになった私でしたが...捨てる神がいれば拾う神を無理矢理見つけ出して無理矢理拾わせるのが信条です(あるいは自力で立ち上がって捨てた神をぶん殴りに行く。拾ってもらえないなら自力でやってやろうというのも信条)。
 母の支援もあって当時の私はなんとか再起に成功しました。
 人並みの生活に戻れてほっと一息。
 いやー、苦労したけどなんとかなったよ...と報告しに行った時の一言。

 言われて思いました。
 苦労した...と思ったのは終わった後。
 最中は「苦しい」「辛い」でしかなかったし...それもピーク時には感じもしなかったように思えて。
 ただなんとかしよう。なんとかするんだ。それしか考えていなかった。だから乗り切れた。

 爺さんの何気ない一言に慄然としました。

 ただ飯を食らう。
 ただ眠る。

 それすらも出来ずにただひたすらに目の前の困難に向かうしかなかった時を考えれば、飯を食うのも眠るのも快感に感じられた。
 楽しいとか苦しいとかは平穏な時だけの感情なのかもしれない。今の自分を...そう感じられる時間を大切にしようと心に決めたのは紫煙に彩られたこんな言葉からでした。


3言目...
「おいキミ、そう簡単に喧嘩するなよ。喧嘩するってことはそれこそ「命のやりとり」をする覚悟がいるんだ。その覚悟がないなら、へらへら笑ってでも涙を流してでも喧嘩はするな。
 覚悟を決めるってことは人生賭けるってことだ。
 家族を巻き込んでも「やる」ってことだ。
 その覚悟、生半可じゃできねぇだろ?
 だから喧嘩はするなよ。
 もしどうしてもしたいなら親不孝を覚悟して、家族も何もかも捨てる覚悟を決めろ。そうしたらまず負けはねぇよ。
 俺は戦争行くときそうしたよ。そうしたら生きて帰ってこれた。あれもまぁ、喧嘩っちゃ喧嘩だったからな...相手が憎いわけでも嫌いなわけでもなかったが...喧嘩にはちげぇねぇやな。
 お国同士が存亡かけて喧嘩してたんだな。だから覚悟を決めてみんな突っ込んだ。たぶん世界で一番やっちゃいけねぇ...でもよくある喧嘩のひとつだな。
なぁキミ、こんな爺の話を聞いたら...そう簡単に喧嘩したくなくなったろ?
人間平和が一番よ」

 長い言葉に見えますが、本来は長い長い会話の中で爺さんが発した言葉だけをまとめたものです。長い時間は私が話し続けて質問し続けていました。
 何時間も話した中で爺さんが発したのは上の言葉をとつとつと何回かに分けて話しただけ。それらを読みやすく要約したのが上のものになります。

 当時の私は再び会社員となり仕事をしていたんですが、役員の縁故で入ってきた上司があまりにも理不尽かつ暴力的であり...我慢に我慢を重ねていたのですがどうしても我慢できない事件があり...ついに相手をぶん殴った後床に投げつけた(大腰が綺麗に決まってしまった)事件が勃発。あわや警察沙汰になるところでした。

 幸い自己都合退職とすることで不問とされましたが人生を棒に振りかねない事件でした。その話をどこからか聞いたのか(一緒にボランティアで行っていた当時の友人経由だと後でわかりましたが)爺さんがぼそっと「喧嘩はだめだぞ」と言ったのです。

 それに食ってかかった私にぽつりぽつりと語ったのが上記の言葉の一群。
 実際そこまでの覚悟があって喧嘩したのかというとそんなことはなく。
 そこにはあったのは義憤という名の自己満足と英雄願望。
 そして今までに積もり積もった怒りだけ。
 最後に...そうしたものに気づかされてしまい私はさめざめと泣いたものです。
 自らの狭量さに気付かされ...恥ずかしいやら情けないやら。
 以後むっとしたり怒りが心に満ちた時は深呼吸をして一旦場を外すようになりました。

「頭を冷やしてくるわ」
 そう言って10分ほどぶらっと歩くと案外怒りは遠ざかります。相手も少しは冷静になります。

 相手との会話のやりとりによりマッシュアップやヒートアップのような効果を得て怒りは増して行くものです。

 いったん場を外すことでそのボルテージを下げることが出来ますから。
 今思えば爺さんの話し方や間の取り方は自然とそうなっていた。私は自然と出来るほど人間出来ていないので、むかっ...ときたら少し息を吐いて爺さんの言葉を思い出して...場を外すことにしています。

 とはいえなかなか達観出来るものでもなく。
 今でもこの言葉自体に胸を締め付けられることがあります。
 怒りは人を容易に普段と違うモノに変えてしまう。

 やらかしてしまう。

 そして後悔する時...この時の会話を思い出すのです。

 それと喧嘩のやり方について社会に出てから知り合った...とある先輩に教わりまして。
 爺さんの言葉と1セットにしてみたら...まったくもって喧嘩する気にはならなくなりました。

 付随でその先輩の教えてくれた「喧嘩の作法」などを。
「なぁみやびよ。
殴りっこしたって何したっていいが、喧嘩ってのはそんなもんじゃあ収まらねぇよ。
やったりやり返す。やられたらやり返す。
続いて続いて最後にぁ泥沼よ。
営業について教えてやったが、営業って商売もな。やったりやられたりだ。
ある意味喧嘩だが、じゃれあいみたいなものよ。最後までやろうってやつはまぁいねぇ。
引くべきところで引く。
そして次の商売に移る。
けどよ...喧嘩ってのはそうじゃねぇ。最後までやるってことだ。
喧嘩の作法ってのはな。
相手が這いつくばって許しを請うてくるまでやるんだよ。
地面にあごを付けて涙を流しながら勘弁してください許してくださいってところまでやるんだ。それを踏んづけて決して許さない。相手がこの地上から消えて無くなるまでやる。
それが喧嘩だよ。
その覚悟がないなら喧嘩なんかするなよ。
相手の存在を壊して殺してこの世から消し去る。
そこまでやるから喧嘩だ。
そうでなきゃ子供のお遊戯みてぇなもんだ」

 爺さんの話とどこか共通しています。
 覚悟がないなら喧嘩をするなよ。お前にはその覚悟を決められないだろ?だから喧嘩するなよ...最終的にはそういうことなんだろうなって思っています。
 まぁそうは言っても。小さな喧嘩はしてしまうもので。
 口論で済むうちは二人にお目こぼししてもらえないもんかなぁ...などと情けないことを考えつつ生きていますが。


4言目...
「片親がつれぇ?
馬鹿にされる?
あほなことを言っちゃいかんよ。そいつはキミの武器だ。
他人ができねぇ経験積んでんだ。
むしろ育てた片親に感謝して他人と違うキミだけの人生を歩みなよ」
「安穏として両親揃ったやつが掴めるもんをキミは簡単に掴めないかもしれない。
そいつらが簡単に手に入れるもんをキミはものすごく苦労しないと手に入れられないかもしれない。
けれどそうしたやつらの手が届かないもんをキミはきっと簡単に手に入れるだろうよ」
「誰しも同じ人生は歩めねぇやな。
いろんなことがよ...キミだけの人生を彩る...色紙みてぇなものさ。
その経験を得難いもんだってありがたく思って生きな」

 父親がいないということは子供の頃にいじめられた理由のひとつでもあるんですが、社会に出ると上司が何気なく聞いてくるわけです。両親は元気かね?と。
 片親と知れただけで評価が急に不安定になったり、失敗すると親が一人足りないからじゃないか? などと言われた時期がありました。
 両親が揃っていてきちんと育てられて嫁さんもらって一人前。そういう価値観の団塊の世代とは常に衝突し続けて生きてきたような気がします。
 爺さんにそうしたことを言ったら出てきたのが上記の言葉。

 まさか武器と言う人がいるとは思わず...ちょっと絶句した覚えがあります。
 今ではあけっぴろげにいいつつ強烈な若いころの母の思い出話とセットで語るようにしています。そうすると「ああ...だからお前そんな性格なんだな...」などとしみじみ言われ「どーいう意味だ」などとやりとりする訳ですが。

 少なくとももうコンプレックスにはなっていませんし...そのことでなんやかんや言われたところで「それがどうした」とはねのける自信を持つにいたりました。
 むしろシングルマザーの女性に「なぁに父親なんざいなくても子供は立派に育つさ。私が保証しますよ。苦労はしますが子供はきっとわかってくれます」と言えたりもするようになりましたし。
 そう思えるようになったきっかけは、幼少期の母の言葉。決定打は爺さんの言葉ですかね。
 まぁ今でも独身の中年ってことで、社会的には失格者の烙印押されてますが、どこ吹く風とばかりに胸張って生きてます。こればっかりは縁ですんでどうなるか先のことはわからんなぁとは言ってますが。負け惜しみにならなきゃいいなぁ。


5言目...
「自分をしっかりもたねぇやつは、やいのやいの言うだけで、自分の言葉をもたねぇものよ。
みんなが言ってるとか常識がそうなんだとか言うやつには唾吐いて言ってやりなよ。
そいつはあんたが思ってるだけじゃねぇのか? ってな。
キミ、他人が言ってるとか...たくさんの人が言ってるからって自分の判断を曲げちゃいけねぇぜ。
いつだって決めるのは自分。苦しむのも自分。そして最後に笑うのも自分なのよ」

 同じ老人ホームのご婦人がとある新聞記事を見て発した「みんなそう言ってるけど...」という言葉を受けての一言。やんちゃ坊主のようににっこり笑いながらベッドでそういう爺さんがとても印象に残っています。
 今の私は...残念ながら爺さんが期待したほどには「自分」を確立出来ていないかもしれませんが。それでもまぁ。大事な判断を人任せにはしていなかったりします。
 みんな言ってるぜ...というのはたぶん...存在もしない「みんな」というよくわからない力を背景に自分の言葉を通したい。そんな行為の代償。じゃあそのみんなってやつはどこにいる?と言われると言葉にしてる人は大概答えられない。
 常識ではこうだ。みんなそうしている...という言葉は実際には言ってる本人だけの常識なんじゃないか。そう思うことが多々あります。そうした時に私は爺さんの言葉を思い出して自戒しています。

6言目...
「自分の意見を貫くってのはそりゃあ恰好いいよ。
でもよ、それじゃあ話はまとまらねぇのよ。
相手にまとめる気があるかどうか判断するのにはこいつが一番だ。
つらつら並べた会話の後に『それでもオレはこう思う』とか『こう考える』とか自説をかたくなに入れるやつは、まとめる気がねぇのよ。
もし自分が決めなきゃいけねぇ立場ならそういうやつは外しな。
キミが決断してまとめようとするものを邪魔するのはそういうやつらよ。
逆にいえばよ。キミも同じようにしなきゃいけねぇ。
まとめなきゃいけねぇ話をしてる時は自説は抑えて相手の話を聞きな。
嫌でも丸飲みしなきゃいけねぇこともあるがよ。
まとめるってのはそうすることも必要なことがあるのよ。
いずれわかるぜ」

 会議でどうもうまく意見が通らない...いつも負けてばかりなんだよと相談した時の言葉。
 これにはもうひとつ言葉がつながります。

「世の中はよ。
声が大きくて...体がでけぇやつの方が「通せる」のよ。ずうずうしいやつが勝つってわけだ。
やり方が2つあるんだなぁ。
ひとつはでけぇ声で押し通すやり方よ。
幸いキミは体もでかいし声もでかい。やりやすいだろう。
だがなぁ性格が優しすぎるからなぁ。
そしたらもうひとつよ。
にこにこ笑って裏から手を回して仲間を作っておくのよ。
いざ話が始まった時には、キミの意見はもう仲間がみんな知ってて支持してる。
そうしておけば意見をちょいと出すだけで勝てるぜ」


 どうしても意見を通したい時はそうしなよ...なんて嬉しそうに爺さんが言ってたわけですが...なんかこう。実感こもってたんで印象に残っています。
 このやり方を使い分けて今まで生きてきたんだろうなこの人は...となんか納得してしまった記憶が。でもこれって当たり前のことなんだけど意識してやることは少ないかも。意識してやるなら使える方法だと思います。
 もっとも会議だけじゃなくて営業として仕事してる時に一番活用したような気がしますけれど。
 徒党を組むか力で押すか。最後にはそんな方法でしか意見は通らない...という皮肉も含まれてた気がしないでもないんですけどね。今思うと。




 今回はここまで。
 爺さんの話し方からすると興が乗らないとぽつぽつとしたしゃべり方なんですが、たまにずらっと言葉をならべることもあり。
 会話のキャッチボールの中で言葉が紡がれて...最後に一本ぴんっと通ることもあり。そのまますっと終わってしまって余韻だけを引いてしまうこともあり。様々でした。
 ともかくこちらの話を聞いて...聞いて...聞き出して。
 その上に自分の言葉を乗せる。そういうことをする人でした。
 私の生き方の中に溶け込んで...今でも生き続けるあの人の言葉。
 たまに強烈に胸を打って...泣きそうになることもありますが。
 爺さんが残した言葉の数々は、きっと笑って生きていくためのものなので。
 笑って生きて生けるように受け取った言葉を大切にしたいと思っています。

 最後に爺さんの「老い」に対する考えを書いて締めとしたいと思います。
 死に別れる少し前に聞いた...長い長い言葉です。
 長いのが嫌な人は余談として読み飛ばしていただければと思います。


「老いるのは熟成することってキミは言うけどよ。違うんだよ。
年齢は重ねるんじゃないよ。剥けていくのさ。
年を取るごとにひとつづつはがれていくんだ。
...なくって消えたらそれが寿命さ。
偉ぶったってなんだって老いるってのはそういうことさ。いずれなくなって消える。
だからキミ、偉そうにしてる爺や婆を見たらこう思いな。
あいつはもうすぐ消えるんだ。せめて付き合ってやるかってな。

人はよ。老いるとどうしたって他所様のことが気になるのよ。
自分がいつまでも若いつもりなもんだから、わけぇやつのやることにいちいち口を出しやがる。

みっともねぇよ。本当にみっともねぇ。

成功も失敗もくじけることも泣くことも...全部わけぇやつが自分で味わって手に入れるもんだ。
年寄がなんぞ言うものじゃあねぇさ。
だからオレはキミにあれこれは言わんのよ。
聞かれりゃ...そこで初めて待ってましたと口を差し挟むのさ。

日本人なら老いの準備をするもんだ。
子供に面倒見てもらおうってんなら、子供に好かれるようにするだろうよ。
頼らねぇってんなら金をせっせと貯めればええさ。

オレだって迷惑かけたくねぇから必死になってここまでやったのよ。

子供やわけぇやつらの人生にはかかわらねぇ。助けてもらうのはいいし助けるのもいいが割り込んじゃあだめさ。
せっかく年食ったんだから「遠慮」ってもんを学ばねぇとな。
若いやつらに場を譲って潔く去る。

それを「隠居」っていうんだよ。
昔の人はみんなそうしたのさ。若いやつらに活躍の場を作るためにな。

けどよ。最近はだめよ。
わけぇやつがやんなきゃいけない仕事。場面。局面。
それをいつまでもいつまでも年寄りが前に出たがる。
政治家なんざ最たるものよ。

老いてまだまだいけると思うなら違うことをやりなって話さ。
老いるのに「失敗」したやつらが世の中ごまんと溢れてやがる。

キミがどんな風に剥けて消えて行くのか見ることは出来ねぇが。
みっともねぇもんにならず綺麗に消えられりゃいいな。

どうせ誰しも死ぬ。
2人から生まれて1人で死ぬ。
死ぬ時は1人よ。

どうせ死ぬならやるだけやって...未練なく綺麗に幕を引きてぇやな。

オレはそうするつもりだ。
キミがどうするかどうなるか。
あの世で見ててやるよ。

覚えておきなよ。
キミの母親や爺さん婆さんと一緒にこの爺いもいつだって見てるってことをよ。
お天道様に恥ずかしくないよう道を歩んでよ。
綺麗に剥けた年寄りになれるといいな。
若いうちはわからないかもしれねぇが。
いつかきっと爺いのことを思い出したなら。
年を食うってことの意味を少しばかり考えてみてくれよ」