MSXというとホビーパソコンの代表格にして黎明期から存在し続けた特異な存在です。始祖と言ってもいいかも。
始祖というと「もっと前からホビーパソコンはあったじゃないか」と言われそうですが、個人的には「ホビーパソコンというカテゴリーを生み出した一角でありながら、その路線をきっちりと引き継ぎ続け...最初から最後までぶれなくその位置を維持し続けた」という点では追随を許さないのは確か。そしてタイトルにもあるように「互換機で構成された群」とでもいうべき存在でもあり。
とても特異な存在。
かつてあらゆるメーカーが「ひとつの規格」にそってパソコンを作ろうとした...今でこそWindowsという存在がありますが、時代はBASIC黎明期。日本にはまだ標準となるPCは存在せず群雄割拠するパソコン戦国時代だった。
そんな時代に「この規格で行こう」と各メーカーを引き寄せた幻想のような存在。
それが「MSX」という名の規格。
幾度ものバージョンアップを経て時代の闇に消えて行ったその名前は未だ強烈な魅力を持ってユーザーを引きつけ続けています。そう。今もなおユーザーはその幻想の中に生きているのです。
今回は黎明期の他のホビーパソコンと似たハード構成でありながらも、他の機種とはまったく違う歴史をたどったMSXについての記事となります。
MSXとは何だったのか。
いろいろな意見があります。
機種であり。
規格であり。
派閥であり。
...時代の中のひとつの潮流であったのではないかと言う声もあります。
私は...タイトルにも書いた通り「群狼たちが作った『かたちある』幻想」ではなかったかと思っています。
その誕生はホビーパソコン黎明期。1983年のこと。
8bitホビーパソコンとしては実は後発のグループ。PC6001辺りは1981年の登場ですからホビーパソコンの潮流が生まれて本格的になってきた頃に出てきた遅咲きの花でした。
同時期に出たSEGAのSC-3000もそうですが、前年の1982年の大ヒット機種SORD m5とハード的にはほぼ同等の存在でした。それだけM5がよかったとも言えますし、当時廉価にこうした製品を作ろうとするとどうしても似たハード構成になってしまったとも言えるのではないでしょうか。
Z80をメインCPUとしてVDPによる画面回りの実装。
基本的な部分がどうしても似てしまう。
MSXやSC-3000がM5よりも明らかによかったのはサウンド部分だったでしょうか。他に関しては...正直「似て否なる兄弟たち」と言った印象が強いです。
これらの機種の共通項はもうひとつ。
パソコンといいつつもROMカセットによるソフトの供給(BASICなども含めて)というどちらかといえばゲーム機よりの存在なのは間違いないところです。
M5は日本のサムライ達の祈りが込められていた。
SC-3000はゲーム屋の思いが込められていた。
ではMSXに込められていたのはなんだったのでしょうか。
MSXはマイクロソフトと日本のアスキーとの間で生まれた日米のハーフのような子でした。
その誕生の背景は結構複雑なもの。
当時のPCの御三家といえば...NECとSHARPと富士通。8bit市場はこの3強とその他メーカーの戦いの舞台となっていました。ところがどのパソコンにも搭載されているのはMS-BASIC。
しかもROMに搭載されており各機種ごとにカスタマイズされたものが主流。(その分電源をいれてすぐ使えるメリットは大きかったんですが)
互換性は基本的なところだけで、ハードに寄った部分ではどうしてもそのPC専用のプログラムを書かねばならない状況だったわけです。下手すれば基本的な文法も方言入ってしまったり。
同じマイクロソフトのBASICなのに互換がないというのですから今考えると結構面白い。(各社の注文に合わせてMSが話用意していたからでしょうけれど)
そんな中で一人の人物が登場します。
マイクロソフトの偉い人でもありアスキーの偉い人でもあった西和彦という方。
日本のPC黎明期に育ったおっさん世代からしたら「あの人の事は誰もが知っている」ぐらい時代を象徴する人物です。
この方のすごさは枚挙にいとまないのですが、不正確なことを書いてご本人に迷惑がかかってはいけないので私が思ってる言葉で表すと...「間違いなく日本のパソコン市場の父か兄の一人」と言っていい人物と思っています。
話を戻して。
大抵のメーカーとつながりがあった西さんを中心に「みんなで同じ規格のパソコンを作ったらどうだろう」という流れが出来ます。家電メーカーによくある考えのひとつですが、この時西さんがマイクロソフトの人間であったのが大きく作用したのか...具体的な形として生み出された「かたち」...それがMSXになります。
だから機種名ともいえるし規格名ともいえる。
この時実は御三家メーカーも賛同しているのが面白い。それだけの影響力があったのですMSXには。(おつきあい程度とか保険代わりという人もいますが、それだけインパクトのあることだった訳です)
結果的にはNECはMSX機種を発売せず。
SHARPは海外で発売。
富士通はFM-7の弟分として発売したもののすぐに撤退という...なんというかわかりやすい行動を起こすわけですが、これについては後でまた詳しく。
御三家抜きのメーカーの寄り合い所帯とか弱小連合などとも言われましたが、家電メーカーを中心に資本力もある訳で言うほど貧弱な体制ではなかったかと思います。
売りはMSXという規格に則ったパソコンであれば、どの機種でもMSX規格のゲームやソフトが動くということ。
今日ではWindowsがありますのでごくごく当たり前のことですが、(たとえばSONYのパソコンを買おうがNECのを買おうがWindowsのアプリは動きます)当時としては結構画期的な事でした。
「移植作業」をしなくていいというのは画期的だった。
最初に策定された規格から最後の最終規格まで全て「MSX」という名前なのでいろいろごっちゃになりがちですが、この一番最初のMSXを後のMSX2などからとって「MSX1」と呼称する人もいます。私は普通にMSXと言ったらこの初代の時代のことを指してると思えます。
(この記事中では全体を指すものとして使用しています)
この最初のMSX。先にも書いたようにM5やSC-3000と同等のハード構成でしたので、実際のところそう悪いものではなかったのです。性能は確かに見劣りしたかもしれませんが...
何より「安く作れる」というのは大きかった。
CPUとVDPは各社同じ(微妙に違うメーカーもありましたが)なので非常に安価に手に入りました。つまりMSXパソコンは「安く買える」ホビーパソコンとしての地位を早期に確立出来たのです。
カートリッジゲームにはナムコを始め結構有名どころが参入したため華やかに見えました。手軽に遊べる安いパソコン。そのイメージは最後までMSXにまとわりついていきます。
問題は安いけど性能はあまりよくないというところ。
M5から見ても1年遅れ。
しかも各社から大量にいろいろなMSXが発売されるわけで、ある意味では過当競争状態を仲間内で作ってしまっていたという。
この時はキャノンやカシオ...ヤマハなんてメーカーがMSXパソコンを出してる訳で、ある意味では夢のような時代だったかな...とも思います。得にキャノンのMSXは格好よかったですし。
その中でもパナソニックやビクター、三洋電機辺りは複数の機種を展開するなど積極的に参加していました。(後にゲーム機にもその未練を残す会社達。最後にちょっとまとめてみました)
多少性能が悪くても安くて遊べるパソコン。
ファミコンには負けてるけど結構楽しい。
最初のMSXはそんな風情をもっていました。
MSXを語るに外せないメーカーを2つ上げろと言われたら、私は以下の2社をあげます。
1.コナミ
2.コンパイル
当時のユーザーは「ああ」と思うか「えー」と思うかですが。ソフト数ならポニーキャニオンとか捨てがたいですし、それをいったらファミリーソフトはどうなんだよとかあるわけですが、まぁ記憶に残ったメーカーとということで。
MSX1の時代はナムコも相当強かったんですが...
MSXを象徴するメーカーとしてコナミを外すことは出来ません。ハードの限界を超える!というのはよくあるキャッチフレーズですが、ハードの限界をぶち破るためにハード追加しちゃいました!というのは...コナミがやってくれた荒技のひとつ。
初期にはナムコなども参入していたのですが、コナミは他のメーカーと違い「ファミコンがこようがMSXを支え続けた」のがすごい。もちろんファミコン等にも力を入れてはいたんですが、MSXといえど「本気で」ゲームを発売しし続けてくれました。
このハードを追加する...というのは「サウンドが貧弱ならゲームのカートリッジにサウンドチップ積んじゃえ」というある意味乱暴なもの。
SCC音源と呼ばれるこの音源は安価でありながら表現力豊かなものでもありました。
wikiによれば正式には「SOUND CREATIVE CHIP」の略称でSCCだったようです。
5音。たった5音という人もいますが、搭載されたこの5つの音と内蔵の3つのPSG。これが合わさった時...そこには「夢」が見えました。MSXの最も弱い部分を補って余りある武器。FM音源にはない「味」のある音源。
実際に聞いてみるとわかりますが、高めの音でまとめるとすっごいいい感じの耳に残る曲が作れまして。当時のコナミのゲームはこの音源と曲だけでも「買い」だったのは確かです。
当時雑誌(いわゆるベーマガやMSXマガジン)に掲載された記事を見て、スナッチャーの音源カートリッジを自分で制御して曲を鳴らす...なんてことが行われていた訳ですからユーザーにとってどれだけ魅力的だったか。
(MSX グラディウス2 イントロ)
決して強力でないないハードをソフトの力で引っ張り...なお足りなければ増強してしまう。
作り手の熱意もすごいものがありました。
シューティング系でもマニアックな世代の中には「ぐらでぃうすつーって言ったらやっぱMSXだろう」とか言われるわけですが、個人的には「つーじゃなくてにだ。ぐらでぃうす に」とか言ってたりします。まぁゲーセンにあったものを「つー」MSXのものを「に」とか呼んで分けてた人たちの末裔なので(笑)
MSXの黎明期を支えたメーカーとしてコナミはやはりすごいものがあります。
またBASIC以外にもMSX-DOS等が発売され本格的にパソコンとしての道も歩んでいきました。記憶によれぱ当時の開発言語はほぼ全て発売されていたんじゃないでしょうか。COBOLとかありましたし。
ただ...やはり非力。
この最初に発売されたMSXの非力さと、最初に作ったイメージ「安いパソコン」が合わさり...ホビーパソコン以上のものになっていく道が少しずつ薄れていったのは確かです。
これが大きく動いたのが1985年。
NECが傑作機PC-8801mk2SRを発表する運命の年。
各社この年にホビーパソコンの性能を大きく飛躍されたわけですが、MSXもまた大幅な強化が施されます。そうMSX2の登場です。
MSXの時代はまさにこのMSX2に始まり...そして終わって行ったのだと私は考えています。
ある意味では「MSX」というのはこの「MSX2」を指していいんじゃないか。そのぐらいMSX2の時代というのは黄金時代であったかと。
豊富なスクリーンモード(裏技的な利用で標準でないモードを作り出す人もいましたね)。
増量されたメインメモリ(最低でも64Kが必須。128Kの機種もあった)。
強化されたVDP(256色同時発色のモードを持ちスプライト等も強化された)。
得に256色は結構なインパクトがありました。御三家を揺さぶった機能のひとつだったかもしれません。
ファミコンや後のスーパーファミコンに比べても「静止画なら」そう見劣りしない表現が可能でした。
反面スクロールが苦手だったり(特に横スクロール)スプライトの重ね合わせ部分も含めてMSX1とそう大差ない部分もちらほら。サウンドもほぼ据え置きという状態で。(一応オプションでFM音源とかありましたが価格的にあんなもん誰が買うんだ状態で。むしろユーザー的には「コナミのSSCこそMSXの音源だ」と言いたいぐらいの人もいるかも)
ファミコンより表現力はあるけどゲーム機としてはちょっときつい。パソコンにしては解像度も低くて辛い。中途半端さが強調されることも多いのですが、それ以上に「いじって楽しい」ホビーパソコンに仕上がっていたのが私としては大きく評価したいところです。
そしてディスクマガジンという文化を育んだ環境という面でもMSX2はとても素晴らしいものであったかと。
最初からこれがMSXとして発売されていれば...
あるいは歴史は変わっていたかもしれません。
機種によりますがFDDの搭載と強化された機能は十分ホビーパソコンとして戦えるポテンシャルがありました。
解像度が低いとかいろいろあっても各種メーカーからたくさんの機種が発売されたため市場としてもそれほど小さなものではなくなっていたかと。
実際各種ゲームメーカーがデチューン状態ではあったものの88等のゲームを移植。
アダルトゲームもいくつか発売されていました。
とはいえ。
MSX1も併売されておりまして。安価に。
メーカーとしては「プレミアム」な感じを出したかったのでしょうけれど...
高級機になると20万円。もちろんフルセットなんですが...それにしたって高い。
ちょっと高い10万前後のラインのMSX2だとフロッピーついてなかったりして。
最初はなんというか家電メーカーが今でもやらかす「自分のところの都合とマーケティング」ですね。高く売りたいから余計な機能までつけて結局は売れないものになってしまうというか。
ただ、家電メーカーならではの思い切りの良さも発揮され。
翌年には一気に値下がりしたフルモデルを松下とソニーが発売。これで一気に情勢が変化しました。
(この時出た2機種とその後継機により実質MSX2以降は松下がMSXの「純正」みたいな形になってしまったのは皮肉に思えますが...それだけ功績が大きかったということで。実際にはソニーのHBもなかなかに売れましたし)
メーカーもゲームを出してくれて...雑誌を買って勉強すればプログラムの勉強も出来る。
安価なのに本格的に「パソコン」として活用出来るようになったのは大きかった。
そしてMSX2といえば先にあげたゲームメーカーのもうひとつ。
コンパイルの台頭がエポックのひとつ。
ぷよぷよばかりが有名なイメージがありますが、そもそもは魔導物語1-2-3(魔道ではない)というゲームが発祥。
でもその前に「ディスクステーション」というフロッピーで発売された「ディスクマガジン」という存在がありまして。
いろいろなゲームやらが入ってお得な福袋って感じのものでしたが、当時これがなかなかに人気が出ました。
(ファミリーソフトが発売していたのとか誰か覚えているだろうか...)
最終的には98版は出るは月刊化するはの上り調子だった訳ですが、その中に魔導物語がありました。それが独立して発売されたのが1-2-3な訳です。
(決してはっちゃけあやよさんのように3本の続編をまとめた訳ではない。しかも年代違うし)
この時点では主人公アルルに名前がなく単に「女の子」とされていたりとなかなか面白いのですが、それはまぁいつか違う記事で書くとして。
特筆すべきはFDD媒体のゲームであったこと。
MSXもディスクが基本になってきていた訳ですね。もってなければ後付け出来ましたし初期はともかく後期にはある程度安く買えた(搭載モデルが主流でしたし)のは大きかった。
プログラムの保存もディスクでないとやはりきつい。これもある意味で松下の出した廉価機種のおかげてあったかもしれません。私的にはこの松下やソニーの一連の機種はMSXを支えたものの規格を滅ぼす元となったと思えるんですが、当時のユーザーだった人に言ったら無言で蹴られました(^^; あくまで個人的な思いってことで。
実際この頃になると同人ソフトの片鱗もちらほら...
まさにMSX黄金期でした。
海外でもMSXは展開されたのですが、この2になると一気にその数を減らしてしまいます。
初代MSXはその安価さとある意味頑丈さが受けたのかアジアや南米で結構なシェアを広げました。が、それも続かず。MSX2になると途端にしぼんでしまったのが悲しいところ。やはり高かったですからね...最初...
このMSX2の黄金期は1986年(発売は1995年ですが黄金期としては1986からだと思います)から1988年まで続きました。1986年にもなると他機種達も順当なパワーアップを図っておりMSXも「そろそろ3がくるかな...」と期待されていたのですが...
実際に発売されたのは「MSX2+」。
グラフィックの機能強化と多種メーカーより発売されたためにいろいろとちぐはぐだった(たとえばフロッピー関係の仕様であるとか)部分を一気に標準化したものでブラッシュアップされた正当なMSX2と言っていいんじゃないでしょうか。
漢字ROMの標準搭載などが行われておりパソコンとしてはより深みを増したわけですが...
正直ユーザーからしたら「なんじゃそりゃ」程度のパワーアップであり、冷蔵庫のモデルが1年でモデルチェンジしたぐらいのインパクトしかありませんでした。まぁ今でもユーザーが求めるものはメーカーのものよりいつだって高めなんですが(スマートフォンなんか見ててもそうですね)。
このMSX2+。存在価値は高いんですが専用ソフトはほぼなかった記憶が。
MSX2用で漢字ROMが必要なものとかそういったものを遊ぶのにはとても適していたので「MSX2の完成版」みたいなイメージで終わってしまいました。参入メーカーも松下とソニーと三洋であり(後のプレイステーションと3DOを思い浮かべるとちょっとニヤっとします)一気にメーカーが減っています。
まぁ出すだけヤボと思われたのか...MSXの人気に陰りが見え始めます。
MSX2のゲームはまだまだ元気だったんですけどね(^^)
ゲームメーカーとしても普及したMSX2の基板が大事なわけで発売されるゲームもまだまだMSX2が主流でした。
この頃になると数万円でFDD付きの本体がさくっと買えるMSX2は入門機としての価値を決定づけていました。ホビーパソコンというカテゴリーを最後まで維持したのはこのMSX2だったかもしれません。
88にしろなんにしろ他の機種はいかんせん高過ぎました。メーカーからしたら適正だったのかもしれませんが、案外みんなの財布のひもは固かった(^^;
ホビーパソコンは10万円以下のものだよなぁ...と漠然と私が思っていたのはこの頃から。
この頃の他機種の動向をちょっと見てみましょう。
まずNEC。参入しそうでしなかったメーカー(正確には参入したけど発売せず)ですが、後の「ライバル会社に国民機と呼ばれた」98シリーズの基盤を確立しています。3.5インチモデルUVが出ていますし後のハイレゾモデルの原型XAシリーズなども展開。88はFR/MRからFH/MHへと以降していきます(最初からサウンドボード2のコネクタがあったりNECらしい殿様商売が目立った頃ですね)。
シャープはX1の熟成機などを展開。後半には運命のX68000を発売します。最も高級だったホビーパソコンな訳ですがこれについてはいずれ別の記事に。
富士通はFM77AV40などを発売し77シリーズの熟成を迎えていました。
この中に並べると...MSXはさすがにきつい。けれど値段では圧倒的に勝っていたわけで。
ホビーパソコンカテゴリが20万円台へと移行しようともMSXだけは5万円とか10万円以内とかその辺りに留まってくれていた。これは大きい。
後のパソコン少年達のすそのを支えたのはMSXだったのでは?と思えます。実際親が買い与えるにしろ価格的に「まぁこれなら」といえたのはやはりMSXだった訳ですし。
とはいえやはり物足りなさは残る。
MSXのバージョンアップは切望されつつもなかなかうまく行きません。
そうこうしているうちに1990年。
MSX2のハードは熟成の極みに。調べ尽くされしゃぶられ尽くされたそのハードは制作者からしたら余すところなく使いこなせる領域に。この当時のゲームはまさに「ハードの限界を超えた」ものばかり。
コナミのゲームも円熟...MSX2用SDスナッチャー(SD化されてはいるもののPCエンジン版発売までストーリーの真相に迫れたのはこの作品だけだった)やメタルギア2ソリッドスネークなどが発売されて。
他機種から見ても多少ハードがチープに見えても魅力的なゲームが発売されていました。
解析されまくったハードは後人の助けにもなり。この頃からユーザーになった人はBASICどころかアセンブラに関しても様々な資料とサンプルが存在する状態で。
購入から半年もすればフルアセンブラでゲームのひとつも作れるぐらいの子供がいたぐらいですからその入り込み安さはものすごいものがありました(この人は現在プログラマーではありませんが、3DS用ゲームのディレクターをやっておられます)。
ですがこの1990年がMSXにとって運命の年。
支えてくれたコナミのゲームも先に書いたメタルギア2でほぼ打ち止め。
他のメーカーのゲームも縮小。アダルトゲームの劣化移植ぐらいしか見当たらない状態へと移行して行きます。
パソコン入門機としては相変わらず優れていたんですが、見劣り感は当時もものすごく。
そんな中で渇望された後継機がついに発表されたんですが...
MSXturboR
そう呼ばれたMSX最終形。
16bit化されたCPU(R800。Z80が16bit化されたかのような面白いCPU。なんとアスキー設計と言われている)は十分に魅力的だったんですが...
予定されていたVDPは開発が間に合わず搭載されず。代わりに搭載されたVDPは足を引っ張る始末。(なんとなく初期のPS3に近い風情が...)
結局のところ「かなり早くなったZ80」と「今までよりはマシだけどイマイチ」なVDPを搭載した機種としてデビューしてしまうことに。
もう少しだけ待って強力なVDPを搭載出来ていたら。
R800をもう少し理解してちゃんとした実装をしていたら(互換性のためとはいえ余りにもったいない実装だった...)。
あるいはここからもう一度MSXの時代があったかもしれないんですが...
発売は松下1社のみ。これが全てを物語っています。
いろんな会社が同一の規格のパソコンを作る。
その理念はMSX2までは確かに生きていたのに。
最後にはなくなっていった。
MSXturboRについてもう少し触れてみると面白おかしい機種ではあるのです。ただちょっとだけ音質が悪かったりしましたが...
とはいえ最初の機種はそこそこ売れたのです。
気をよくしたのか松下は後継機種はまたしてもプレミアム感をつけようと高機能化。また値段上がるという...
wikiにもありましたが10万近いMSXturboRを買うよりEPSONの98互換機を12万で買った方がいいやって話になっちゃうのも頷けます。
後継機種FS-A1GTをもってMSXの正当な歴史に終止符が打たれることになります。
時に1991年。
デサイン的には結構好きだったんですが...FS-A1GT...
この当時のユーザーの思考としては「作る」より「買って遊ぶ」傾向が強く...アクションゲームなどはファミコンなどのゲーム専用機に目が行くのは仕方ないところ。
パソコンのゲームはいわゆる「アドベンチャーゲーム」が全盛であり特にアダルトゲームの台頭が著しい時代。
作って楽しむならX68000を高みに目指す方がよかった。入門機としてのMSXの役目はまだあったんですが...家電メーカーが見据える価格設定やバージョンアップの感覚はどうもパソコンとは相容れなかったのかも。
最初の構想は無茶と言われ。無謀と言われ。
そして生まれた機種は中途半端と言われた。
しかし...ソフトハウスが支えユーザーが支えたMSXという名の「塊」が時代を駆け抜けさせた。
他機種にはない魅力を見せ続け...他のユーザーを魅了し。
そして消えて行った。
群狼が闇に消えるがごとく。
時代の中にMSXは消えて行きました。わずかな年月を幻想のごとく彩って。
しかし今でもその血は生き続けています。
2012年現在。
今でもMSXのプログラムは組み続けられています。
初代MSXは1チップで再現出来るほどのものですが...愛好されていますし今でも触れる環境があります。
あるいはエミュレーターで。
あるいは限定販売された1チップMSXで。
今でも愛され。今でも使われ続けるMSX。
個人的には今から制御系のプログラムなど学ぼうとするならばMSXからスタートするとかなりいいんじゃないかと思ったりもします(Z80をしっかり学ぶなら資料も揃ってますし環境も整ってますしメモリ回りをいじったりするとこれがまた...)。
今でもMSXを駆る狼達が群をなしているのです。
かつてのホビーパソコンの時代...その後半においてホビーパソコンという存在を引っ張り続けたのはあるいはMSXだったのではないかと思っています。
正確にはMSX2こそが「最後のホビーパソコンの血」だったのではないだろうか。そうも思えます。
他の機種が高級化路線で高額化するなかでひたすらに安価で...子供達にも手軽に触れた「パソコン」だったMSX。
今の時代。数万円でWindows搭載のノートPCが買える時代。
しかし子供達がそうしたパソコンを与えられて「プログラムを組もう」なんて思うかというと...思わないでしょう。
買う時代からもらう時代へ。
ネット世代にとってはソフトは「ネットにあるもの」になりつつあり。自ら作るどころか対価を払う感覚も以前とは違ってきているかもしれない。
そんな中であえて「プログラムを学ぼう」と思う子供達にMSXという存在があればひとつの助けになるのではないか。そう思っています。
今更Z80かよという人に限ってZ80で出来ることを知らなかったりしますし。あのCPUはどれほど年月が経とうとも現役を続ける恐ろしい存在なんですけれど。今でも生活を支える様々な場面場面にZ80の姿がちらほら。
かつての幻想は今となっては確かに触れる入門環境のひとつとして根付き。制限ある環境ならではのテクニックが今でも生まれ続けている。
MSXの理念だったものはこぼれて時代の中に溶けていったかもしれない。
けれど、今だその火は消えていない。
最後のホビーパソコンは未だに「最後のまま」存在し続けている。ハードがなくなって幻想のような存在になりつつも。未だ残る炎は消えず。
8bit時代の終焉を飾ったMSX2。16bit時代に生まれた異端の後継機。それらを含めて。
あの時代に思いを馳せると忘れられないのがやはりMSXなんじゃないだろうか。
そう思えます。
おもちゃ売り場に最後まで踏みとどまった「パソコン」でもあったMSX。
それはホビーパソコンの終焉まで踏みとどまった勇姿だったかもしれません。
各種メーカーが発売した「MSX」という名の狼達が形作った幻想のような時代。
失われてしまったタイミング。
歴史が変わったかもしれないそのチャンスがまたMSXに訪れれば...
あの人が再び動いてくれる時がくるのではないか。そんな風に思っています。1チップMSXの時のように。
かつてホビーパソコンと呼ばれた様々な機種がありました。
ファミコンの登場で消えていったパソコンの歴史のひとつ。
ゲームを遊ぶだけではなく「作る」のが当たり前だった時代の名機達。
8bitを中心に発展し...消えて行った「ホビー用途に重き」を置いた機種達。
あまりマニアックなところには触れず今後も様々な機種を紹介していければと思っています。
※文中にも書きましたが、パナソニック(当時は松下)やビクターや三洋電機はゲーム機への渇望をもちながらついに「オリジナルのゲーム機」を出せなかったメーカー達です。(渇望を持たず最初からすり寄ったシャープなどはある意味別枠)
後にビクターはSEGAサターンの互換機Vサターンを発売します。というかぶっちゃけMEGA-CDの頃から「うぉぉぉゲーム機やりたいゲーム作りたい」ってなってたメーカーですのでSEGAの互換機というのはらしいっちゃらしいところです。
パナソニックと三洋は...3DOへと舵を切ります。切ったんですがこの辺りがなんというか家電メーカーらしいというか...カタログスペックだけで上司が決めちゃった路線というか...マーケティングだけではどうにもならないというか...
私が今でも持っている3DOはSANYO製ですが(笑)ぶっちゃけショートワープというマイナーソフト専用機ですのでなんともはや。
ホビーパソコンの経験もあるんでしょうが、より利益の大きいものとしてゲーム市場が見えていたんでしょう。しかし自社で参入して行くことはついになかった。パナソニックは3DOの後のM2で参入しようとはしていましたが...時すでに遅く。開発されたゲームが全部お蔵入りとか負の遺産がたくさんあったりするんですがそれはまぁ置いといて。
パソコンの時からそうですが「差別化」とか「プレミアム感」が大好きなこれらメーカーはついにホビー系では成功したとは言えないまま終わってしまったかと思います。(オリジナル規格という意味で。MSXやレッツノートを見ればパナソニックはかなり成功した部類ですし)
パソコンというカテゴリーでいうなら松下にはレッツノートがあるのですが、そこにも「プレミアム感」が常に。「XXXXがXXXXだから高い」という理由を常に探しているような風情はレッツノートには持って欲しくないんですが、今後どうなっていくのか..
今の時代ホビーパソコンなんて存在は必要ないのかもしれませんが...入門機がないままプログラムの勉強を仕事のためにしようとする世代にはちょっと間口が狭くてハードルが高い時代になってしまった気がしています。
また、御三家メーカーがMSXを出さなかった背景も面白いところで。シャープは一応海外で出していますが国内での需要が見込めず海外のみ。TV事業部がやるとしたらX68000やX1があるところで...じゃあMZの系譜でMSXというのもあり得ないっちゃあり得ない。とすると日本では新ブランドだったでしょうか。さすがにやんないですよね売り上げがだいぶ見込めるならともかく。
富士通は出すには出しましたが売りがFM-NEW7と同期させて6音で音楽が楽しめるぞ!であり。やる気が最初からない(笑)これはのちのちTownsマーティを出した後にも似たようなこと考えてたっぽいんですが今では謎のまま。まぁ77AVが結構好調でしたしね。
NECはというと...そもそも出すメリットがまったくなく。wikiには6001との合体機を出そうとしていたと書かれているのみ。NECはこの手の考えがずーっと抜けない会社で、他社を「格下」と常に思っていたフシが。
X68000に対抗するPCとして88VAを送り出した時も「これで余裕」とかとある取締役は言ってましたが、内部の人からも「あんな仕様では...」と言われる始末。実際のところ「あんな仕様」とはPC本体ではなく2TDというフロッピーだったようですが。開発体制も整えないで新機種が受け入れられるにはちょっと厳しい時代になっていたかな。
面白いハードでしたが、X68000ほど素直ではなかった。ポテンシャルは匹敵してたと思うんですけれど...NEC最初で最後のスプライト機能搭載パソコンですし。V30搭載の最初の88シリーズでしたし。
後年FM-TOWNSに対しても「これで十分戦える。富士通のパソコンなんてそんなもんだ」と同じ取締役が言ってたんですが、そのこれで十分が88MCだった訳で...なんというかもうその人いないんですけれどいなくなってよかったというか、パソコン系に関わることなく引退されてほっとしたというか。
そうやって見るとMSXにそれほど深く関わらなかったのはある意味わかりやすい構図だったかもしれません。